<4>エバン・アルベールという男
エバン・アルベール。
ゲーム内では悪役として描かれていたが、現実世界の彼は何においても完璧な公爵令息として有名だった。
試験では常に首位獲得。特に座学と魔法が得意で、その魔力量の多さから卒業後は中央の魔法局への配属が決まっていた。
その上、王太子妃教育に熱心で、社交にも長け、外国語まで堪能だと聞く。
しかも、主人公以上の美貌まで兼ね備えているのだから、この世界でも神様は不公平だ。
とはいえ、天よりも高い評価の大半はオーバーワークと断じていい程の努力の成果。素直に「すごい」の一言に尽きるのだが、第一王子からしてみれば、あんなのと常に比較されるなんて堪ったものじゃなかったのだろう。
それでも、将来の国母としてふさわしい人を自ら手放すなんて愚かだとしか言い様がない。それも、天使のような輝きを放つ美しい人を。
シリルとも第一王子とも接点を持ったことなど一度もないが、絶対に主人公よりエバン公爵令息の方が魅力的に決まっている。彼は決して悪役令息なんかじゃない。
普段は淡々としている彼が本当は優しい人だってことを、俺はちゃんと知っているのだから。
あれは一年生の頃だった。
入学式からまだ一月も経っていない時期に一度だけエバン公爵令息から話しかけられたことがある。
話しかけられたと言っても、実際には落としたノートを拾ってくれただけで何か特別なやり取りがあったわけではない。
だけど、普段お高く留まっている貴族連中が苦手な俺にとっては、
「殿上人の中にもこんなに親切な行いをする人がいたのか」
と思い直す良いきっかけとなった。
あれから先、他の高位貴族への好感が上がるような出来事はまったくと言っていいほど起きなかったが、それでもエバン公爵令息の素晴らしさはあの瞬間、俺の中で確固たるものとなった。
何より初日からその美しさで皆の視線を独り占めしていた彼を間近で目にした時の衝撃といったら、今でも忘れられない。
「手伝うよ」
見かけによらず意外なほど気さくな様子で駆け寄ってきてくれたあの瞬間に跳ねた心臓の音が大きかったことも、腰を落としプラチナブロンドの髪を耳にかけた際、わずかに香ったお陽さまの匂いも、長い睫毛の隙間から覗いた緑の瞳がいかに澄んでいたかさえも、目を閉じればありありと当時の光景が浮かんでくる。
まだわずかに幼さの影が残る中性的な顔には笑みこそ浮かんでいなかったが、
「これで全部?」
しゃがみ込みながら最後の一冊を差し出してきた際の声音は、近寄りがたいほど神聖な容姿に反して柔らかかった。
時間にしてわずか数十秒。エバン公爵令息はきっともう覚えていない。ただ、彼にとっては塵芥同然の俺にも親切にしてくれた事実だけが胸の奥にずっと残っている。
しかし、自分こそが彼の例外で特別だなんて勘違いしてはいけない。このような幸運は何も俺一人だけに降りかかったものではなかった。
未来の王妃たるものどこか一つの家門に肩入れしてはならない。
その教えに従って周囲を遠ざけていたエバン公爵令息には親しい友人こそいなかったが、彼を憧れとする学生は星の数ほどいた。
麗しい見目はさることながら、彼に支持を寄せる多くはエバン公爵令息の内面をも買っていた。彼の人望は紛れもなく、誰にでも等しく優しい心根によるものだ。
しかし、それに気づけない者もいる。普段のエバン公爵令息を少し観察すれば、馬鹿でも理解できそうなものだが、表面しか見ていないシリルにはエバン公爵令息が非情に感じられたらしい。
「何考えてるのかわかんない顔で怖いよ!」
そうシリルに批判されていた、仮面で覆ったような表情は確かに貴族らしく一貫して無を保っていたし、第一王子の学友含め他者との馴れ合いに参加することも決してなかった。
