翌朝の出来事
温かいベッドの幸福感に包まれながらも、肌に当たる空気がどこかスースーする。いつもと違う、その違和感に夢から現実へ引き戻された。
目を閉じていても朝だと分かる光を感じ取る。
重い瞼を開けると、すぐ隣に誰かいることに気がついた。
その人物を確認すると、私の想い人が何かに集中するようにそこにいる。
……昨日、国王陛下の御前で誓いを立てた今となっては私の夫となった人物。
「……起きました? おはようございます、ノーラ様」
アルト様は、同じベッドに入っているというのに寝ている訳ではなく…上体を起こした状態で何かを書いていた。私が起きたのを確認すると手を止め、私の頬を優しく撫でる。
その手は少し冷たくて、けれど私の心拍を跳ねさせるには十分な熱を持っていた。
…何故か大人の余裕が出ているように見える彼。
「……おはようございます、アルト様。朝早くから、何か……お仕事ですか?」
「ええ、少し。その…報告書を…」
それなのに執務室でも机に向かうでもなく、何故ベッドの上で? と不思議に思いながら体を起こした。
アルト様は私の様子に気づくと、愛おしげに目を細めた。
(ああ、可愛い可愛いと思っていたのに、今では色気のある大人に見えてしまうわ。)
ドキドキと高鳴る胸が苦しくて、手を当てて落ち着かせるように擦った。
「すみません、すぐに侍女を呼びましょう…」
そう言って、ベッドサイドにある呼び鈴を鳴らそうと手を伸ばす。私は、ガウンに身を包んだ彼の腕を掴み、その動きを止めた。すると、緩く羽織っているだけのそれが少しはだけて色気が増してしまう。
これは不可抗力…と、思いながらも、その肌から目が離せない。
「……まだ、貴方と二人の時間を楽しみたいです」
口にしてから、あまりに大胆な甘え方に自分でも驚く。
アルト様は一瞬目を見開いた後、ふにゃりと、それはそれは嬉しそうに笑った。
「……じゃあ、もう少しだけこのままで。風邪を引かないように、暖かくしていてください」
彼は呼び鈴から手を離すと、昨夜この部屋に訪れた時に羽織っていたストールをかけてくれる。
私は彼と同じベッドに入り直すと、隣に座り、何かを書いていた彼の手元を覗き込んだ。すると、彼は慌てた様子でその紙をサッと隠してしまった。
「……私にも見せられない、国家機密ですか?ここで?」
少し意地悪に、上目遣いで彼を見上げる。
「ええと……、その。ラインハルト殿下への報告書……です。殿下は、聖女様との夜を酷く気にされていましたので……。先に経験した者として、ある程度の流れを報告するように…と…」
歯切れ悪くそう言うアルト様の手元から、私はひょいと、その書きかけの紙を奪い取った。
「……このような報告をさせるだなんて、殿下は悪趣味ですね」
「しかし、王家の後継者に関わる重大事です。少しでも情報が多いに越したことは……」
隣で真剣に弁解する夫の唇に、私は自分の唇を重ね、強引にその言葉を奪った。
物理封じは、今や私の得意技。
彼が驚いて固まっている間に、私は唇を離し、奪った書きかけの報告書をヒラヒラと揺らした。
「男性は…変な所で見栄っ張りですね。…殿下も、経験が無いのでしょう? だからといって、このような報告をした所で、きっと上手くはいきません」
「なっ……! 何故……殿下に経験が無いと……そう思うのですか?」
アルト様が、国家機密を知られたかのように驚く。
「殿下の側近候補として、10年も前から常に一番お側で仕えていた貴方がそうだったのですよ?もし、殿下がその辺の殿方と同じく、指南役を付けたり娼館へ出向いたりしていたなら……貴方も付き合いの一環として、とっくに経験があったはずですもの。」
私の指摘に、アルト様はぐうの音も出ないといった様子で黙り込んだ。
私は、報告書を、ポイッと床に投げ捨てた。アルト様が「ああ!」と声を漏らす。
「アルト様。殿下に報告するなら、この一言ですわ」
「……?」
「『聖女マレーナ様に、よく相談すること』」
「いや、しかし……」
