1-1-24 姉妹の衝突
アリアは王宮の執務室で、次期女王候補選定戦の予選参加希望者リストに目を通していた。
厳重な管理下にある書類とはいえ、関係者である彼女には閲覧が許されている。
一人ひとりの名前に真剣な眼差しを注ぎながら、アリアは静かにページをめくっていった。
しかし、ある名前を見た瞬間、彼女の動きがぴたりと止まった。
『サーラゼル・ヴェリルライト』
間違いなく、末の妹サーラの名前だ。
アリアは何度もその名前を見直した。
それでも、文字は変わらなかった。
「何これ……冗談でしょ?」
思わず声が漏れた。
職場の同僚たちがちらりとアリアを振り返ったが、彼女は気にも留めず、部外秘のリストを手にしたまま席を立った。
脇目もふらずに職場を飛び出し、そのまま駆け足で城下町へ向かう。
頭の中はぐるぐると混乱していた。
サーラが、女王選定戦に?
どうして?
何度も言い聞かせたはずだ。危険なものだと、あの子だって分かっているはずなのに。
誰かが勝手に名前を使ったんじゃないか。
いや、あの子なら──。
アリアは高鳴る心臓を押さえながら家の門を押し開けた。
リビングのドアを勢いよく開け放つ。
そこにはサーラがいた。
ソファに座り、本を軽く読みながらくつろいでいたが、アリアの剣幕に驚いて顔を上げる。
「アリア、どうしたの? そんなに慌てて……」
「サーラ!ちょっと聞きたいんだけど!」
アリアは一歩踏み込み、声を荒げた。
「あなた、本当に……選定戦にエントリーしたの?」
サーラは一瞬だけたじろいだが、すぐにまっすぐアリアを見返した。
そして、はっきりとうなずく。
「うん、そうだよ」
その素直な返事に、アリアは言葉を失った。
沈黙の中、黒猫のネフィリスがテーブルの上で尻尾をゆっくり揺らしている。
「な、なんで……?」
アリアの唇が震えた。
「冗談じゃすまないのよ、サーラ。
これは命を懸けた戦いなの!
ちょっと目立ちたいとか、そんな理由で──」
「違うよ!」
サーラは強く首を振った。
「私は……この国の未来を変えたいんだ。
みんなが、平等に魔法を学べる国にしたいの」
サーラの声は震えていなかった。
「貧しい人たちが魔法を学べないのは、制度のせいじゃない。
誰も本気で、それを変えようとしてこなかっただけ」
サーラは強く拳を握る。
「でも私は、貧民街の火事で見た。
力がなければ、大切なものを守れないって。
誰もが『当たり前』だと思っているこの現実に、私は挑みたい。
本気だよ、アリア。命を懸けても、私は諦めない」
アリアは言葉を失った。
サーラがただの思いつきで動いたのではないことは、その目を見れば分かった。
けれど──。
「サーラ、あなたの気持ちはよく分かる。でも、理想だけじゃ勝てない世界なの」
アリアは必死に説得を試みる。
「選定戦は夢を語る場所じゃない。
騙し合い、奪い合う覚悟も、時には必要になる。
今のあなたに、それを乗り越える準備ができているの?」
「お姉ちゃん、わかってる。
でも、何もせずに傍観者でいるより、自分の力で変えたいんだ」
サーラはまっすぐ言った。
「私は無力じゃないよ。
誰かが変わらなければ、未来は変わらない」
ネフィリスが、のそのそとサーラの膝に飛び乗った。
黒く小さな身体を震わせながら、にゃあと一声鳴く。
「アリア、少し冷静になった方がいい」
ネフィリスはサーラの肩によじ登りながら、ふてぶてしい声で言った。
「サーラだってちゃんと考えている。
いつまでも子ども扱いするのは良くないぞ」
黒猫は尻尾をゆらりと揺らす。
「チャレンジさせてやればどうだい。この子は本気だよ」
アリアはぎりっと奥歯を噛みしめた。
妹を危険にさらしたくない。
それは姉として当然の感情だった。
けれど、サーラのまっすぐな決意を否定することも、また辛かった。
「でも……ネフィリス、本当に分かってるの?」
アリアは食い下がるように言葉を継いだ。
「サーラがどれだけ危険な世界に踏み込もうとしているか。
どれほどのものを、これから失うかもしれないか──ちゃんと、分かってるの?」
その声には、抑えきれないほどの妹を案じる想いが滲んでいた。
ネフィリスは一瞬だけ目を細め、やがて肩をすくめるように小さく首を振る。
「もちろん、分かってるさ」
黒猫の口調は穏やかだったが、その中には確かな強さがあった。
「でも、リスクを怖がって何もせずにいたら、きっとサーラは後悔する。
それに……彼女はもう、ちゃんと覚悟を決めてるよ」
ネフィリスは静かに言った。
「だからこそ、僕たちは信じてやらないと」
その時、玄関のドアが開く音がした。
次女リアナが帰宅してきたのだ。
「ただいまー……って、なに、この空気?」
リアナは鞄を抱えたまま、リビングに立ちすくんだ。
室内に漂う緊迫した雰囲気に、眉をひそめる。
「何かあったの?」
アリアとサーラが互いに視線を交わす。
重たい空気が、再び部屋に満ちた。
「リアナ……」
アリアが言いづらそうに切り出す。
「サーラが……選定戦に参加するって言い出したのよ」
リアナの顔から、一気に血の気が引いた。
「え……?」
誰も言葉を返せなかった。
ただ、冷たく張り詰めた夜の空気だけが、静かに部屋を満たしていた。
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