人違いです。
私が聖女?
あり得ない。
しかし殿下は少し考える素振りを見せた後、真剣な眼差しで私に向き直る。
「それは授業で、女子生徒に配られた種で間違いない……そうだろう?」
「そうですが……」
「父上…国王陛下が、聖女を探すために学園の女子生徒に育てさせると配ったものだ。聖女が触れると芽を出すと伝えられている樹の種をね。虚偽の報告がないよう、あくまでも芽が出たら『幸せ』が訪れるとだけ説明して」
殿下の口から語られた驚愕の事実に、隣にいたアルト様が目を丸くした。
「そんな話……俺たち側近にも聞かされてないんすけど!?」
「言わないさ。知っているのは私と両親だけだ」
「ってことは……エレオノーラ様が、その、聖女様、なんすか……?」
アルト様とラインハルト殿下、二人の視線が突き刺さる。私は背筋に冷たいものを感じながら、首を横に振った。
「そんなこと、あるはずありません! 私は人生でこれっぽっちも、聖女らしい慈悲深いことなどした覚えはございません!」
自分で言っても悲しくなるが、私は聖女になれるような器をしていない。
この国で言う聖女は、慈悲深く、無欲に誰かのために動ける人間のことを指すはず。この国の歴史で聖女と呼ばれた人物は皆、人を助けたり、自然を愛し恵みをもたらしたり、動物に愛されたり…妖精?と話ができるなど少し人間離れした存在だ。
しかし誰もがその人物を聖女と認める、そんな崇高な存在。
私は自分の家を守るため、自分の愛を手に入れるために行動している。そんな私が「聖女」だなんて、笑えない冗談だ。
殿下も、どこかしっくりこないといった風に私を眺める。
「そう、だろうな……。聖女といえばもっと、こう、優しさに溢れた、包み込む光のような癒しの存在だろう? エレオノーラ嬢はどちらかというと……」
「違うと否定した手前アレですが、その言い方は失礼極まりないですわ、殿下」
「やはり、聖女にしては圧が……だな。まあ、だが君が聖女だというなら……」
「違うと言っているじゃありませんか。種から芽が出たくらいで!」
さっきまで幸せを呼ぶと期待した種は、私の中で「ただの種」へと成り下がっていた。私と殿下の間には、いつしかバチバチとした火花が散り始めてる。そんな私達の間に、頼もしい姿が割り込む。
「……殿下。一つ、よろしいでしょうか」
静かな、けれど良く通る声。
私たちの様子を黙って見守っていたアルト様が、ゆっくりと顔を上げ、殿下を真っ直ぐに見据えていた。
「なんだい、アルト」
「殿下は……『聖女』だから、エレオノーラ様をこれから愛されるおつもりですか?」
その問いは、あまりに純粋な問いで、この場の空気を一変させるものだった。
殿下は驚いたように目を見開き、彼を凝視する。
「それは……どういう意味だい。私が聖女を待っていたことは、君が一番よく知っているはずだ」
「はい。存じております。殿下がまだ見ぬ運命の相手のために、どれほど己を律し、高潔であとうと努めてこられたか……。私はそのお姿を、心から尊敬しております」
アルト様は一度言葉を切り、悲しげに、けれど揺るぎない瞳で続けた。
「ですが、エレオノーラ様とは……今まで学園や夜会、社交の場で幾度となく言葉を交わしてきたはずです。その過程で、彼女の知性や高潔さに触れ、好意が生まれるのであれば分かります。しかし」
アルト様は、一歩踏み出した。
「『聖女かもしれない』という可能性が出た途端、これまでと違う好意を向ける……。それは、殿下の理想とする『愛』なのでしょうか?」
カフェテリアに静寂が流れる。
アルト様の声は決して大きくはなかった。けれど、そこには心から慕う主君が、伝説という名の「条件」に自らの心を無理やり当てはめようとしていることへの、深い危惧が込められていた。
「殿下の祖父君――前国王陛下が『聖女だけを愛したかった』と言い残されたのは、その女性を心から…誰よりも愛していたからではありませんか?」
殿下の肩が、僅かに震えた。
「殿下がここで『聖女かもしれないから愛そう』とお考えになり、愛を間違えては……。殿下がこれまで守り抜いてきたその『清さ』があまりに報われない」
彼の静かな問いかけが、殿下の胸の奥深くに沈み込んでいくのが分かった。
殿下は、私に差し出そうとしていた手をゆっくりと下ろす。それは、自分の行動にひどく驚いているように見える。
沈黙の中、私はアルト様の横顔をじっと見つめていた。
(今日も彼の正論は切れ味抜群ね)
彼は、私が「聖女」という枠に押し込められることから、そして殿下が「偽りの愛」に走ることから、その言葉で二人を救った瞬間だった。




