探偵事務所
職人の分厚い掌へ、そっと謝礼を差し出す。それに満足したのか、男は「じゃあな、また何かあれば声をかけてくれ」と短く残して帰っていった。
私たちは、先ほど職人が指し示した「不気味な少女」の背後を、悟られないよう慎重に追うことにする。
一見ボロボロの…しかし目立った汚れはない清潔な服を纏った彼女。やはり誰もいないはずの空間を右へ、左へと不自然な歩取りで避けて進む。
「キキキ……ケケケケッ……」
不意に、少女の口から湿り気を帯びた笑い声が漏れた。
子供らしい無邪気さとは程遠い、背筋が粟立つような響き。聖女という言葉から抱いていた神々しいイメージがどこにも見当たらない。
「アルト様…」
耐えきれず、私は隣を歩くアルト様の腕に、縋りつくようにしがみついた。上等な外套の袖越しに、彼の確かな体温が伝わってくる。
「ノーラ様!? ど、どうしたんですか、急に……!」
驚きに目を見開いた彼が、慌てて私を覗き込む。私は顔を伏せたまま、震える声で精一杯の言葉を絞り出した。
「アルト様……、私たち、今の間だけ『恋人設定』にしておきましょう。こんな夜更けに制服を着た男女がいたら、ほら、恋人の方が説明つきます。……腕、お借りします」
「こ、恋人……!?」
いつもは殿下の隣でどんな難題も流暢に捌く彼が、今は信じられないほどの間抜けな声を上げている。強がってはみたものの、私の様子で察したのか…アルト様は小さく息を吐く。ぎこちなく、けれど力強く、私の手を自分の腕の中へと引き寄せてくれた。
「……了解しました。何かあっても必ず守りますから…安心してください。」
彼の声は少しだけ上ずっていたが、その手は優しく私を支えてくれた。腕越しに伝わってくる鼓動が、自分のものなのか、彼のものであるのか、もう判別がつかない。
得体のしれない不気味さで、それどころじゃない。
そうして「恋人」を演じる…ということにして少女の後を追う。すると、少女はある建物の前で足を止めた。歴史を感じさせる石造りの建物だった。古びてはいるが、窓硝子は磨き抜かれ、入り口の真鍮のプレートは月光を反射して美しく輝いている。
看板には、こう記されていた。
『探偵事務所』
少女は振り返ることなく、まるで吸い込まれるようにその扉を開け、中へと消えていった。
「探偵、事務所……?」
アルト様が眉を寄せ、私を守るように一歩前に出る。
「……俺が先に入ります、ノーラ様は後ろにいてください。」
彼が重厚な木製の扉に手をかけ、ゆっくりと押し開こうとした、その時だった。
「ママ、ラブラブカップルが私の後をついてきたの」
扉の奥から、先ほどの少女の声が響いた。
路地で聞いたあの不気味な笑いとは打って変わった、透き通るような、それでいてどこか冷めた大人びたトーン。
「っ……!」
「ラブラブ、カップル…」
私とアルト様は、思わず顔を見合わせた。
尾行は完璧だったはずだ。それなのに、あの幼い少女にすべて見透かされていたというのか。
「……失礼します」
アルト様が意を決して扉を押し開けた。
カラン、と乾いたベルの音が室内に響き、私たちは一歩中へと足を踏み入れる。
中は、外観の印象を裏切らない落ち着いた空間だった。壁一面を埋め尽くす書棚には革装丁の古い書籍が並び、微かに煤けた紙と古い木材の匂いが混じり合っている。
部屋の中央、大きなデスクの前に、あの少女が立っていた。
彼女は机の向こう側に座る女性を見つめながら、指を一本、入り口の私たちの方へと向ける。
「ほら、あのお兄さんとお姉さん。ラブラブカップル」
「キュカ…ラブラブカップルを無闇に冷やかすものではないよ?いらっしゃい。……キュカを追いかけるような物好きな『恋人』さんたち」
デスクの主が、手元の書類からゆっくりと顔を上げた。
「ママ」と呼ばれたその女性は、30代くらいだろうか?大人の色気が凄い。宝石のような美しい瞳で、私たちに視線を向ける。豊満な胸元を強調するような動きやすいドレスを纏い、妖艶な笑みをみせる。
その圧倒的な存在感に、私は思わず気圧された。
(お胸が大きい!!)
彼女のすぐ傍らには、もう一人、別の女性が立っていた。
短く切り揃えられた髪は、一見すると美青年のようにも見える。しかし体には確かに柔らかそうな部分があり、女性なのだと理解する。
護衛のように控える彼女の視線は、怪しい私たちのわずかな動きも逃さないと言わんばかりだった。
「なんだ?お貴族様の駆け落ち依頼ならお断りだが」
「ジェマ、ラブラブカップルだからと駆け落ちと決めつけてはいけない。」
そう面倒くさそうに言うジェマと呼ばれた護衛らしき女性。この事務所はやたらとラブラブカップルをイジってくる。
ママと呼ばれた妖艶な女性はそう言うと、書類を机に置き、組んだ脚をゆっくりと組み替えた。
「さて、うちの娘に何か用かしら? それともご依頼?」
場を支配するような彼女の問いかけに、アルト様は前に一歩踏み出し、再び冷静な表情を取り戻した。
「工房で、寮母が落とした種を拾ってくれた『女の子』を探している。」
「それは、依頼…と言う事でいいのかしら?」
情報を聞くならば出すものがあるよね?と言うように微笑むママさん。私は彼の背中から出て、ママさんに向き合う。
「私から依頼させて下さい。私の、人生がかかっています。」
「そう?いくら出せるのかしら、お嬢様?」
依頼人が私となると、本気を試すように見ている。ここは、安く見積もってはいけない。そう直感が言っている。
「まず、着手金としてこちらを。更に必要な費用があれば、追って必ずお支払いいたします」
私は懐から、今ある全てのお金を取り出した。今の手持ちだけでもそれなりに高額だ。ママさんの前に差し出せば、ズッシリとした音だけで高額だと分かる響きが室内に伝わる。
そんな私の覚悟を理解したように、彼女は私の差し出したお金の中から一番軽い硬貨を拾い上げた。
「ひとまずはこれで、話を聞こうか」
「ありがとう御座います」




