<24>深刻なエバン不足
忙殺されているだけならまだ良かった。
「ギュンター、エバンが足りない」
領地経営に商会の仕事、街の揉め事の処理に追われるような、目まぐるしい日々が相変わらず続いている。
積み上がった書類に目を通し、確認のサインをするだけでも大変なのに、もうずっとエバンが傍にいない。こんなの弱音でも吐かなきゃやってられないって。
それなのに、心の機微とは無縁のギュンターは非常に厳しい。
「朝食で同席されていましたよね? 夕飯もご一緒されるのでしょう?」
冷めた目で淡々と事実を並べ立てている。
俺だって頭では理解しているさ。エバンが隣にいる方が特別で、昔は彼がいないのが普通だった。
しかし、三ヶ月も補佐をしてくれていた相手が工房へ行ったきり。職務中まともに顔も見られない状態になってしまった。このダメージは計り知れない。
「ほら、エバン様が作成された書類ですよ」
彼の余香漂う紙切れをちらつかされれば、受け取るしかない。魔道具研究の合間に用意したにしては完璧すぎる筆致。修正箇所など一つも見当たらなかった。
「どうしてエバンは商会に来ないんだ?」
「お越しになるまでもないからでしょう」
正論だ。確かに現状必要な仕事はこれで間に合っている。エバンが工房にばかり通っていても何の支障もない。
だが、それは業務面での話。
「そうだけれども」
寂しいのは俺だけなのか。
離れてみると彼の偉大さが身に染みる。エバン不足で今にも倒れてしまいそうだ。
「恋人でもないのに束縛なんて嫌われてしまいますよ」
机に突っ伏していると、残酷な声が上から降りかかった。前にも似たようなことを母上に言われた気がする。耳が痛い。
「ジェームズ様の明るい未来を思って申し上げます。率直に言って重すぎです」
きっぱり断じられ、さらなる追加ダメージが入る。
「重いって……」
薄々気がついてはいた。最近今までにない独占欲というものが湧いて出るようになってきつつある。
屋敷の侍女が毎朝エバンの髪梳き係の座を奪い合っていると聞くと羨ましくて仕方がないし、エバンが工房主を褒めると心に波風が立っていけない。
ついこの間なんかは、エバンの風魔法のおかげで熱く籠った工房の空気が涼しくなった、との報告を受けて地団駄を踏みかけたほどだ。彼を扇風機代わりに使うとはけしからん。
しかし、だからといって物理的に行く手を阻んだり、縋ったりするような真似はしていないのだが、ギュンターの目にはよほど重症に映っているらしい。
「ウジウジしないでください。暑苦しい」
「暑苦しくなどっ!」
「あります」
港町に吹きつける、熱波に満ちた潮風並みに鬱陶しいと言わんばかりのその態度。主人に対する敬意など微塵も感じられない。
「これだから情緒が育っていない人はダメなんです。もっと自覚してください」
やれやれと首を横に振られれば、さすがにちょっとムッとする。
だけど、ギュンターの意見が概ね正しい。
「ジェームズ様がエバン様をお慕いされていることくらい皆勘づいていますけどね。ですが、肝心のご本人に知られていないようじゃ話になりませんよ」
夜会もそれで断っているのでしょう、と鋭い視線まで向けられる始末。
突かれれば痛いところまで彼には全部お見通しである。
「大したアピールもできず、想いを告げるわけでもなく。それなのにイチャイチャと。まったく、こんなヘタレに育てた覚えはありませんよ」
もはや何目線かもわからない文句だが、妙に的を射ているのだから侮れない。
「エバンは婚約破棄されたばかりなんだぞ。たった数ヶ月しか経ってないのに、告白なんかできるわけがないだろう」
第一王子とはあくまでも政略的な関係。恋心を寄せていたわけではないと言うけれど、断罪のことで恋愛不信に陥っている可能性もある。慎重になっていてもおかしくない。
「だから、少しずつ距離を縮めていこうと……」
反論を最後まで聞くことなく、ギュンターは俺の顔を一瞥して溜息を吐いた。
「王太子殿下はそれよりも前に乗り換えていらっしゃいますけどね」
とんでもなく不敬だけれど、事実なので否定はできない。
そりゃあ、俺だってできることならシリルたちに意趣返しの一つや二つしてやりたいさ。だけど、俺にも守るものがある。
物語の主人公と違って現実を生きているんだ。多少の失礼をかますくらいならまだしも、正面切って戦を挑むことはできない。
「遮音の魔道具があって良かったな」
「確認した上で発言しております」
家の者はもちろん、ギュンターもエバンを気に入っている。そのため、つい肩入れしてしまって王家を批判したくなるのだろう。
エバンをうちに引き入れたきっかけが、彼の持ってきた報せなので尚更気にかけてくれているらしい。
「それにしても、我がクロイツェルの次期当主ともあろう方が恋に奥手とは……嘆かわしいにも程があります」
いちいち棘のある言い回しではあるが、俺のためを思っての言葉だ。ありがたく受け止めさせてもらう。
「心配しなくとも、近いうちになんらかのアクションは起こすつもりだ」
外堀はだいぶ埋まってきている。
狙った獲物を確実に仕留められるよう、念入りな準備は進めるのがクロイツェルのやり方だ。
「私が気を揉むまでもございませんでしたね」
彼もそうとわかっていて、宙ぶらりんになっている関係に喝を入れたにすぎない。
誰も聞く人がいないのに耳打ちする姿勢を取ったギュンターに合わせて身を屈め、
「街では坊ちゃんに恋人ができたと噂になりつつあります。誠意があるのでしたら、けじめは早めにつけた方がよろしいかと」
含みのある忠告にしかと頷く。
なんだか発破かけられているみたいだ。
「ジェームズ様、フラれないといいですね。工房はもうエバン様がいないと回らないとか」
すっかりこの地の一員になったエバンを今更手放すわけがない。
「夫人業が加わるとなると困るのは工房だろう。あまり負担をかけさせないよう伝えてくれ」
まあ、彼なら軽く両立してしまうのだろうけど。想像して口端から笑みが零れる。
明るい未来を胸に抱きながら、それを叶えるため、まずは目の前に積みあげられた書類を一枚手に取った。




