異世界みたいなアメリカの新聞記者
1910年2月2日水曜日、午後4時23分。
ロサンゼルス発祥の地「プラザ (The Plaza)」から、北に伸びるメイン街 (N Main St)と交差するレドンド街 (Redondo St)。その北東区画のすべてを独占して、ルウェリン鉄工所の赤レンガの建物が立ち並んでいる。
数百人の熟練労働者を抱えるこの工場は、膨張を続けるロサンゼルスの「鉄の心臓」だ。6エーカーもの広大な敷地には機械工場や鋳造所がひしめくその威容は、市内最大級を誇る。
だがその内実は、「中世の農奴よりは少しまし」と揶揄される過酷な労働環境にあり、激化するロサンゼルス労働運動の不穏な台風の目となっていた。
創業者のルウェリン兄弟は強硬な「オープン・ショップ (非組合主義)」を信条とし、労働組合側からは不倶戴天の敵として憎悪されていた。
当時、「全米で最も組合を嫌う街 (scabbiest town)」と呼ばれたロサンゼルスにおいて、兄弟は有力者であるロサンゼルス・タイムズ社主ハリソン・グレイ・オーティス将軍らと共に、反組合活動の急先鋒を担っていたのだ。
彼らが中核をなす経営者団体「M&M (商工連盟)」は、街の隅々から労働組合の看板を徹底して排除しようと牙を剥いていた。
「これがその一体型の包丁ですか、軟鉄製という。……拝見しても?」
「まあ、見てのとおりだ。軸をずらしたネック (首)が弱いから、強くぶつけたりするなよ?」
ルウェリン鉄工所社長のリース・ルウェリンが鷹揚に応じる。「歌っているような」独特の抑揚があるウェールズ移民一世特有の英語だった。
副社長のウィリアム・ルウェリンが「気をつけろよ? 曲がっちまうとスポイレッジ (製造ロス)になるからな」と口を挟んだ。
ウェールズ人の多くは英語に堪能でプロテスタント教徒であったため、アメリカ社会に「目立たず」同化していったが、その野心と経営手腕は誰よりも鋭かった。
「では、しばしの拝借」
アーサー・ウィンストン・グラハムは、パーラー・テーブル (parlor table)の7インチ (178ミリ)一体型金属製包丁を手にとった。
全長12.8インチ (325ミリ)、総重量4.06オンス (115グラム)。指先に伝わるその感触は、鉄の塊とは思えない。羽のように軽かった。
グラハムは、ロサンゼルス・タイムズの経済記者だ。
東部の名門コロンビア大学で経済学を修めた後、ニューヨークの経済紙で数年間、資本主義の波頭を潜ってきた。五年前、急速に発展する西海岸の「フロンティア経済」の熱量に惹かれてカリフォルニアへ渡った。
オーティス将軍の「労働組合は進歩の敵である」という苛烈な信念に、ビジネスの合理性を重んじる立場から共鳴し、ロサンゼルス・タイムズに入社することになる。
現在は社会部 (City Desk)の主任記者を務める傍ら、ロサンゼルス市内の各鉄工所で高まるストライキの予兆を監視する経営者側の「特命調査員 (confidential Investigator)」としての顔も持っていた。
オーティス将軍や次期社長ハリー・チャンドラーからの信頼も厚く、M&Mの秘密会議の出入りさえ許されている。
そんな彼が、一介の「一体型中型包丁」の取材をしているのには訳があった。
当時の米紙にとって「日曜版 (Sunday Edition)」は、社の威信をかけた巨大なショーケースだった。特集記事、カラー漫画、芸能、スポーツ、女性向けコラム……。
これら週刊誌にも匹敵する膨大な誌面を埋めるため、記者は週末も不眠不休で活動する。「週七日勤務」を厭わぬその猛烈な働きぶりこそが、記者の矜持 (プライド)でもあった。
一月下旬、グラハムはルウェリン鉄工所の労働者たちへの内偵中に、日系企業から「軟鉄製の奇妙な包丁」の注文が入ったとの情報を掴んだ。
当初は、ストライキの気配で浮き足立つ機械と労働者を遊ばせておくよりはマシな、場違いな町工場の仕事でも拾ってきたのだろうと高を括っていた。
だが、一日の生産数が「七十五丁」という中途半端な数字が、経済記者としての彼の記憶に引っかかった。今日、労働組合対策で工場を訪れるついでに、日曜版の編集担当たちに「ネタ」を提供して貸しを作ってやろうと考えたのだ。
この記事をどう料理するかは、日曜版の連中次第だ――。
グラハムのそんな、ありふれた打算からすべては始まった。
その一体型中型包丁の柄には、リブ付きマンドレル (芯金)に巻きつけ、叩き締めた生々しいハンマー痕が残っていた。後端に向かってわずかに窄まっていく様は、さながら無骨な鉄パイプのようだ。
(刃を柄のセンターに合わせたダブル・オフセットのようだが……。こんなネック (首)の細さじゃ、ジャガイモやニンジンの皮剥きにしか使えない。カボチャに刃を入れようものなら、たちまちネックが捩じ切れてしまうだろう。
使われているのは十六ゲージの鉄板 (1.6ミリ厚)か。それにしては手応えが少し軽すぎる気もするが……気のせいか?)
