<19>可愛い子にはご褒美を
商会でもエバンの人気は高い。
訪ねてくる人の中には、外商として貴族の邸宅へ赴くような者も多くいるとあって表には出せないが、裏方でもその実力を存分に発揮してくれている。
母上は「どうせなら容姿を武器にしたらいいのに」とブーたれていたが、こればかりは仕方がない。
俺にだって惜しいと思う気持ちくらいある。
エバンは教えずとも人前に出せるマナーをすでに身に着けているし、見目も良いから接客を任せればすぐに店の看板息子になるだろう。
だけど、それをするのはあまりにリスクが大きすぎる。
これも彼の安全を思えばこそ。帽子を被せたままでいいから店頭に立たせろ、というのは最初から無理な相談だった。
屋敷と商会では普通に過ごしているものの、忘れてはいけない。
エバンは一応社交界を追われた身なのだ。しかも勘当までされている。
そんな彼が元公爵令息であると明らかになれば、大したダメージにはならないにしろ、面倒な事態に発展しかねない。
諸々のリスクを考えれば、やはり人目につかない奥で事務作業をしてもらうのが安牌だった。
「ジェームズ、こっちの帳簿も整理できた」
「ああ、助かるよ」
提出されたばかりの書類に目を通す。
美しい人は筆跡まで美しい。格子状の表には並んだパソコンで印字したような文字が整列している。
定規があるとはいえ、手作業とはとても思えないレベルだ。その上、ミスは皆無。
念のためチェックはしているものの、これまでやり直しを求めたことは一度もなかった。
「今回も完璧だ、ありがとう」
視線を上げれば照れたようにはにかむエバンの口元が目に入る。
氷の貴公子然とした、凍てついた表情より温かな微笑の方がよく似合う。やはり天使そのものだ。
「特にここの備考欄が見やすくていい」
もっと褒めてやりたい。何回繰り返しても新鮮な反応を示してくれるから、つい話を引き延ばしてでも構いたくなってしまう。
とはいえ、これでも俺は雇用主。エバンとのやり取りに疚しいところはない。
それでも、夢みたいな状況に胸を高鳴らせることくらいは許してもらいたい。
以前からは考えられないほど親密になった関係に、これは妄想の世界の出来事でないかと疑うことも多々あるが、目の前の彼は紛れもない本物。
「前任者の資料を参考にしただけだよ」
学園にいた頃はツンッとして見えた顔立ち自体も、ものの一月で随分柔らかくなった気がする。
高貴な方の傍には寄れない、と最初こそ少し遠巻きにしていた従業員たちも、彼にお高くとまったところがまったくないと気づくと、すぐに打ち解けた。
「さては君、前のリストを忘れていたな。お身体が悪い中、老眼で必死に整理してくれていた家令が可哀想だ」
それは年寄りぶった家令の冗談だ。ヨボヨボの演技をする割に、背筋がピンッと伸びているから嘘だと誰もが見抜いているのだが、エバンはまだ騙されているらしい。
「ほら、見て。こっちの家令が作成したものと同じ形式だろう?」
こんな具合に、たまに恐ろしいほど整った見た目からは想像できないような天然発言が飛び出るのが面白くて仕方ないらしく、皆エバンを可愛がってくれている。
「そういうことじゃないんだけど……」
突きつけられた書類の圧がすごい。細かな文字がびっしりで神経が擦り減る心地とでも言うのだろうか。
チョコレートが欲しくなってくる。
「そこの会計資料ができたらおやつにしよう」
そろそろエバンが糖分を摂取する時間帯でもある。
「私のことを、人参をぶら下げた馬か何かだと思っていないか?」
不機嫌そうに口を尖らせても無駄だ。
そんなことをしても、彼の造形は崩れることを知らない。
「まさか。可愛い子にご褒美は必須だと思っているだけさ」
俺以外からもよくお菓子をお裾分けされるせいか、仕事をさせるために餌付けされているんだと勘違いしているけれど、もちろん違う。
実際には大家族の末っ子を甘やかしている感覚に近い。
「まあ、いい。今日はデザートもご馳走してもらったし、存分に働かせてもらうよ」
エバンが得意げに笑う。
純粋な彼は公爵令息の仮面をつけるのが上手かっただけで、こちらが素なのだとは早々にわかっていた。
だが、こうも心を開いてくれているような素振りを見せられると、このまま閉じ込めて、自分一人のものにしてしまいたい衝動に駆られるから困る。
そんなことできやしないけど。
「うんと美味しいものを食べさせておくれよ」
ほらまた、無邪気に目なんか細めちゃって。きっと俺が彼を慕っていることなんて忘れているのだろう。もう少し危機感ってものを持ってほしい。
そうしたらもっと仕事に集中できるのに、なんて責任転嫁しつつ、着実に職務をこなしていく午後だった。