だけれど、困っている人を見過ごさない心の豊かさは一般生徒に伝わっていたはずだ。少なくとも俺は彼の温かさに触れた。
その後、脳みそがぼんやりしていたことを置いておいても、直接言葉を交わす機会に恵まれることなく、あの卒業パーティーを迎えたのは口惜しいことだが、身分の差があるのだから、こればかりはどうしようもない。
せめて選択授業だけでも同じだったなら、と思わないでもないけれど、俺には彼のような魔法の才はないし、どのみち家業のためにも経営を学ぶ以外なかったので、過去に戻れたとしても同じことを繰り返していただろう。
つまるところ、主人公みたいな破天荒キャラじゃないと、主要な登場人物には近づけもしないってことだ。
まあ、そのシリルも爵位でいうと俺より断然上。仮に似たようなことをしたとして、お咎めを受ける場合、伯爵家が抗議で済むところを男爵家は取り潰しでも不思議ではないってくらいにはそもそもの待遇が違う。
さすがにそんなリスクを背負ってまで、シリルみたいに、
「同級生なんだからどっちが偉いも何もないだろ? 仲良くしようよ」
などと無鉄砲なフリして高位貴族と関わりに行くのは無理がある。
だけど、断罪を目の当たりにしたからだろうか。後悔はしている。
エバン公爵令息がシリルに嫌がらせをしたとの疑いをかけられた際、庇うことは難しくとも、無実の証明くらいはできたんじゃないかって。
シリルが問題を起こすのは、いつも大衆の目がある場所だった。全てを目撃したわけではないが、派手なパフォーマンスはすぐに噂になっていたし、実際に居合わせたことだって何度かある。
「エバン様がひどい!」
たまたま肩が当たったとか、そんなちょっとのことでも騒いで、攻略対象が駆けつけたところで泣き始めるのがお決まりのパターンだった。
「いくらシリルが気に食わないからって、あまりに冷たすぎません?」
「そろそろ態度を改めたらどうだ」
「公爵令息の風上にも置けん」
シリルに寄りかかられた攻略対象たちは大抵そのまま主人公の主張を鵜呑みにして、エバン公爵令息を責め立てる。
「婚約者がいる者に対して、あまり親しくされすぎるのは無作法だと注意しただけです」
初めのうちは真面目に反論していたエバン公爵令息だったが、そうすると嫉妬だなんだとシリルがますますうるさくなったため、しだいにまともに取り合うのを止め、ついにはだんまりを決め込むようになっていった。
しかし、シリルにはそれが面白くなかったらしい。エバン公爵令息から相手にされなくなった途端、あろうことか今度は自らエバン公爵令息に絡みだしたのだ。
「今ぶつかったの絶対わざとでしょ!」
このレベルまでくると言いがかりの域を越えて、もはや自作自演の三文芝居でしかない。
一人でよろけて一人で転ぶ。そんなわかりやすい演技を、なぜ優秀とされる攻略対象たちが見抜けなかったのか。
真偽のほどは定かでないが、もしかすると、俺の頭に靄がかかっていたのと同じで、ゲームの強制力が働いていたのかもしれない。
何せゲームの世界のエバン公爵令息は悪役令息なのだから作中通りに事が進めば主人公に退治されるし、敗れた後は貴族社会で生きていけなくなる。
俺がもっと早く前世を思い出していたら、社交界を追放とまではならなかったかもしれないが、これは王家が決めたこと。一貴族が口を出すことなど許されない。
なんとかして少しでもエバン公爵令息の力になれたら良いのだけれど、下級貴族にできることなどたかが知れている。
そうでなくても、俺が実行に移す前に公爵家が動いているはずだ。
そんなことを考えているうちに、寝落ちてしまったらしい。
ペンを握りしめたまま眠ってしまったのが悪かったのか、目が覚めて最初に視界に入ったのは、あまりに酷すぎる筆跡の数々だった。




