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1-3-15 映神の神殿

「……ここが、最後のチャンスね」


サーラは「映神の神殿」を前に、静かに息を整えた。視界の先には無数の鏡が立ち並び、入口へと続く道は、奥行きの定まらない迷路のように折れ重なっている。反射の重なりが空間の輪郭を曖昧にし、一度でも方角を見失えば戻れなくなる──そんな噂が、決して誇張ではないことを直感させた。


「……出られなくなる、なんてことだけは避けたいわね」


シェリーが周囲を見渡しながら、抑えた声で言う。


ここで手に入れるべき「双魚の鏡」が、残された最後の望みであることは、二人とも理解していた。これまでの試練で、力の差はすでに突きつけられている。それでもなお、この場所だけは逃すわけにはいかない──その思いだけが、足を前に出させていた。


「……作戦を立てましょう」


サーラは短く言い、思考を切り替える。


いつの間にか、アリスティアとネフィリスも背後に立っていた。声をかけるでもなく、ただ興味深げに様子を見ている。アリスティアは微かに笑みを浮かべ、ネフィリスはその肩の上で尾をゆるく揺らしていた。


「この迷路、どうやって抜けるの?」


シェリーの問いに、サーラは顎に手を当てる。


「構造が通常の迷路なら……“右手法”が使えるはず」


「右手法?」


「壁に右手を触れたまま進む方法。分岐や行き止まりに関係なく、壁に沿っていれば、いずれ出口に辿り着くの」


言葉にしながら、頭の中で手順を組み立てていく。


「視覚に頼らず、接触情報だけで構造を追う。遠回りにはなるけど、理屈としては破綻していない」


シェリーは小さく頷いた。


「確かに……それなら迷うこと自体は避けられるかも」


サーラは鏡の並びを見渡し、わずかに息を整えた。


「でも、このまま踏み込むのは危険ね。方向を見失えば、戻ることすらできなくなる」


一度視線を落とし、思考をまとめる。


「だから──探索の補助として灯火を使うわ」


サーラは掌に魔力を集め、小さな光を生み出す。


「進行方向を維持しながら、反応があれば拾わせる。経路の偏りも把握できるはず」


灯火は鏡面をなぞるように進み、分岐に差し掛かるたび、わずかに軌道を変えていく。

右手法に従い、壁面との接触を基準に経路を確定している──そのはずだった。


だが、サーラはわずかな違和感に足を止める。


「……おかしい」


灯火の動きは正確だ。術式も崩れてはいない。

それでも、経路が全く確定しない。


視線を上げる。

鏡面に、灯火の光が無数に反射している。


その瞬間、サーラの中で何かが噛み合った。


「もしかして、自分の光を見てる……?」


壁を探るための光が、鏡で跳ね返り、再び灯火の判定に入り込んでいる。

外側を読むはずの術式が、内側で循環している。


「……だめね」


小さく息を吐く。


「こいつは、自分の出した情報を、ずっとなぞってるだけ……」


灯火は進んでいる。

だがそれは前進ではなく、同じ判断を繰り返しているだけだった。


「無限ループに入ってる……」


サーラは静かに手を下ろし、灯火を消した。


「このままじゃ、どこにも辿り着けない……」


アリスティアが、くすりと笑った。


「いい考えだったけど、ここは“見えるもの”を前提にした時点で負けね。理屈だけじゃ抜けられないわ」


シェリーも視線を巡らせながら、息を吐く。


「どこを見ても同じ……これじゃ、進んでるかどうかも分からないわね」


サーラはその場に立ち尽くした。


鏡面に映る光は、わずかな揺らぎすら増幅し、空間の輪郭を曖昧にしている。

視線を動かすたびに、同じ景色が別の角度で現れ、位置の感覚がほどけていく。


何か手があるはずだった。

原理は見えている。原因も分かっている。

それでも──次の一手が、繋がらない。


サーラはわずかに眉を寄せ、視線を落とした。


「……ええと、灯火の代わりになるものは……」


低く呟く。


だが、答えは出ない。

思考だけが空回りし、形を結ばないまま途切れていく。


その時、シェリーがふと口を開いた。


「サーラ、目を閉じてみない?」


「……目を?」


「見えてるから迷うのよ。だったら最初から見なければいい」


シェリーはそう言って、ゆっくりと瞼を閉じた。


「右手はそのまま。触れている感覚だけで進む。反射は視覚だけの問題だから、そこを切り離せばいい」


サーラはわずかに驚いたが、その理屈は単純で、明確だった。


二人は同時に目を閉じた。


視覚を断てば、頼れるのは触覚と、わずかな気配だけになる。

一人なら、すぐに均衡を崩すだろう。


だが──


「右は任せる。ずれたら言って」


「ええ、左も見てる」


短い言葉を交わし、歩幅を合わせる。


危うさは消えない。

それでも、二人分の感覚が重なれば、道は繋がる。


ネフィリスが小さく鼻を鳴らした。


「光を捨てるのか。……よく踏み込んだね」


アリスティアもわずかに肩をすくめる。


「見えないまま進むのは、理屈よりも胆力が要るのよ。そこを選べるなら、道は閉じないわ」


二人は言葉を交わさず、そのまま歩き続けた。


時間の感覚は薄れていく。距離も測れない。ただ、足音と呼吸だけが、互いの位置を伝えている。


ふと、サーラの歩みが鈍る。


「……少し、自信なくなってきたわ」


正直な言葉だった。


すぐ隣から、ためらいのない声が返る。


「じゃあ、私を基準にして」


一拍。


「私が前を行くから、サーラはそれに合わせて」


迷いのない提案だった。


サーラは小さく頷き、歩幅を揃える。


「……分かった。任せるよ」


二人の足取りが、再び噛み合った。


時間の感覚はとうに曖昧になっていたが、彼女たちの歩調だけは崩れない。

見えないまま、それでも前へ進んでいるという確かな手応えだけが残っていた。


やがて、わずかな変化があった。


頬を撫でる空気が、閉じた空間のそれとは異なる。


サーラは目を開く。


視界の先に、神殿の入口が静かに口を開けていた。


「……辿り着いた」


声は小さかったが、確かな実感があった。


シェリーも目を開け、安堵の息を吐く。


「うまくいったわね」


サーラはわずかに視線を向ける。


「……あなたの提案がなければ、ここには来られなかった」


「大げさよ」


シェリーは小さく笑い、肩をすくめた。


「でも、これで終わりじゃないわよね」


「うん……ここからが本番」


サーラは頷き、視線を奥へと向ける。


二人は足並みを揃え、神殿の内へと踏み入れていった。


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