「相談される、ということは、『信頼されている』と感じるものです。聖女マレーナ様は……前の夫に結婚式の夜…愛人と駆け落ちされ、その末に事故で亡くされていると聞きます。私なら『ざまーみろ』とでも思います。しかし、彼女は『相談してくれれば』と、思ったのではないでしょうか…愛がある結婚のようには話しておりませんでしたから」
アルト様は、私の言葉に何か考え込むように、床に落ちた紙を見つめる。
「私は……アルト様が、素直に教えて下さって嬉しかったです。傷つけないように必死に考えて下さったことが、何よりの愛だと感じました。昨日の経験から、女性は相手からの愛を感じれば感じるほど…受け入れたいという気持ちが増します。」
視線を上げ、戸惑う彼を真っ直ぐに見つめる。
「きっと聖女マレーナ様も、そう思う可能性が高いと思います。彼女は、一般的な貴族令嬢のように『スマートにエスコートされる完璧な夜』を夢見る少女ではございません。信頼できる関係を求めていると思います。彼女が、不遇な者達を家族として受け入れているように」
「それは、殿下が……完璧な、スマートな夜を望んでいても……ですか?」
「こんな、つけ焼き刃の知識でスマートに出来るなら、指南役など存在しません。」
「……確かに、そうですね」
深く悩むような仕草をするアルト様を眺めると、本当に真面目で、愛おしい人だと微笑ましく思う。
「それに、この情報は『私』に対しての結果であって、殿下の求める『マレーナ様』への対応ではありませんよ?貴方は殿下に『私と夜を共にする方法』を教えるのですか?」
その言葉を聞いた瞬間、アルト様の表情がガラリと変わった。
「……!!そ、それは…ダメです!!」
彼は床に落ちたその書類を急いで拾い上げると、くしゃくしゃと丸めて、部屋の隅にある暖炉へと投げ入れた。
「例え殿下と言えど…話すわけにはいきません!!」
「ふふっ。愛されていて嬉しいです」
一旦ベッドの外に出た彼が、丸めた紙が燃えていくのを確認してから再び戻ってくる。そして何故か…何かに打たれたような顔をして、呆然と私を見つめてきた。
「アルト様……?」
私が不思議に思って首をかしげると、私の両肩をがっしりと掴みパァっと表情を明るくする。
「ノーラ様……今、俺はとんでもないことに気づきました。」
「ま、まあ。それは、何を?」
「俺は今まで、周囲から『正論ばかり言う』と評されてきました。実際に感情を抜きにした話し合いは得意です。仕事において信頼を得る最大の武器です。……しかし、人間の『感情の機微』までは…配慮に欠ける所があります。」
彼は一度言葉を切ると、感極まったように私の手を取り、ぐっと自分の方へ引き寄せた。
「でも、貴女は違う! 貴女は言葉の端々にある感情を誰よりも鋭く、深く考察できる。」
あまりの熱弁に、私は顔が熱くなる。アルト様はさらに、確信に満ちた声で続け…。
「…俺たち夫婦、もしかして最強コンビじゃないっすか!? 」
その表情は、まさに大発見をした子供のよう。私は自分のこんな深読みしてしまう思考を心底可愛げがないと思っていた。こんな可愛くない思考を『最強コンビ』などと喜ぶ彼に愛しさが溢れて崩壊した。
「わっ! ノーラ様!?」
思わず彼の広い胸に顔を埋めると、彼は慌てて受け止めてくれる。ベッドの上でボスンと音をたてた。
「アルト様……こうすると、とっても温かいです」
「は、はぃ、そうっすね」
どこか返事がぎこちなくなった彼を改めて見上げると、お顔を真っ赤にして、視線を泳がせていた。
「アルト様…もう一回」
ねだると、アルト様は私に深くキスをしてくれる。のだけど…今回はそれだけでアッサリと体を離してベッドから降りて行ってしまった。
「あっ……」
「ぁ、危なかった…。いいっすかノーラ様。誘惑しても無駄ですからね!! 今日は、絶対にゆっくり休んで下さい」
彼の様子に笑いながら…私の体を気遣ってくれる、彼の優しさがたまらなく愛おしい。
この後、アルト様と朝食を和やかに終えた。
とても幸せなひと時だったけれど「殿下に、俺が正しいと思う報告をしてきます」と言って報告に向う彼の背中を見送った。
何度も何度も振り返りながら、名残惜しそうに去っていく私の可愛い夫。
その背中から、愛されているという実感がひしひしと伝わってきて、私の心は朝の光よりも温かく、幸福で満たされてゆくのを感じていた。




