<2>モブは転生してもモブ
眠れない。
暑くもなく、寒くもなく、腹が空いているわけでもないのに、さっきから無意味な寝返りを打ってばかりで一向に眠気がやってこない。
ふと時計を見れば、短針はすでに午前一時を回っていた。
卒業パーティーの後、俺は学園のある王都から遥々領地まで戻って来ていた。三時間も馬車に揺られて疲れきっているはずなのに、妙に覚醒しているのは、脳内を昼間の出来事が占め続けているせいだろう。
卒業パーティーでの断罪劇とリンクする記憶の中にあるBLゲームの存在、メインキャラクターと呼ばれる登場人物たち、そして俺自身について。
突然前世を思い出すなんてありえない状況のはずなのに、どこか冷静な自分がいるのは、過去世分の精神年齢が上乗せされたからなのか。
いや、頭がぼんやりしていた頃も感情の起伏は激しくない方だったし、生まれつきの性分なのかもしれない。
ジェームズ・クロイツェル。
これが今の俺だ。前世での呼び名は覚えていない。
一応次期男爵ではあるけれど、元は港町を仕切る豪商で、祖父の代に爵位を授けられたばかりの新興貴族である。
領地は広くない、というか港町一帯だけなので、金があるだけで実態は平民とそう大差なかったりする。
年貢も他領と違って農作物ではなく、現金で納めてもらっているため、由緒正しき貴族から陰で卑しいと蔑まれているくらいだ。
実際、数時間前に卒業したばかりの学園での扱いは庶民とほぼ同列で、特権もなければ、攻略対象ともまともに喋ったことすらない。
要はモブ中のモブ。作中に出てこないような人間ってことだ。少なくともビジョン広告には背景としてでも映っていなかった。
それもそのはず。俺はどこまでも平凡を地で行く男だった。
剣の腕も、魔力量も、座学の成績も、何もかも「普通」の一言で片付く。
唯一の得意科目は家業関連のことだが、これも俺が特別優れているというわけでなく、生まれ育った環境に因るものだと思う。
幼い頃から商いの現場を間近で見てきたので、金勘定に疎い貴族や金銭に余裕のない一般人よりちょっとばかり詳しいってだけ。並外れた才能があるわけではない。
ゲーム補正のおかげか、顔立ちはまあ悪くないのだろうけど、それでも主要なキャラクターに比べると全体的にあっさりしていて、景色に埋没してしまう程度には印象が薄い。
身長や体重も同様。名前の「ジェームズ」だって前世で言うところの「太郎」くらいの扱いに過ぎない。
せめて髪や目が奇抜だったなら多少目立つこともできたのかもしれないが、こちらも当然のようにありふれた色をしていた。
踏み抜かれた落ち葉のような赤焦げ茶の髪と、似たような風合いのアンバーアイ。前の世界の住人に混ざっていても違和感ないレベル。自分でも凡庸な容姿だと思う。
これじゃあ、異世界転生の醍醐味なんて味わえそうにない。
新たに付与された前世持ちという特性も、よくあるチート的なものではないらしい。その証拠に覚えているのは漠然とした知識とか常識のようなものばかりだった。
正直、あまり役立ちそうにない。
「本当にもったいない」
しかし、記憶が感情の伴うようなものでなかったのは幸いだった。思い出してなお、前世を懐かしむ気持ちが湧いてこないのは正直ありがたい。
面識のない人間を恋しがるほど無駄な時間はないし、そんなことで精神をすり減らせるほど暇じゃない。
まあ、そもそもどんな知人がいたのかもわからないし、死因すら不明なのだから感傷に浸りようがないと言ってしまえばそれまでなのだが。
ただ確かなのは、前世の俺がサラリーマンをしていて、通勤途中に電車の液晶ディスプレイでこのBLゲームの広告を目撃していたということだけ。
多少前世に引っ張られているのかもしれないが、このドライな性格は元からだし、今のところ大きな影響はないように思う。
創作の世界だと認識したことでゲームの強制力から外れたためか、ちょっと前まで脳内を占めていた、あの靄がかった思考が完全に消失してしまったことについては、あまり気にしていても解明の仕様がないので、とりあえずはそういうものだとスルーさせてもらうことにした。
ちなみに男同士のラブストーリー云々についても、生まれてこの方十八年、特に疑問を抱くことがなかったので、前世の常識を思い出したところで、今更抵抗を覚えるとかはない。
少なくとも、この国では男女間以外の恋愛も大々的に認められているし、教会で祈りを捧げてから契りを結べば、同性同士のカップルであっても子は望める。
現に俺の親だって男同士の夫婦なわけで、この設定を否定してしまうと、それこそ自身が根幹から揺らいでしまう気がする。
うん、やはり深くは考えないでおこう。
そもそも、ここはBLゲームの中である。日本人的な感覚では「おかしい」ことも、今の世界で十八年過ごしてきた俺にとっては「普通」のことでしかなかったりする。
そのせいか、誰もが一度は憧れる魔法のある異世界への転生という現実にも大した興奮はなく、割と淡々と目の前の事実を受け入れられている。
そう、言うなれば「超絶平凡」が「やや平凡」になったくらいの変化。勇者になって魔王を倒せ、なんて話じゃないんだから、慌てふためく必要はない。
「今まで通り平穏に生きていこう」
頭ではそう思っていても、断罪劇が脳裏にチラつく。それくらいさっきの出来事は衝撃的だった。
記憶を取り戻したところとて、これまでの人格との間に特に乖離が発生したわけでもないのだから、このまま過去世のことなどすっかりなかったことにしてしまってもいいはずなのに。ゲームとまったく同じ展開を間近で目撃してしまったからなのか、どうにも落ち着かない。
とはいえ、この世界がゲームの流れに沿っていて、エンディング直前ということであれば、ちょっとくらいは話を整理してみてもいいのかもしれない。




