<23>真夜中のバルコニーで
エバンが正式に工房の一員となった夜、俺たちはちょっとしたお祝いをした。
母上が門出だと言ってまたワインを開け、父上共々出来上がったところで各自解散となった。
酔った二人の相手をギュンターに押しつけ、自室に戻ってみたはいいものの、なんとなく手持ち無沙汰でいけない。
明日からもエバンは暇を見て商会を手伝ってくれることになっているし、屋敷でも顔を合わせることに変わりない。
しかし、そうわかっていながらも、俺の心は底知れぬ焦燥感のようなものに襲われていた。
職人たちは雑なところもあるが、基本的には気のいいやつらだ。
エバンもそれを承知している。きっと俺がついていなくとも上手くやっていけるはず。
どう考えても安泰じゃないか。なのに、この胸のざわめきは何だ。
少し頭を冷やそうとバルコニーに出る。ぬるい風も吹けば涼しい。夏が近づいてきている。
そろそろ社交シーズンも盛りを迎える頃だろう。
今年はまだどこの夜会にも参加していない。年明けは卒業試験で忙しかったし、卒業してからはエバンを置いてまで出席する気になれず、招待状は断り文句を添えて全てお返していた。
「ジェームズ様も結婚相手の有力候補に名前が挙がっているみたいですよ」
そんな気休めを言うギュンターには、舞踏会行きを促されてはいるが、所詮は成り上がり貴族。
どの道、一部の例外を除いた高位貴族からは「守銭奴」と蔑まれているし、蓋を開けなくとも、デビュタントを終えたばかりのお嬢さんにだって見向きもされないことは明白。
わざわざ嫌味をもらいに王都まで出向くなんて馬鹿のすることだ。
第一、今の俺はエバンで目が肥えてしまっている。お見合いパーティーのような会場へ赴いても、彼以上の存在などいるわけがないのだから、それこそ時間の無駄というもの。
取引があるような親しい家門へは定期的に訪ねて行っているので、挨拶は充分足りている。となれば、領地でエバンと過ごす方がよほど有意義な時間を送れるに違いなかった。
ふぅっとゆるやかな溜息を吐いてから目を閉じる。頬を撫でる空気が心地いい。
「夕涼みにはいい季節だな」
夜風に身を任せていると、ガチャリ、とバルコニーの扉が開いた。
「奇遇だね」
反射的に音のした方を見ると、隣の部屋から出てきたエバンが立っていた。
「日中は暑くなってきたけど、この時間は過ごしやすいし、籠っているのがもったいなくて」
言い訳のように重ねられる言葉に「ああ」とだけ応えて、彼の視線の先をなぞる。
「港が近いからかな、潮風の匂いがする」
端正な横顔が遠くの海を真っ直ぐ見つめている。
夜焚きが盛んな時期だ。解禁されたばかりのイカ漁の船が沖まで出ているのだろう。
波に揺らめく漁灯が幻想的な輝きを放っていた。
「あそこに見えるのは魔道ランプかい?」
エバンが光の粒々を指差す。
広大な農地を誇るアルベール公爵領に海はないから馴染みが薄いらしい。
「漁師に魔力持ちはいないから、魔石で動かすタイプだけどね」
「すごいな、小型とはいえ屋外用のライトをこんなに用意できるなんて」
エバンでもここまで大量の魔道ランプを一度に使う場面には遭遇したことがないのか。少し驚いてから、一拍置いて納得した。
ダンスホールのような広間でも、基本的にはフロアごとに大型のもの一つずつが配置される。そのため普通の人は一度に多くの魔道ランプを見る機会なんてそうそうない。
「それぞれに魔石を入れているとなると、莫大な費用がかかりそうなものだが」
だいたいの金額を算出した上で口にしているにしても、並の貴族なら卒倒してしまいかねないところを、感心で済ませられるのはさすが特権階級の出。
これをナチュラルに行っているあたり、俺みたいな凡人は一生彼に追いつけそうもない。まあ、競う気もないのだけれど。
「船に積んであるものはうちが提供しているものだから、魔法局で生産されているものより安価なんだ」
とはいえ、日没からわずか数時間で魔石を大量に消費する産業だ。
漁獲量とその売上を考えればそれほどでもないにしろ、金がかかっているのは事実。そのため、他領では海があっても夜釣りはしないことの方が多いのだという。
「クロイツェル以外じゃ楽しめない光景だな。黒い海にぼんやりとした光は綺麗だし、美味しい魚が採れるのもいい」
エバンは花と団子の両方を楽しむタイプらしい。趣深さの欠片もないところから風情に繋ぐ、話の急転換が癖になる。
「夜に外が眩しいって不思議な気分だ」
残業中のオフィスから覗くビル灯りの方がよほど明るい。
前世の感覚では夜景とも呼べないような、こんな簡素なライトにもエバンは声を弾ませているくらいだ。もっと本格的な電飾を作ろうものなら大喜びなんじゃないだろうか。
「じゃあ、明日は新鮮なイカを用意させよう」
「初めてだ。あそこで釣っているものか?」
経済を回すのも仕事のうち。急げば十二月、彼の誕生日にだって間に合わせられる。
早いところ計画を立てなければ。
「ああ、初めてなら尚更最高の体験になる」
断言してみせる俺に「そんなに?」とエバンが宝石のような目をまた瞬かせた。




