表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/68

1-1-7 王宮の依頼

リアナは、エグバート先生の実験室の扉の前で、そっと足を止めた。


部屋の奥から、魔法式を組み上げる低い声と、淡い光が漏れ出している。

先生は何かの解析をしているようだった。だがこの時間、研究所全体はすでに静まり返っており、誰かが訪れる気配もない。


本来なら、入室は控えるべきだと分かっていた。

それでも、胸の奥で膨らむ好奇心を抑えきれず、リアナは静かに扉を押し開いた。


実験室の中には、いつもと変わらぬ光景が広がっていた。

書物の山、机に置かれた魔法具、巻きかけの羊皮紙。研究の途中で積み重ねられたものが、秩序と無秩序の境界のような状態で並んでいる。


だが、今日の空気はどこか違っていた。


エグバート先生の立つ机の上に、異様なほど複雑な魔法陣が展開されている。

幾重もの術式が重なり合い、淡い青白い光が静かに揺らめいていた。


その中心には、小さな球体が浮かんでいる。

それはまるで生き物のように、かすかな脈動を繰り返していた。


リアナは、知らず一歩前へ踏み出していた。

何をしているのか、この術式が何なのか──頭に浮かぶのは、ただ純粋な興味だけだった。


そのとき、エグバート先生が静かに振り返った。


「見てしまったかね?」


穏やかな声だった。

リアナは驚いて息をのみ、慌てて頭を下げる。


「申し訳ありません、先生。勝手に入ってしまいました……」


エグバート先生は軽く首を横に振り、視線を再び机上の魔法陣へと戻した。


「いや、気にすることはない。むしろ、これを見てどう感じたか、教えてくれないかね?」


リアナは恐る恐る顔を上げ、もう一度その術式を見つめた。


それは、異様なまでに精巧だった。

細かなルーンが幾層にも編み込まれ、互いに干渉することなく、完璧な均衡を保っている。


リアナは魔法の知識に自信があった。

だが、この術式の複雑さには、さすがに言葉を失った。


「……とても、美しいです。でも、何のための術式なのかは分かりません」


エグバート先生は小さく微笑んだ。


「美しい、か。確かに、その表現は正しい。この術式は、極めて精密に構築されている。通常、ここまで緻密に編まれた術式には、バグが入り込む余地はほとんどない」


そこで彼は言葉を切り、指先を軽く術式の上に滑らせた。

魔法陣の光がわずかに揺らぐ。


「だが、これは完全ではない。

検証のために縮めたものだ。本来の規模では扱えんのでな。構造だけを取り出して再構成してある──王宮筋からの依頼でね」


「王宮……から?」


リアナは思わず口元を押さえた。


女王の急逝以来、王宮は混乱の中心にあった。

次期女王を巡る思惑や、周囲に蠢く勢力の動きは、研究所にいる彼女の耳にも届いている。


それが、なぜこんな術式に関わっているのか。


「女王陛下が亡くなった理由について、王宮は表向きの説明をしているが……」


エグバート先生は、ほんのわずか言葉を止めた。


「真実は、別にあるかもしれん」


「それって……」


リアナの頭の中に、次々と疑問が浮かんだ。

女王は本当に事故で亡くなったのか。

それとも、別の何かが働いていたのか。


だがエグバート先生は、その動揺を見透かしたように、穏やかな声で言葉を続けた。


「この術式は、その真実を探るための解析の一部だ。だが……」


彼の目が、わずかに険しくなる。


「これ以上深入りするのは控えた方がいい。王宮の依頼には、常に裏がある。君がこれを見たことは、くれぐれも外で話さないように」


リアナは思わず背筋を伸ばし、無意識にうなずいた。


エグバート先生の声には、いつもとは違う重みがあった。

普段は温和で、滅多に厳しい言葉を口にしない老ウィザードが、ここまで真剣に口止めをする。


それだけで、ただ事ではないと分かる。


「はい、先生。誰にも話しません」


リアナは震える声で答えた。


エグバート先生は満足したように小さく頷き、再び術式へと視線を戻す。


「この術式は完璧だ。だが、それでも何かが隠されている可能性はある」


彼は静かに言った。


「魔法は、人が操る限り、不確実なものだ。だからこそ、完全無欠に見えるものほど危うい」


リアナは、その言葉を胸の奥に刻んだ。


彼女の視線は、再び机上の術式へ引き寄せられる。

完璧なはずの構造の中に潜む、見えない何か。


それは魔法が持つ神秘であり、同時に恐怖でもあった。


「さて、今日はもう遅い。君も休むといい」


エグバート先生は微笑みを浮かべ、部屋の奥へ歩いていく。


リアナはその背中を見送りながら、胸の奥に芽生えた疑念を消すことができなかった。


この術式。

そして、先生の言葉。


何が真実で、何が偽りなのか。


いつか、自分はその答えに辿り着くことになるのだろうか。

ブクマでサーラの応援をお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