生徒指導室(アルト視点)
生徒指導室の空気は、重くて埃っぽい。
古い木の机が並び、俺とノーラ様はそれぞれの前に立たされた。教員は机の向こうで腕を組み、眼光鋭く俺たちを交互に睨んでいた。
早く正式な婚約について話さなければならないのに……
それに、時間もない。まだやらなければならない事が山積みなのだから。
「まったく……君たちのような模範生が、卒業を目前に気が緩んでいる。学園の顔に泥を塗った自覚はあるのか?」
教師の声が低く響く。俺は背筋を伸ばして、素直に頭を下げる。
「申し訳ありません。学園の風紀を乱すような行為をしてしまい……反省しております」
ノーラ様も小さく頭を下げて、「申し訳ございませんでした」と、蚊の鳴くような声で呟く。
その声があまりにも可哀想で、俺の胸がチクリと痛む。でも今は、そんな感情を表に出すわけにはいかない。少しでも早く、この先生の説教を終わらせて時間を作る必要があるのだ。
先生は大きく息を吐いて、説教を再開した。
長々と続く先生のお説教に……
「はい……その通りです」
とか。
「申し訳ございません。反省しております」
と適度に反省の姿勢を見せた。
実際、俺のしたことは擁護の余地がない。
中庭で彼女にキスをした瞬間、全校生徒の視線が突き刺さった。あの時の衝動は、今思い返しても顔が熱くなる。
深く、反省しよう。
教師の話は聞き流し、今回の反省点を振り返る。
先生が黒板に「風紀違反事例」と書き始めた——俺の袖口に、そっと指が触れた。
ノーラ様の小指だ。
俺の袖を軽く摘まんで、くいくいと引っ張ってくる。
視線は先生の背中に向けているのに、唇をきゅっと結んでいるのに、指先だけが俺を呼んでいるみたいに。
(……ノーラ様?)
俺は動揺を隠して、そっと彼女の方を見る。
彼女は上目遣いにチラリと俺を見て、ぱちりと瞬きをした。そして口元に人差し指を立てて「しー」と言うような動きを追加する。
可愛い…
可愛すぎる!!
これは大変な事だ。ただ瞬きをしただけにも関わらず、ここまで可愛いものなのか?俺はさっき彼女の満面の笑みを見てしまった。
この体は耐えられるのだろうか。
心臓が、バクバクとうるさい。
先生が黒板に向かって熱弁を続けている隙に、彼女の指が今度は俺の小指に絡みついてくる。
軽く、くすぐるように撫でて、先生の気配を察するとすぐに離れる。
また絡めて、離れて。
……これは、完全に遊んでる。
俺は必死で表情を崩さないようにするけど、頬が熱くなってきた。
「…というわけだ。 わかるね?」
完璧な無表情で、俺たちは同時に「はい」と答える。先生がまた黒板に向き直すと——今度は彼女の靴先が、俺の靴にこつん、と当たる。
一度、二度、三度。
俺は思わず、足を軽く押し返した。
いつもの俺なら、真っ先に『今は反省の時間だぞ。ふざけるのはいけない』と思っていたことだろう。更には教師に説教をされるような事をしておいて、反省の色が見えない生徒なんて……俺の苦手な部類の人間だ……
それなのに、隣の存在が嫌どころか愛しくて仕方ない。
こんな茶目っ気があるなんて!と、新たな一面を垣間見た事への喜びすらある……
…
それでも、今の彼女の行為は危険だ。
彼女がまた袖をくいくいと引っ張った時。俺は小さく息を吐いてから、彼女の指をそっと握り確保した。これでもう動けない。
「今回は初犯ということで、反省文は免除だ。ただし、次は厳罰だぞ。わかったな!」
先生が振り返る気配を察すると、パッと手を離す。
「はい……」
「はい」
俺たちは揃って頭を下げた。
扉が開いて、ようやく外の空気が流れ込む。
「やっと解放された…」
「私…初めて指導室に入りました…」
「俺もです」
少しの会話の後、歩き出すとノーラ様が動く気配がない。どうしたのだろう?と不思議に思ってそちらを見れば、まだ頬を赤らめたまま、俺を見上げてくる。
「……アルト様」
「はい?」
「…もう一回……ダメ、ですか?」
俺は深く息を吐いた。
絶対ダメ。説教直後にそれは…
「……ここじゃ、…まずいっすよ」
彼女には、とびっきり優しくすると約束した。
それだけじゃない。俺自身が、正論で自分を止められない程に彼女を求めている。
「こっち」
「?」
彼女の手を引いて、足早にやってきた人気のない教室。夕陽が斜めに差し込んで、机の列がオレンジ色に染まっている。俺たちは一番奥の机の陰にしゃがみ込んだ。
彼女の背中を壁に預けるように座らせ肩を軽く押し、その前に膝をついた。顔を近づけると、彼女は目を閉じて、息を止めるように待っている。
唇が触れる。最初は優しく、触れるだけ。
でも、彼女の指が俺の胸に触れて、服を掴む。
互いの呼吸と、柔らかな感触。
もう一度、もっと、深く。
互いに引き寄せられるように温もりを感じ、確かめるように触れる。
彼女の体がびくっと震えて、俺の首に腕を回してくる。
離れがたくて、互いに求め合うように、キスが深まる。彼女の背中に腕を回して、もっと強く抱き寄せれば、彼女の体温が、服越しに伝わってきて、頭がぼうっとする。
(……これ、止められるのかな……)
少し唇が離れると寂しそうに見上げてくるノーラ様の美しい瞳。
(無理かもしれない)