その包丁は、刃元から柄に13/32インチ (10ミリ)の位置に、重心 (センター・オブ・グラビティ)が設定されている。
人差し指一本で刃先を自在に動かせるその感覚は、二倍以上の自重を持つ鍛造包丁を標準とするグラハムには、かえって「制御不能な不安定さ」として気味悪く感じられた。
鉄板を丸めただけの柄の細さを確かめるように、彼は柄の底に縦に走る幅5/32インチ (4ミリ)のスリット (溝)に指先を這わせた。その隙間は、マンドレルの表面に施された滑り止めのリブによるもので、鉄板の厚みと寸分違わぬ溝が刻まれている。
7/8インチ (22ミリ)径の柄は、当時の包丁の基準からすれば異常なほどの細身だ。
刃と柄の間にある7/8インチ (22ミリ)の空間は、柄の外径から中心部に一度、柄のセンターラインに重なるように二度、段差をつけてクランク状に屈曲させた細長いネックが繋いでいた。
刃の5/16インチ (8ミリ)から柄の13/32インチ (10ミリ)までわずかに広がる絶妙なテーパー状を成している。
この脆弱なネックでは、横からの力や梃子の原理が働けば、一溜まりもなく歪んでしまうに違いない。
だが、そんな不安なネックの延長線上にある柄の後端には、ハンマー痕を避けるように『ISC』の刻印が縦一列にくっきりと刻み込まれていた。
アクチデンツ・グロテスク――そのモダンな書体が放つ異質な合理性は、文字が小さいほどに、見る者の目に鮮烈に浮き上がって見えた。
軽く頭を振って思考を切り替えると、グラハムはその一体型包丁をテーブルに戻した。
「なるほど、これは聞きしに勝る。想像していた以上に風変わりな造形だ。包丁というよりは、前世紀のソケット式銃剣を彷彿とさせます。もっとも、ネックがオフセットされている方向は逆のようですが……。
それで、この中空の柄には、これから何が取り付けられるんですか?」
グラハムは取材ノートを手元に引き寄せ、ペンを走らせる。彼の懸念は実用性にあった。このままでは柄の内側が錆びた際、その腐食を食い止める術がないからだ。
北米の冬には凍てつくように冷たく、血や脂が付着すれば容易に滑る金属製の柄は、当時の実用包丁としては忌避の対象だった。柄には手に馴染むヒッコリー (hickory)材を用いるのが鉄則だ。
だが、大量の血脂にまみれる「解体・調理用」ではなく、食卓用のカトラリーならば話は別だ。刃は鋼、柄は銀などの中空柄 (ホローハンドル)を用いるのは上流階級の標準だった。
柄の内部に適度な重さのセメント (詰め物)を満たすことで、人差し指を添えた際に完璧なバランスを得られるよう調整されている。
そのため、屋敷の執事 (バトラー)や高級レストランの給仕長 (メートル・ド・テル)たちは、煮沸洗浄によるハンダの緩みや浸水を防ぐため、下働きの者たちに「柄を決して湯に浸けるな」と厳命していた。
その輝きと清潔さを保つためには、執拗なまでのメンテナンスを強いる必要があったのだ。
フランスのティエールやドイツのゾーリンゲンでは、二枚の金属板をプレスして成形した中空の柄を、刃のタング (茎)へ溶接やハンダ付けで接合する手法が確立されていた。これらは「煮沸消毒に耐える全金属製品」として大々的に宣伝されていたが、現実にはそれほど甘くはない。
接合部や合わせ目に施されたハンダは、熱による膨張と収縮を繰り返すうちに、目に見えない微細なクラック (亀裂)を生じさせる。一度その隙間から水や食材の汁、あるいは血が入り込めば、密閉されているがゆえに乾燥することなく、内部から逃げ場のない腐食が進行するのだ。
ひとたび包丁を振れば、柄の奥から異臭を放つ濁水や、不吉な赤錆色の水が滲み出す――。それが当時の技術における『安価な全金属製』の限界であり、アンサニタリー (不潔)の象徴でもあった。
