<6>悪魔の囁き
「そうはおっしゃいますけど、相手は第一王子。王太子ですよ。我が家が匿ったと知られると何かと面倒では?」
見せしめとして重税でもかけられたらどうするんだ。エバン公爵令息のことはもちろん気がかりだが、うちだって風が吹けば吹き飛ぶような男爵家なんだぞ。
「そんなことはないが?」
呆れる俺に、母上が訳ありげに口角を持ち上げる。
「王家との取引は貿易船関連のみじゃないか。あれだってうちと切れて困るのは向こうだし、多少圧力をかけられたところで、今更どうってことないでしょう?」
ニコニコ笑う顔の裏から黒いものが滲み出ている気がする。これは以前に何かしらかで辛酸を舐めさせられた恨みがあると見た。
「うんうん、これ以上拗れようがないからね」
母上のイエスマンに成り下がって久しい父上も笑顔で頷く。
「クロイツェル家の貿易船は他国との信頼関係の柱だもの。無下にできるわけがないよね」
なるほど、一応父上にも思うところがあるらしい。しかし、これはそんなに簡単な話ではない。
「そもそも、公爵令息の居場所だってわかっていないんですよ」
どこにいるかも知れない相手をどうやって招待するって言うんだ。
頭が痛くなるのを感じながら、拳をギュッと握りしめる。
そりゃあ、俺にだってエバン公爵令息を救いたい気持ちくらいはある。
美しく聡明なあの方に辛い想いはさせたくない。だけど、世の中どうにもならないことだってあるんだ。
そんな当たり前のことを母上は度外視しているらしい。
「追跡魔法がかけられていないってことだろう。かえって好都合じゃないか」
簡単に言ってのけるけど、だからこそ探すのが難しいと理解していらっしゃらないのだろうか。
「国外に出られていたらどうするんです?」
エバン公爵令息くらい外国語が堪能なら、隣国でも全然やっていける。むしろ優秀さを買われて中枢に匿われていても不思議ではない。
「王都から関所へ行く道で、最も近いのが我が領じゃないか。出国されるなら、うちの船を使われるはずだ」
母上がクイッと視線を上げてギュンターを見やると、仕事のできる彼は一つ頷いて要求に応えた。
「エバン公爵令息らしき人物は出国者リストに載っておりません」
淀みなく得られた回答に母上は満足したらしい。カップに口をつけながら、けしかけるように今度はこちらを向く。
「見てみろ、案外近くにいるかもしれないぞ」
と、ここまではいつも通り豪快な物言いだったが、次いで息を潜めて、
「上手くいけば誰にも知られることなく保護できる。そうしたら、エバン公爵令息はお前のものだぞ」
悪魔の囁きを俺の耳に吹き込んだ。
思わず母上の顔を凝視すれば、彼は息子のことなどお見通しだと言わんばかりに、意地の悪い笑みを浮かべる。
「確か、彼のことが好きだっただろう? ジェームズ」
図星を突かれて途端に顔が赤くなる。
なぜバレた? どこから漏れた? 誰にも教えていないのに。
「恋心と家門の発展とを天秤にかけて、家門だけを取るような男に育てた覚えはないよ」
ヒラヒラ手を振って、暗にどちらも成し得るのが正解だと伝えてくる母上に、奥歯を噛み締める。
「あのですねぇ、彼とはほとんど話したこともないんですよ」
「ほう、それはラッキーだったな。エバン公爵令息は平民に下ったんだ。今ならお前から話しかけても不敬罪に問われずに済むぞ」
冗談のつもりだろうが、シャレにもなっていない。
誤魔化すように口走ったこととはいえ、斜め向こうな返しをされると、かえって反応に困る。
だいたい好きっていっても、恋愛的なものじゃなくて、あくまで人間的な好意にすぎない。それなのに、あたかも人がエバン公爵令息をそういう意味でお慕いしているかのように断言するなんてあんまりだ。
良心を忘れるのみならず、彼にも失礼だという発想はなかったのか。
諸悪の根源を探るように周囲を見回すと、冷や汗をかいたギュンターと目が合う。
「あまり私の情報網を舐めてくれるなよ」
続く母上の言葉で確信した。
「お前か、ギュンター!」
声を上げれば犯人はすぐに罪を認める。
「申し訳ございません!」
主人は俺だというのに、躾が足りなかったのだろうか。それとも、母上に逆らえなかったのか。おそらく後者だろう。
「でも、これはジェームズ様のためで……」
心がけは殊勝だが、どのような場合であっても裏切りは許されない。しばらくは暇を出さないでおこう。
俺の確固たる決意を察したのか、
「ほらほら、そろそろお勤めの時間ですよ!」
ギュンターが話を逸らすように揉み手を始める。
確かにもう九時前だ。こうしちゃいられない。卒業パーティーの翌日とはいえ、すべきことは山ほどある。
ちなみに事の元凶となった両親は、俺がギュンターを問い詰めている間に、さっさと仕事に行ってしまったらしい。
見ているこちらが恥ずかしくなるほど仲睦まじく、本日も腕を組みながら港へ向かう馬車に乗ったと家令から聞いた。
両親のイチャイチャなど耳に入れたくはないが、
「旦那様がジェームズ様にも自分たちのように心から想い合える素敵な人と一緒になってほしい、とおっしゃっていましたよ」
などと伝えられれば、先ほどの件も情状酌量の余地あり。大目に見ようという気にもなってくる。
だけど父上、母上の手綱はきちんと握っておいてください。あなたのミューズのせいで息子は罪人になるかもしれませんよ。
少なくとも、この時、俺が悪魔に唆されたのは紛れもない事実なのだから。




