聖女
「想定していた中で、一番『やばい』のが来たわね……」
マレーナ様は天を仰ぎ、重い溜息を吐き出した。先ほどまでの赤らんだ頬はどこへやら、今は深刻な事態に直面した経営者の顔に戻っている。
「この国の王子? 冗談じゃないわ。私、暗殺でもされかねないじゃない」
その言葉に過敏に反応したのは、背後に控えていた娘たちだった。
「そんな事させない」
「キキッ! キュカも守る」
ジェマ様が拳を鳴らし、キュカちゃんがマレーナ様に飛びついてから威嚇するように身を乗り出す。
すると、キュカちゃんの身体がデスクにあった樹の鉢植えに当たり、グラリと鉢が揺れた。
「おっと、落ち着きなさい。危ないよ、キュカ」
そうしてマレーナ様が支えた鉢植え。その鉢植えの樹にパッと葉が増えたように見えた。
その喧騒を鎮めるように、殿下が穏やかに、けれど断固とした口調で告げた。
「心配は無用だ。……マレーナ、君が聖女として神殿に入れば、王家が全力でその身を守る。誰にも手出しはさせないと誓おう。何なら、私の側を離れなければ誰も手出しは出来ないさ」
殿下の言葉を聞きながら、私はふと、隣に立つアルト様の異変に気づいた。
彼は、枝葉を広げる鉢植えと、マレーナ様を交互に見つめている。
「……もしかして、マレーナ様。……貴女こそが、本当の『聖女』なのですか?」
唐突な問いに、私は首を傾げた。
種を芽吹かせ、あんなに成長させたのはジェマ様やキュカちゃん…あとここに訪れた聖女候補のはず。しかし、アルト様の追及は止まらない。
「ずっと違和感があったんです。種が成長する様子を観察したかったのに手で被われ見えなくて…。更に…あの時、貴女は瓶から種を取り出し、一度握ってからジェマさんに投げた。ジェマさんから種を受け取ったマレーナ様は、今度はキュカさんの手に包ませた。ジェマさんとキュカさんは近くにいたのに直接渡すよう指示をしなかった」
アルト様説明に、ラインハルト殿下の瞳に希望が宿る。ただでさえキラキラと美しい彼の瞳が、真実を待つようにマレーナ様へ向けられた。
「貴女が種に触れるたび、成長が加速していた。……違いますか? 貴女は自分自身の力を、あえて子供たちの手柄に見せかけようとしたのでは。」
静まり返った事務所に、アルト様の推論が鋭く響き渡る。
マレーナ様は、苦虫を噛み潰したような顔で眉間に深い皺を刻んだ。
沈黙が、重く、長く部屋を支配する。
やがて、彼女は諦めたように肩の力を抜いた。
「…はぁ………そうよ。工房で種を拾ったのも私よ。世間話も交えて少し聞き込みをしていてね。でも、私だけ神殿に行っては子供達がどうなるか…。子供達を安全で蔑まれない場所へ送り込めるなら、それが一番だと思ったわ。」
マレーナ様の口からこぼれたのは、紛れもない真実。『悪い女に騙されないか心配』と漏らしていた彼女の言葉は、現在進行系で『騙されてるわよ?』と言っていたのだろうか。
「それなのに、殿下が子供達全ての親になるとか言うものだから…」
「全ての親になるさ、愛しい人の大切な存在だ。無下にはしない。絶対に」
突き動かされるまま、吸い寄せられるようにマレーナ様の元へと更に詰め寄っていく。
マレーナ様は逃げ場を失った獲物のように、背を丸めて観念したような溜息を吐いた。
「ここまで真っ直ぐに来るから調子が狂ったわ。」
ふん、と鼻を鳴らした彼女だったが、その瞳にはどこか負けを認めたような色が混じっている。
「ラインハルト殿下は、私が聖女かどうかなんて関係なしに、本能だけで私を嗅ぎ分けたようだけどね?だけど、私に自身に何か力があるわけじゃないのよ、その種だけ不思議と成長しただけで…」
「貴女に力があるかどうかなど関係ない。…私は貴女をこうして愛することができて、見つけることができてこの上なく嬉しいと思っているよ。2人に感謝しなければならないね」
その言葉に、事務所を包んでいた緊張が温かなものへと溶けていくのを感じた。
ああ……良かった。
マレーナ様が聖女だった。
彼女の慈愛が、子供たちを守ろうとしたその祈りが、この奇跡を起こしていたのだ。殿下の想いは、聖女を見つけ出すと同時に、一人の女性としての彼女の心をも救い上げた。
気づけば、私の視界は滲み、熱い雫が頬を伝っていた。
一人の女性が、幸せへと踏み出す事ができた安堵と感動。自身の辛い環境の中でも人を助け続け、訪れた幸せの入り口を目の当たりにした。
ぐちゃぐちゃになった感情が溢れ出し、私は立ち上がると、精一杯の祝福を込めて手をパチパチと打ち鳴らした。
「良かった……。本当に、良かったです……っ!幸せになってください!たくさん幸せになってください!!」
泣きながらパチパチと手を叩く姿は滑稽かもしれないけれど、感情が先へと動いていた。
「皆様、これで幸せになれますね……マレーナ様も、子供たちも、殿下も……っ殿下のお力添えがあればきっと、もっと環境がよくなるはずです」
嗚咽を堪えきれず、私は泣きながら何度も頷いた。自分の立場や、家のこと。そんなもの全てを忘れて、目の前の真実の愛の結末に、ただただ胸を熱くしていた。
私はどんなに感動する舞台を見てもここまで涙することは無かったのに…とても不思議な気分だ。
すると、隣から影が差した。
「……ノーラ様。」
困ったような、けれどひどく優しい声。
視界の端に、アルト様の端正な横顔が見えた。彼は迷うような仕草を一度だけ見せた後、上着のポケットからハンカチを取り出し、私の手元へと差し出してくれた。
「使ってください。」
「ありがとう、ございます、アルト様」
差し出されたハンカチからは、アルト様の清潔な香りがした。
「いい香り、…グスン」
「匂いを嗅がないで下さいよ」
涙が止まらずにいると、1人の聖女候補とされた人物が、申し訳なさそうに手をヒラヒラと上げる。
「ごめんね、そこの優しいお嬢様?私が側にいると、みんな素直な感情が出やすくなっちゃうの。影響を受けやすい人と受けない人にバラツキはあるんだけど、お嬢様はやたら影響を受けやすいのね。」
その女性は殿下とマレーナ様を見て言葉を続ける。
「ママに、また変な男が寄ってきたのか!?と思って、本性暴いてやる!!って少し本気になり過ぎたみたい。」
「そうなんですね、ひっ、んぐ…。そのお陰で殿下の、素直な気持ちが伝わって……皆さんは、殿下の後押しをした、のですね」
私が感情的になっているのは、聖女候補だった人物の能力だったようだ。納得したけれど涙は止まらない。若干過呼吸にも近い状態になってきたから止めたいのに止まらない。そうしていると、ジェマさんがトコトコとやってきてアルト様の背中をどついた。
「いだっ!!」
「落ち着くまで別室を貸してやる、暫く離れれば落ち着くはずだ。王子様の護衛を事務所に入れる事を許可してやるから…お前がこのお嬢様に付き添え。」
「押すな。でも助かる。別室を借りよう、ノーラ様はこちらに」
「うっ、うう、はぃ、ひっく」
聖女も誰なのか判明した。
ここからは殿下と騎士達に任せて大丈夫だろう。アルト様もそう判断したのか、事務所の裏口へ繋がるキッチンのある部屋へ通して貰った。




