殿下の趣味は推理小説を読むこと
ラインハルト殿下の瞳は、目的地に近づくにつれ少年のように輝きを増した。探偵事務所の扉の前に立てばもうキラッキラだ。
「これが『探偵事務所』か。最近読んだ推理小説の舞台によく似ている。実に興味深い雰囲気じゃないか。」
弾んだ声でそう語る殿下を横目に、私とアルト様は顔を見合わせ、声を殺して溜息をつく。
重厚な扉を前に、私の胸中には別の不安が渦巻いていた。
殿下の好みは「癒やされる人物」だ。
不気味な笑い声を上げるキュカちゃんが、果たしてその範疇に収まるのか。成長すれば…好みになると遠い未来を想像してくれればいいのだけど。
複雑な思いを抱え、扉に手をかけようとしたその刹那。
「止まれ」
低く鋭い拒絶が、中から響いた。
勢いよく開いた扉から現れたのは、美青年のような出立ちのジェマさんだ。彼女の視線は私たちを通り越し、背後の路地の闇へと冷たく突き刺さる。
「お前たちの連れか? あの路地裏に潜んでいる、平民に化け損ねた騎士共は。無粋な犬に嗅ぎ回られるのが大嫌いなんだ、事務所に入る事は許さないからな」
ジェマが指差す先には、気配を殺して控えていたはずの護衛騎士たちがいた。
「いかがいたしますか?」
アルト様が伺いを立てると、殿下は事もなげに頷いた。
「あれを見破るとは流石だ。彼らには事務所の入り口から離れて待機するよう命じよう。名探偵の隠れ家を荒らすのは、私の本意ではないからね」
殿下の命を受け、路地の影から無念そうに騎士たちが後退していく。それを確認し、私たちはようやく、薄暗い事務所の中へと招き入れられた。
カラン、と乾いたベルの音が室内に響き渡る。
古い紙と高価な香油が混じり合った独特の香りに満ちた空間。その中央、大きなデスクの向こう側に、彼女は座っていた。
「……あら、可愛らしいお客様が一人増えたのね。許可は下りたのかしら?」
扉の音が響くなり、書類から顔を上げたママ。豊満な胸元を揺らし、妖艶な笑みを湛えるその姿には、前に訪れた時のまま。
ラインハルト殿下は、事務所に一歩足を踏み入れるなり、鋭い視線で室内をゆっくりと見渡す。
影のように控えるジェマさん、そして不気味な笑みを浮かべる少女のキュカちゃん、最後に机の向こうで不敵に微笑む「ママ」へと移る。
「……素晴らしいな。探偵の隠れ家に相応しい、見事な空間だ」
安物の麻シャツを纏っているはずなのに、その一挙手一投足は王族そのもの。ママは優雅にデスクの椅子から立ち上がると「では、話しを伺いましょうか?」とソファへ案内した。殿下は、戸惑う私達を背にテーブルを挟んだママの正面にあるソファへと迷わず腰を下ろす。さすがに肝が据わっている。
「正式に、私から依頼をさせてもらう」
殿下の凛とした声が事務所に響く。
このピリリとする緊張感に思わず息を呑んだ。確かに、殿下が自らが依頼をすれば、調査は格段に早まるはず。
殿下は懐から、私が渡した芽が覗く種の入った小瓶を静かに取り出し、テーブルにコトリと置いた。
「この種を芽吹かせた女性を探している。国にとって極めて重要な『聖女』の可能性を持った人物だ。……貴殿の目と知恵を貸してほしい」
心の中で安堵の溜息をついた。アルト様もこれで事が進むと確信した様子。
……
しかし。
「だが、依頼の話の前に……私の疑問に答えてもらえないだろうか」
ママが眉を片方上げ「何かしら?」と短く応じる。
「この事務所の主であるオーナー。……ママと呼ばれているようだが、これほどの『知性』と『美』を兼ね備えるに至った経緯に、私は言いようのない興味を覚えている」
「…私に?」
「……は?」
アルト様の喉から、変な音が出た。
殿下は、ママの白く長い指先をまじまじと見つめ、紳士的に身を乗り出した。
「今、目の前にいる貴女という『奇跡』に、聖女以上の魅力を感じている。それは聖女と言う存在が霞むほどに。…貴女のような魅力と包容力に満ちた女性を喜ばせるには、一体どのような言葉が必要なのだろうか?」
「ま、待った待った!!話が違うっすよ!何口説いてんですか!」
アルト様の叫びが室内に響いた。
オーナーであり、ママと呼ばれる彼女の豊かな胸へと視線を向けて考える。
(まさか、殿下の求める癒しって。あの物理的な包容力なのでは!!)
探偵事務所で、私に一つの名推理が降ってきたのだった。




