1-3-14 牛神の神殿
サーラとシェリーは、セレナの背を追い、なおも荒れ狂う風の中を進んでいた。だが、ある一点を境に、吹き荒れていた気流が不意に断ち切られる。風は嘘のように静まり返り、空間だけが取り残されたかのような奇妙な静寂が訪れた。
足を止めた二人の前方、揺らいでいた視界の奥から、一つの影が歩み出る。
それは、先ほど別れたばかりのセレナだった。
彼女は乱れのない呼吸のまま歩み寄り、その手には、鈍い光を帯びた籠手が確かに収まっている。嵐の中を抜けてきたとは思えぬほど、その佇まいには揺らぎがなかった。
「……間に合わなかったみたいね」
サーラは小さく息を吐き、肩の力を落とした。悔しさはあったが、それ以上に、結果を見せつけられたことへの静かな納得があった。
セレナは足を止め、二人を一瞥する。感情を押し出すことのない、乾いた視線だったが、その奥には、風を越えた者だけが持つ確かな手応えが沈んでいた。
「あなたたち、次へ向かうの?」
短く問う声音は、先ほどと変わらず淡々としている。
「ええ。次は鎧──『牛神の神殿』を目指すつもり」
サーラは頷きながら答え、わずかに言葉を探すように間を置いた。
「……正直、少しきついけど。それでも、止まるわけにはいかないから」
言葉は抑えられていたが、そこには疲労と、それでも折れきらない意思とが同時に滲んでいた。
セレナは一瞬だけ目を細める。ほんのわずかに、風の合間に見せたような柔らかさが過ぎる。しかしそれは長くは続かず、すぐに元の静かな表情へと戻った。
何も言わず、彼女は踵を返す。
振り返ることなく、そのまま去っていく背を、サーラとシェリーは黙って見送った。
やがて視線を交わし、小さく頷き合う。
進むしかないという結論は、言葉にせずとも共有されていた。
—-
「牛神の神殿」へと続く道は、それまでの試練とは明らかに性質を異にしていた。
踏み出した瞬間から、違和感はあった。
サーラの足取りが、わずかに鈍る。
次の一歩で、その感覚は確信へと変わった。身体の奥に沈むような重みが増していき、筋肉の動きそのものが遅れてくる。
まるで見えない重圧が、全身に積み重なっていくようだった。
「……何これ……」
声を出すだけでも負荷がかかる。息が浅くなり、呼吸のたびに胸が軋む。
「魔力の場……それも、外からじゃない。内側にかかってる……」
シェリーも同様に足を止め、荒い息の合間に言葉を返した。魔法で押し返そうとしても、力は拡散し、体内で増幅される重さに抗えない。
進もうとするたびに、負荷はさらに増す。
一歩が、二歩目へと繋がらない。
やがて二人は、その場に膝をつくしかなかった。
立ち上がろうとしても、身体が応じない。意志と肉体が乖離していくような感覚があった。
その時だった。
ゆっくりとした足音が、重い空気を踏み分けるように近づいてくる。
サーラは顔を上げる。
視界の先に現れたのは、一人の女性だった。
鍛え上げられた身体は、無駄な力みを持たず、重圧の中にあってなお自然に立っている。歩みは揺らがず、一歩ごとに地を確かめるような確信があった。
「……誰……?」
掠れた声で問う。
「カリナ……」
隣で、シェリーが小さく呟いた。
「知ってるの?」
「一度だけ……『天秤の鎖』の時に。でも、あの時とは……まるで違う」
その言葉通りだった。
以前の記憶にある姿とは、質そのものが変わっている。力の量ではなく、重さとの向き合い方が根底から異なっていた。
カリナは何も語らない。
ただ、二人の横を通り過ぎる。
サーラは無意識に目で追っていた。
その歩みには、重圧を打ち破る力ではなく、それを受け入れた上で前に進む確かさがあった。負荷は消えていない。それでもなお、彼女はそれを前提として動いている。
やがて神殿の入口へと辿り着くと、躊躇なく内部へと踏み入る。
奥に据えられた鎧の前に立ち、そのまま手を伸ばした。
次の瞬間、鎧は静かに光を帯びる。
拒むことも、試すこともなく──ただ自然に、彼女を受け入れるように。
その光景を、サーラとシェリーは動けぬまま見ているしかなかった。
「……また、何もできなかったね」
サーラの声は、静かだった。
悔しさはある。だがそれ以上に、自分たちが届いていない領域の輪郭だけが、はっきりと見えてしまった。
シェリーも言葉を返さず、ただ小さく頷く。
三度目だった。
立て続けに突きつけられた差は、偶然ではない。構造的な隔たりとして、二人の中に沈んでいく。
それでも。
「……次、どうする?」
かすかな声で、シェリーが問う。
サーラはしばらく視線を落とし、思考を巡らせていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「……『双魚の鏡』に行く」
迷いはなかった。
「『映神の神殿』。あそこに賭けるしかないわ」
それは、力で届かなかった先に対する、別の答えを探す選択だった。
二人は重い身体を引きずるようにして立ち上がり、再び歩き出す。
その先に何が待つのかは分からない。
だが、それでも進むという選択だけは、まだ手放していなかった。
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