<11>ようこそ我が家へ
屋敷にエバン様がいる。
この現実味のない状況を、いったい誰が想像できただろうか。
実家を爵位の割に立派な屋敷だと思って生きてきたが、主役級の輝きを放つ人物をもてなすにはまだまだだったみたいだ。
こんなことなら家財道具一式新調しておくんだった。
後悔に奥歯を噛み締めるが、なんとかエバン様のお眼鏡に適ったところもあるらしい。
「馬車も素晴らしかったですが、このソファはそれ以上ですね」
革を撫でながら、うっとりと紡がれるお褒めの言葉に俺は安堵の溜息を漏らした。
「艶があるだけでなく、座り心地まで完璧です」
「そうおっしゃっていただけるのなら光栄です」
往年の公爵令息ともなるとさすがにお目が高い。日常的に高級品に触れているからこそ、瞬時に物の価値がわかるのだろう。
実はエバン様が褒めた革製品は王都の大貴族でも滅多にお目にかかれない代物だったりする。
我が家独自のルートに革物ならここと決めた取引先があって、応接室の椅子は全て特別に融通してもらった最高品質のもので揃えていた。
やはり彼には高級品が似合う。馴染み深い調度品のおかげか、食堂にいた時よりも、よほどリラックスしているように見えた。
とはいえ、際どい恰好のまま見知らぬ男の家にノコノコ着いてくるのは危機感が薄すぎるんじゃないか。相手が俺でなかったら今頃手籠めにでもされていたかもしれない。
そんな風にちょっとモヤモヤするけれど、半ば押し切るようにして連れて来たのは俺だ。彼に拒否権などなかったに等しい。
もちろん総合的な判断として良かれと思っての行動だった。それでも、権威を笠に着て力任せに事を運んだという自覚はあるし、こんなことで嫌われては困る。
「勝手をしてしまい、申し訳ございません」
お茶を運んできた侍女が退室するのを待ってから、道中でもした謝罪をもう一度口にする。
もしかしたら何かお咎めの言葉があるかもしれない。
そんな俺の杞憂に反し、当の本人はあの場でのことを気にも留めていなかったらしい。
「いえ、私のためにしてくださったことですから」
あっさりと許されてしまった。
良いのだろうか? と拍子抜けしたのも束の間、
「むしろお礼をしなければならない立場です。助けてくださりありがとうございます」
折り目正しく深々と腰まで折られたら、恐縮のあまり正気でいられそうもない。
「顔を上げてください」
なんとか姿勢を元に戻してはもらえたものの、エバン様は何か言いたげなご様子。どうしたものか、という風に額へ手をやる仕草すら優美だ。
「あのですね、私は家を追われたのですよ」
「聞き及んでおります」
「でしたら、どうぞ楽になさってください」
そんなことできるわけがない。
廃嫡されたとしても彼は公爵位の出。俺なんかとは格が違う。
「あなたが高貴な方だということに変わりありませんから」
こうやって話すだけでも畏れ多いというのに。彼も貴族なのだから気持ちはわかってくれているはず。
しかし、意外なほどエバン様は頑なだった。
「今の私は後ろ盾のないただの平民です。規律を乱すわけにはいきません」
しばらく続くと思われた押し問答も、序列に関する決まり事を持ち出されれば仕方がない。あっけなく論破されて終わりを迎える。
とはいえ、俺もただで起き上がるわけにはいかない。先日まで圧倒的に目上だった人に、自分だけタメ口を効くとか絶対に無理だ。
いくらエバン様の頼みであっても「はい、そうですか」と素直に頷くことはできない。
なんとか説得した結果、持ち前の交渉スキルのおかげで、エバン様も俺に敬語は使わない、という合意を得られた。
多少無理があるかと思われたが、俺たちが友人同士ということにして、特別親しい仲なら身分貴賤の別はなく、上下関係は発生しないと説くと、彼はあっさり納得してくれた。
エバン様がチョロいわけないので、もしかしたら前世の俺は営業職に就いていたのかもしれない、とか考えてみるけれど、エバン様の心が純粋すぎるっていうのが正解だろう。