これほど不衛生な包丁が、いまさら「サニタリー (衛生的)」の名目で食肉処理場へねじ込まれようとしている。
その背景には、1906年の「連邦食肉検査法」と「純正食品薬物法」制定の決定打となった、アプトン・シンクレアの衝撃作『ジャングル (The Jungle)』があった。
シカゴ食肉業界の暗部を暴いたその小説は、ネズミの糞や結核患者の唾液や痰が混じった床の肉がそのまま加工される実態を白日の下に晒した。
なかでも、ラードを煮出す大釜に転落した労働者が、数日間気づかれぬまま「純正ラード」として出荷されていたという戦慄のエピソードは、全米の食卓を恐怖のどん底に突き落としたのである。
当時、ヒッコリーやビーチ(ブナ)といった安価な広葉樹の板をリベットでカシメただけの「鋼板抜き包丁 (Sheet Steel Knife)」が市場を席巻していた。刃と柄が同じ幅と厚みの鋼板で繋がっただけの簡素な道具だ。
凄惨な現場で血脂と熱湯に晒され続ければ、木製の柄は忽ち腐食し、ひび割れる。だが鋼板さえ無事なら、労働者は適当な木片を削り出し、古いリベットを叩き出しては新しい柄を付け替えて使い続けた。
職人たちが継ぎ接ぎして使い倒すその「生活の知恵」こそが、今やアンサニタリーの象徴として糾弾の標的にされていた。
全米十大巨大資本 (トラスト)の一翼、シカゴの「ビーフ・トラスト」大手五社に対する国民の信頼は、もはや地に堕ちていたのだ。
「アーサー、正直に言え。こんなナマクラを一体どこの馬鹿が買うんだ、と……。そういう顔をしているぞ?」
リースの揶揄に、ウィリアムが堪えきれずに爆笑した。
「三十年も研ぎ抜いた後のような代物だしな!」
ウィリアムが追従する。
標準的な7インチのスライサー (牛刀)が、1/8インチ (3.2ミリ)の厚みから三十年かけて研ぎ減れば、確かにこれほどの薄さにはなるだろう。だがグラハムにとって、彼らの笑いは文脈を欠いたものだった。
顔を見合わせて哄笑を続けるルウェリン兄弟を前に、グラハムは呆気にとられるほかなかった。
一頻り笑い転げた後、リースはようやく息を整え、グラハムへの種明かしを始めた。
「ISCから持ち込まれた金型だがな。あれは一回のプレスで一丁のブランクしか取れない代物だ。おまけに、治具とハンマーで一丁ずつ柄やネックの形を整えなきゃならん。それもすべてISCの貸与品だ。
そこから柄とネックを固定して刃を付ける……。今のやり方じゃ、一日七十五丁が関の山なのさ。
ところがだ。サンフランシスコのジョシュア・ヘンディ鉄工所――あそこのサニーベール工場にある『ツール・ルーム (工具・金型製作専用部門)』から、特製の金型が届くことになった。抜き、丸め、ダブル・オフセットの三工程を一気にこなす三種一組の金型だ。
三月十一日の予定だ。ISCの社長を名乗るイトウという日系人が、つい今しがた伝えに来たよ」
その新型なら一回で二丁のブランク (抜き板)が取れるんだ、とリースは声を弾ませた。
「金型が届く……? ルウェリンでは製作できないような、特殊なものなのですか?」
グラハムが身を乗り出して問い詰めると、先ほどまで機嫌の良かった兄弟の顔が、目に見えて険しくなった。
無理もなかった。ウェールズ移民は、鉄鋼、スズめっき、炭鉱といった重工業の黎明期において、常に指導的な役割を担ってきた専門家集団だ。
特に製鉄の現場では、彼らは自他共に認める「アイアン・アーティザン (鉄の職人)」であり、その技術的なプライドは他者の追随を許さないものだったからだ。
ジョシュア・ヘンディのツール・ルームが、最新鋭の東海岸製工作機械をズラリと揃えていることでは、西海岸で唯一無二だった。
当時建設が進められていたパナマ運河の難工事においても、同社の巨大な「ハイドロリック・ジャイアント (水圧掘削機)」や堅牢なゲートバルブが投入され、その信頼性は世界中に轟いていた。
