明日は卒業式(アルト視点)
「……何やってんだ、俺は」
深い溜息とともに、俺はクローゼットの扉を開けたまま立ち尽くしていた。
ここは王宮の一角、次期宰相候補としてラインハルト殿下から正式に与えられた部屋。本来なら国家の機密書類が並ぶべきこの部屋のクローゼット。式典や祭事などで着用する衣服をそろえる場所なのだけど…
今、不釣り合いなものが存在している。
エレオノーラ様が裏庭で汚してしまった…と悲しそうにしていた予備の制服。
「預かったはいいものの…」
それを眺めると妙な背徳感がある。汚れを綺麗に落としたそれは、暗がりに揺れ、どこか彼女の面影を宿しているように見えてしまう。
(これ……ノーラ様が着ていたんだよな。……ここに、彼女の体が……)
一度そう意識してしまうと、ただの布切れが急に生々しいものに見えてくる。この代物を安全に配慮するための戒めとするなら、あまりにも今の俺の心拍数は速すぎる。
さっさと閉めるべきだが…。
もう少し眺めたい気持ちも…。
それとも、もう一度だけ襟元や裾の具合を確認すべきか。
次期宰相にあるまじき低レベルな葛藤に身を投じていた、その時だった。
「アルト、入るよ。卒業式の流れだが……」
ノックもそこそこに扉が開いた。
入ってきたのは、手に書類を持ったラインハルト殿下だった。
「……」
「……」
静寂が部屋を支配する。
殿下の視線は、立ち尽くす俺を通り過ぎ、その背後——開け放たれたクローゼットの中にある「女子生徒の制服」へと真っ直ぐに向けられた。
殿下の目が、かつてないほど見開かれる。そして、信じられないものを見るような目で俺を凝視した。
「……アルト。君、まさか……そういう『趣味』があったのか?」
「……は?」
「いや、責めるつもりはないんだ。多忙な政務のストレスは計り知れないものがあるからね。だが、それを着るのは……その、他者が出入りする可能性がある部屋だからな…宰相としての威厳に関わるのではないかと思ってね」
殿下の声には、心底からの困惑と、ほんの少しの恐怖が混ざっていた。
「違います!! 殿下、誤解です! これは女装趣味とかそういう話じゃありません!」
「では何だというんだ。自分の執務室に女子の制服を隠し持っておいて、趣味ではないと言い張るのか?」
「これはエレオノーラ様の私物です! 事情があって、俺が一時的に管理しているだけで……!」
必死に否定する。殿下はエレオノーラ様が公爵家次男に裏庭で拘束された…という事しか知らなかったようだ。あの公爵家次男が、素直に白状するわけもないか…と、納得ではあるが早く誤解は解かなければならない。なのに、殿下の疑念の火は消えるどころか、さらに妙な方向へと燃え広がった。
「……エレオノーラ嬢の? つまり君は、彼女がいない間、その制服を『彼女の身代わり』にして愛でている……ということか?」
「なっ……!?」
「身につける趣味ではないにせよ、執務室で一人、その服を抱きしめたりしているのかい? ……アルト、それはそれで女装趣味より闇が深い気がするのだが…いや、愛が突き抜けていると言うべきか」
「違います!! 抱きしめていません! ただ、彼女の安全を常に意識して励めるように、目の届くところに置いているだけです!」
俺の絶叫に近い弁明を、殿下は哀れみを含んだ微笑で受け流した。
「……まあ、いい。そういうことにしておこう。」
「そういう事なんすけど…」
殿下はくすくすと笑いながら、ようやく持っていた書類を机に置いた。そして、窓の外に目を向ける。そこには、夕陽に照らされた学園の校舎が見えていた。
「……ついに明日が、卒業式だな」
ふいに落ちついた殿下の声に、俺の心拍も少しだけ静まった。
「……はい。長かったようで、あっという間でした」
「学園を出れば、君は正式に私の右腕として…そして侯爵家の跡継ぎとして、共にこの国を背負うことになる。……いつものような『遊び』も、そう頻繁にはできなくなるだろうね」
「それは…名残惜しいっすね~。殿下と『遊ぶ』のはとても楽しいものでした」
「あぁ、私もだ。他の者とああまで騒ぐなどできない」
普段は見せない、そのやり取りが減るのは悲しく思う。
「君のお陰で、私にも年相応の遊びができる時間が持てたと思っている。しかし、それはこれからも時折欲しいものだ」
「勿論、お付き合いいたします」
俺は深く頭を下げた。
「心強いよ、互いに理想の妻を得る事になったが…妻には話せない事も多いだろうからね」
「妻に話せない事…殿下を信じてはいますが…大丈夫っすよね?」
そう言うとニヤリと笑う殿下。




