心当たりのある人物
愛されている実感。
……確かに、それが少しでもあれば迷わず婚約を進めることができるのに。
(私から聞くべきかしら。「私のことを愛せる可能性はありますか?」と……)
けれど、ここは社交界という戦場。打算があれば、本心を隠して「愛している」と囁く者は山ほどいる。そんな愛が欲しいわけではない。考えていると、アルト様が少し虚ろな、それでいてどこか真っ直ぐな瞳で私を見つめた。
「ノーラ様は…結婚された際、愛人は欲しいんですか?」
「え?」
あまりに唐突で恥ずかしげもない問いに、ドキリとした。教室でするような話ではない。心なしか、周囲の生徒が聞き耳を立てている気がする。…ここで濁しても変に思われてしまう。
だから極めて冷静に…落ち着いて言葉を返した。
「家同士の契約と割り切った夫婦であれば、愛人のいる貴族も実際いるのでしょう。特に祖父や祖母の時代には。その結果、どれほど無駄な争いが起こったか…私達は知っています。互いに愛人を認める夫婦でない限りは、愛人を持たない方が良いでしょうね」
すっっっっっごく当たり前の事を丁寧に言った。
私個人で言うなら愛人なんて一切認めないが…それがアルト様にとって窮屈と感じてしまえば保留の婚約自体なくなってしまったら…。
完全に怖気づいた結果こうなった。
結局、私は愛を求めながら彼自身を求めている。彼からの愛しか求めてない…。そしてその愛が手にはいるかも分からず悩んでいる。
「……そうですか。互いに認めない限りは…。」
私の言葉を反芻するように呟くと、ふっと視線を落とした。その横顔がいつになく真剣で素敵だ。
「俺は、非効率なことが嫌いです」
唐突に、彼はいつもの正論パンチを繰り出す調子で話し始めた。
「一人の相手を幸せにするだけでも労力は大きい。子供の事を考えれば教育にも、親としての関わり方や見せる姿勢も含め更に労力が必要です。別の存在に戦力を分散させるなど、戦略的に見て愚策の極みだ。夫婦共に、愛人を持たない方が家庭という組織を運営する上で合理的です」
何やら私を説得するかのように話すアルト様。私は一応愛人反対派なのだけど…
ただ、それでも彼は一途に家族だけに労力を使う人なのだと理解出来て良かった。ホッと胸をなで下ろすと、サティは何だか面白いおもちゃを見つけたように笑う。
「アルト様は自分も奥様も愛人を認めないと。良い心がけね。でもね、それも愛情表現が不足したら内緒で作られるだけ」
「くっ」
アルト様は何と戦っているのだろう。とても大きなダメージを受けたように声が出ている。サティは次男からの手紙をぎゅうっと抱きしめて、夢見る少女のように「はぁ~」と声を漏らす。
「 私は、彼からこんな熱い手紙を貰っただけで彼で頭がいっぱいなの。他の人なんて考える隙も無くなるってもんよ?できる?童貞のアルト様に愛情表現は」
「だから経験自体に意味は…」
「できる?」
「俺は優秀だ、やればできる」
アルト様がムキになって言い返すと、サティは待ってましたと言わんばかりに、私の方へ手を差し出した。
「じゃあ、その優秀なアルト様に教えてもらおうかしら?」
「?」
「女性への愛情表現の基本は褒める事よ。試しにノーラの良いところ5個言ってみて」
「サティ、何を突然!」
私は慌てて親友を止めるフリだけする。本気では止めない。気になるもの…
ゆっくりとアルト様を見ると、彼は顎に手を当て、真剣な目つきで考え込み始めた。
沈黙が流れる。
十秒。
二十秒。
三十秒…くらい?
(……すぐには…出ないの?)
あんなに真剣に考えているのに、一向に言葉が出てこない。
沈黙が長くなればなるほど、胸の奥がチリチリと痛みが増してゆく。私の良いところなんて、彼の中には一つもストックされていないのかしら。だとしたら、あまりに悲しい。……泣きそうだ。
「もう、サティ……彼を困らせないで」
「えっ、あ、ごめんノーラ……」
私の声が震えていたのか、サティが慌てて謝る。本当に、このまま惨めに立ち去りたい気分だった。
そう思った時。アルト様が顔を上げた。
「5個に絞るのは難しいっすね…絶対5個ですか?」
「え?いや、5個よりあるなら出してみていいけど」
サティが呆気に取られたように答えると、アルト様は自らの指を一つずつ折りながら話し出した。
「次期当主として教養が素晴らしい。この教養について具体的に話せば5つをあっという間に超えてしまう。しかしその教養を一纏めに『教養が素晴らしい』と表現してしまうのは愚かな行為だ。姿勢にも作法もしっかり習得されている。殿下にも怯まない強さ、媚を売ろうとも取り入ろうともしないところも。さっぱりとした関係性が清々しい…コレを一言でどう表現するかも悩むところだ。」
最後に、少しだけ声のトーンが落ちた。
「それに…美しい、髪も、瞳も、肌も。声も……ずっと聞いていたいほど、心地よい」
「わっ、わぁぁぁ!!」
耐えきれず、私は正面から彼の口を両手で塞いだ。
柔らかい唇の感触が手のひらに伝わる。顔が、これまでの人生で経験したことがないほど熱い。
「む、むぐっ……!?」
「そこまで! そこまでで結構ですわ、アルト様!さすが優秀ですわね!!」
サティは「はいはい、ごちそうさま」と言わんばかりに、優雅に帰り支度を整えていた。