1890年代にはすでに、金採掘用の標準的なスタンプミル (粉砕機)の設計を確立。その製品は日本、中国、ロシア、フィリピンへと輸出され、採掘機械における世界的なリーダーとして君臨していたのである。
イチタロウが求めたのは、極限まで突き詰められた金型の精度だけではなかった。熟練の彫金師 (Die Sinker)が手作業で鋼に文字を刻み込み、鏡面のように反転させて配置するブランドロゴの、冷徹なまでの美しさである。
グラハムの常識に照らせば、そこは断じて「安物の軟鉄包丁」の金型などを発注してよい場所ではなかった。たとえダブル・オフセットといった、多少目新しい工法が介在していたとしても、だ。
それはルウェリンに金型を作る能力がない、という意味では決してない。
「……イトウがいうところでは、ベーカー (Baker Iron Works)やキーストーン (Keystone Iron Works)にも貸し出す金型を同じにしたいんだとさ。
それでわざわざサンフランシスコにまで金型を発注したんだそうだ。ジョシュア・ヘンディの尻を叩いて納期を急がせたんだ、1,000ドル近くは弾んだだろうよ」
ウィリアムが淡々と答えた。腕を組んで口角を下げたリースは、ソファに沈み込むように宙を見上げている。
ロサンゼルス三大鉄工所の二つ、ルウェリンとベーカーはビル建設などの構造用鋼材を一手に担う巨大メーカーだ。対するキーストーン鉄工所は、精密機械や特許製品の製造に強みを持つ技術集団。
ダウンタウンを彩る多灯式の優美な街灯はルウェリン製が多く、市民は親しみを込めて街灯そのものを「ルウェリン」と呼ぶほどだった。
キーストーンは農業用トラクターや消火栓、ガソリンポンプといった革新的な製品を次々と世に送り出しており、腕利きの職人も多く、紛争の絶えない大規模工場に比べれば現場は比較的落ち着いていた。
それでもM&Mに加盟するこれら三社は、一丸となって苛烈なオープン・ショップ運動を繰り広げていた。
「ベーカー? 1,000ドル? ちょっと待ってください。一体何の話を……」
グラハムの困惑を余所に、リースが目だけを動かして彼を射抜いた。
「おいおい、知らなかったのか? うちとベーカー、それにキーストーンの三社で、年間二十四万丁の『ナマクラ』を叩き出すんだよ。
まあ、皮算用だがな。そのうち第一期分、十二万丁を三等分にあたる四万丁の納入は、うちですでに本決まりだ」
当時のロサンゼルスの人口が三十二万人だった。二十四万丁という、市民の大半に行き渡るほどの異常な数字にグラハムが絶句していると、それを勘違いしたウィリアムが舌打ちの後にこう続けた。
「先月中旬、イトウが金型と治具を持ち込んできた時は、せいぜい内職の延長だと担当者は思ったらしい。大きな契約が決まりそうだから、その場合には25日からうちで製造を始めてほしいとね。
担当者は生産数を増やすとは聞いていたらしいんだが、今日のイトウは、『とりあえず四万丁』とふざけたことをいいだしたらしくてな、それで慌てて兄貴と二人で応対したのさ。
聞けば、ベーカーやキーストーンにも同じ話を通しているといいだしてな。二十四万丁すべてうちで引き受けるといったら、この言い草だ。
『ストライキ (同盟罷業)でロックアウト (工場閉鎖)するのも懸念材料ですが、不測の火災で預けた金型や計測ゲージがすべて焼き入れされるともっと困ります』だとさ」
「ユニオン (組合)のクズどもが、自分で自分の首を絞めている証拠だよ」とリースが吐き捨てるように毒づいた。
「わかりませんね」
「何がだ?」
グラハムの問いに、リースが問い返した。
