1-1-26 家族の役目
アリアは、胸の奥から溢れてくる不安をどうしても抑えることができず、ついに一つの決断を下した。
遠く離れた地で働く両親に相談しなければならない。自分一人で抱え込んでいられる問題ではないと、ようやく認めたのだ。
アリアは自室の棚の奥に手を伸ばし、布に包まれていた小さな鏡を取り出した。手のひらほどの大きさの、見慣れた古い鏡──それは「遠隔通話の鏡」と呼ばれる、貴重な魔法道具だった。
この鏡は遠く離れた相手と映像を通して会話ができる便利な道具だが、その代わりに膨大な魔力を必要とする。そのため日常的に使われることはほとんどなく、特別な用事があるときだけ持ち出される代物だった。
だが、今回は大事なことだ。
アリアは鏡を両手でそっと持ち上げ、胸の前に掲げる。
そして一度大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出しながら意識を落ち着け、魔力を静かに集中させていった。
「お父さん、お母さん、お願い……出て……」
アリアが静かに唱えた瞬間、鏡の表面がゆらりと揺らいだ。
まるで静かな水面に石が落ちたかのように、柔らかな波紋が広がっていく。その揺らぎの中から、やがてぼんやりとした映像が浮かび上がった。
そこには、遠い地で働いている両親、フェリクサンドルとセラフィーナの姿が映し出されていた。
「アリア、何かあったのかい?」
父のフェリクサンドルが心配そうに眉を寄せて問いかける。
母セラフィーナもすぐに娘の様子に気付き、優しく微笑んだが、その目の奥にはどこか落ち着かない色が浮かんでいた。
「お父さん、お母さん……サーラが、女王選定戦に参加するって……」
言葉にした瞬間、胸の奥に押し込めていた感情が一気に溢れ出した。
アリアはこみ上げてくる思いを必死に抑えながら、震える声で事情を説明する。
サーラが選定戦への参加を決意したこと。
それに対して自分がどうしても納得できないこと。
そして、危険な世界に妹を送り出すことがどうしても怖いということ。
何より──妹を守りたいという思いが、どうしても消えないこと。
「サーラは特別な力もないし、あの世界は危険で……無理だって分かっているのに……どうしても心配で……」
アリアの言葉は途切れがちになりながらも続いた。
しかし両親はその間、口を挟むことなく、ただ静かに耳を傾けていた。
フェリクサンドルは何か言おうと口を開きかけたが、そのときセラフィーナがそっと手を上げ、静かに制した。
「アリア……あなたの気持ちはよくわかるわ。正直に言えば……私も怖いもの。
でもね、選定戦に参加したいと決めたのは、サーラ自身の意思なのよ」
セラフィーナは穏やかな口調のまま、しかし芯の通った声で言葉を続ける。
「ネフィリスの意見にも耳を傾けなさい。彼はとても冷静で、きちんと状況を見ているわ。
大人の私たちでさえ、時には感情で動いてしまうことがあるけれど……彼が言っていることには、一理あると思うの」
少し間を置き、母は優しく言った。
「サーラにチャンスを与えてあげるべきじゃないかしら」
アリアは驚いて母の顔を見つめた。
ネフィリスの言葉が、まさか母の口からも語られるとは思っていなかったからだ。
「でも、お母さん……もし何かあったら……」
それでもアリアの不安はまだ消えない。
だがセラフィーナは静かに首を振った。
「何かあったら、そのときは私たちが助けるわ。それにね……サーラは、私たちが思っているよりもずっと強い子よ」
母は少し微笑んだ。
「あの子が自分で選んだ道を歩むこと、それを見守ることも、家族として大切なことじゃないかしら」
フェリクサンドルも深く頷き、穏やかな声で娘に語りかける。
「アリア、お前ももう大人だ。サーラを守りたい気持ちはよく分かる。
だがな、妹が自分で歩こうとしているなら、その背中を押してやるのも姉の役目だ」
両親の言葉は、鏡越しであるにもかかわらず、確かな温もりを伴ってアリアの胸に届いた。
その優しさに触れるうちに、胸を締め付けていた不安が少しずつほどけていくのを感じる。
「ありがとう……お父さん、お母さん……」
アリアは小さく呟くと、魔法の鏡をそっと机の上に置いた。
ふと窓の外に目を向けると、庭ではサーラとネフィリスがトレーニングをしていた。
サーラは真剣な表情で魔法の練習に取り組み、ネフィリスはその様子を静かに見守っている。
その姿を見つめながら、アリアは気付く。
いつの間にか、サーラはこんなにも成長していたのだと。
自分が幼い頃、初めて魔法を学び始めた日のことがふと脳裏によみがえる。
あのとき抱いていた不安や期待と同じものを、きっと今、サーラも胸に抱えているのだろう。
「本当に……もう子供じゃないんだな……」
アリアは小さく呟いた。
守りたいという姉としての強い思いと、妹の決意を認めてあげたいという気持ち。その二つが胸の中で静かにせめぎ合いながらも、彼女の心は少しずつ変わり始めていた。
サーラは今、自分の力で未来を切り開こうとしている。
その姿を遠くから見つめながら、アリアはゆっくりと頷いた。
妹がどれほどの決意を持ってこの道を選んだのか、ようやく理解し始めていた。