あの無垢な瞳が全てを物語っている。詐欺とかに遭う前に救出できて幸いだった。
何はともあれ、やっと本題に入れる。
「エバン様」
「私たちは友人なのだろう? 様もいらない」
苦し紛れの言い訳だったのに、本当に信じてくれるんだ。不意打ちの「友人」発言に胸がジーンッとする。
「じゃあ、エバン。どうしてあんなところで働いていたんだい?」
おおよその見当はついていた。おそらく公爵家を追い出された後、そのまま王都に留まっては好奇の的になると考えて、地方に流れて来たのだろう。
だが、これも直接本人の口から聞かない限りは憶測の域を出ない。そして俺の見立ては半分だけ正解だった。
「あいにく王都では顔が割れていてね。次に栄えているここなら雇用も多そうだし、人の出入りも頻繁だから上手く紛れられる、と思ったのだけど……わずか半日で見つかってしまうとは」
情けない。
そう眉を下げて苦笑する姿も宗教画のように美しい。
貴族の仮面が外れたエバンはこんなにも表情豊かなのか。美人は三日で飽きるなんて嘘だ。出会って三年経った今でも尊顔から目が離せない。
「港町で資金を稼いで、ある程度貯まったら他国に出奔する計画だったんだ。クロイツェルから出る船に乗るのが一番効率的だろう?」
それで昨日の夜中に港町に到着して彷徨っていたところを、店じまいしていた女将に、
「あんた、顔が綺麗だから稼げるよ」
と声をかけられたらしい。
他店に奪われる前に唾つけて、ホールを任せるつもりだったのだろう。そのまま住み込みでという話だったからエバンもこれ幸いと雇われることにしたのだという。
なんということだ。
女将が「お触りで客からチップをもらえる」と仄めかしていたことにエバンが気づけなかったのはともかくとして、彼がまともに給仕を行えていたら、そう遠くないうちに母上の見立てが当たってしまうところだった。
彼が自分で皿も洗わないような、箱庭の温室育ちで本当に良かった。しかし、当の本人はそのように捉えてはいないようで、真正面から事の次第を受け止めてシュンと落ち込んでしまっている。
「まさか自分がこんなにも不出来だとは知らなかった」
本来、エバンほどの者なら身の回りのことは全て使用人任せで問題なく生活を送れる。冷静に考えれば、家事が不得手なのは至極当たり前のこと。そんなに深く受け止める必要なんてないのに、どこまでも真面目な青年だ。
「世の中には適材適所って言葉もあるくらいだからね。エバンはもう少し他人に頼っても良いと思うけど」
妙に達観した境地に至ったのは前世の影響だろうか。励ましのつもりがただの感想になってしまって、慌てて言葉を重ねる。
「ほら、うちは商家だけど、商品を全部一から作っているわけじゃないし」
原材料を育てる人、材料から品物の形を作る人、出来た商品を運ぶ人、買い付けをする人、店頭に並べる人、お客に売る人。
数えきれないほど多くの人の力で商売が成り立っている。
「俺ができるのはその中のほんの一部で、ほとんどを人に任せているけど、それは別に悪いことじゃないだろう?」
むしろ、雇用を生みだすことに繋がっている。
「エバンはエバンのできることをすれば、それで充分誰かの役に立てるはずだ」
「そうだろうか……」
たとえ話に表情を少し明るくしたエバンだったが、失った自信はそう簡単に取り戻せないらしい。非のないところに起こった断罪劇の後で、身に降りかかった人生初の挫折。
こうなるのも無理はない。
しかし、幸いにも彼には有り余るほどの才能がある。確かに皿洗いには不向きだったかもしれないが、他分野での実力は学園でも王妃教育でも証明されている。
なんだったら、俺がもらい受けたいくらいには優秀な人材だ。俺だったら、きっと食堂で働かせるよりも、彼をもっと上手く使える。
そうだ、俺がエバンを雇えば万事解決じゃないか!