「いままでのお話を聞く限りでは、先ほどまで貴方たちが上機嫌だった理由が見当たりません。市場を無視した過剰な生産数、品質に見合わない高すぎる納入価格、そして金型への過剰投資……。むしろリスクばかりが目につく」
ルウェリン兄弟は、色々な感情が入り混じった剥き出しの笑顔を見せた。
「オフレコード (秘密厳守)だぞ? 誰にもいうなよ?」
リースが机越しに身を乗り出した。グラハムが聖書に手を載せて誓う仕草を見せると、リースは満足げに頷き、声を潜めた。
「いま納めている包丁はな、サード街までの輸送費込みで一丁20セント。こっちの純利益は2セントだ。だがジョシュア・ヘンディの金型を導入すれば、一丁の納入価格は15セントに下がる。それでいて、こっちの純利益は4セントに跳ね上がるのさ。
最低でも四万丁で1,580.5ドル。うまくいけば年間八万丁で3,180.5ドルだ。なあ、ボロい商売 (イージー・マネー)だと思わないか?」
グラハムの脳内ですぐに計算が弾き出された。納入価格が一丁あたり5セント下がることで、発注側のISCは年間最大12,000ドルの利益を積み増すことになる。
ジョシュア・ヘンディへ支払った金型代や計測ゲージ代など、一月ほどで減価償却できる計算だ。
当時の一般労働者の時給は22セント。全米平均年収は200ドルから400ドル。熟練の職人でも年収は約750ドル。
中流階級の五人家族が「標準的な生活」を送るのに必要な年収が約900ドルの時代。ロサンゼルス郊外に構える「標準的で小ぎれいな一戸建て」は、2,000ドルから3,000ドル。
中流階級の会計士でさえ約2,000ドル、上位中流のエンジニアで約5,000ドルの年収という世界において、この「ナマクラ」が産む利益はあまりに巨額すぎた。
だが、この包丁によるISCの利益は書類上の数字でしかない。現実を見れば、目の前にあるのはただの軟鉄の板だ。
仮にグラハムが、この包丁を一丁20セントで買い取ったとしても、街の金物屋で転売することさえ叶わないだろう。
「……馬鹿な。ありえない。こんな代物が、まともに市場で流通するはずがない」
呆然と立ち尽くすグラハムの反応に、ルウェリン兄弟はさも愉快そうに顔を綻ばせた。
「こんなナマクラを叩く方もどうかしているがな、これを買う奴がいるんだから、世の中はとっくに狂っているのさ」
「まあ、金さえ積めば、俺たちはナマクラだろうが何だろうが作ってやる。ストの気配に怯えて機械と労働者を遊ばせておくよりは、よっぽど賢明な判断だ。
……それに正直、ボロい商売 (グッド・ビジネス)だよ」
「それで……その包丁を、一体どこの誰が買い取るんですか?」
グラハムが喉の渇きを堪えて尋ねると、ウィリアムが鼻を鳴らした。
「ニューヨークの商社五社らしい。一応裏は取ってみたが、どれも歴史のある、地に足の着いたまともな会社だったよ。
まあ、こんなガラクタに手を出すようじゃ、あいつらの先行きも怪しいもんだがな」
グラハムの頭は、すでに大陸横断鉄道の運賃と流通マージンを計算し終えていた。ニューヨークの店頭に並ぶ頃には、この20セントの包丁は25セントでは赤字、31セントから33セントは下らない価格になるはずだ。
当時、標準的な木製柄の包丁が10セントから15セントで売られ、金物屋の店先では、柄のない「ブランク」が一ダース(十二丁)まとめて40セントから60セントで投げ売りされていた。
そんな時代に、あえて価値のない軟鉄包丁の金型に1,000ドルを投じ、高価なナマクラを大量生産する――。それは単なる商売の失敗ではなく、経済学の法則を根底からあざ笑うような「狂気の沙汰」だった。
グラハムは、すでに決意していた。社会部のルーチンワークとして片付けるのではない。一人の「経済記者」として、この不条理の背後にある「真実」を、自らの手で引きずり出してやると。




