1-1-23 サーラの決意
サーラは放課後、街外れの小さな公園のベンチに腰を下ろし、ぼんやりと空を見上げていた。
日がゆっくりと傾き、空は柔らかな橙色に染まりはじめている。遠くの雲の縁が赤く光り、夕暮れの光が静かに街を包み込んでいた。
吹き抜ける風は穏やかで、頬に触れる空気が一日の疲れを少しずつほどいていくようだった。
けれど、胸の奥に渦巻く思いだけは、どうしても消えてくれなかった。
「もし私が女王になったら……本当に、何かを変えられるのかな……」
サーラは小さく呟き、視線を落として自分の膝を見つめた。
これまでの人生で、女王になるなど一度も考えたことがなかった。
周りの人々──とくに姉たちは、サーラがそんな重い責任を背負う必要はないと言っていた。
自分には特別な力があるわけでもない。
戦いに秀でているわけでもない。
ただ魔法が少し好きなだけの、どこにでもいる学生だ。
そんな自分が、果たして国の未来を左右する立場にふさわしいのだろうか。
「おーい、そんなに悩んでどうするんだ?」
突然、すぐ隣から声が聞こえた。
サーラはハッと顔を上げる。
そこには、いつの間にかネフィリスがベンチの上で丸くなっていた。
尻尾を体に巻きつけたまま、細い金色の瞳だけをこちらへ向けている。
サーラは驚きのあまり、一瞬言葉を失った。
「ね、ネフィリス!?いつからそこにいたの?」
「さっきからずっとだよ。君が空を見上げて考え込んでるあたりからな」
前足を軽く舐めてから、面倒そうに続ける。
「考え事に夢中で、全然気づいてなかったぞ」
金色の瞳が、夕焼けの光を受けて細く光った。
「君が女王になれば、この国に必要な変革を起こせるかもしれないじゃないか。それでどうしてそんなに悩む?」
軽い調子で言われた言葉だった。
だがその一言は、サーラの胸に思いのほか深く響いた。
しかし同時に、不安もまた消えなかった。
「でも……本当に私なんかで大丈夫なのかな……」
サーラは小さく呟き、公園の遊び場へと視線を移した。
そこでは、貧民街から来たらしい子供たちが数人、無邪気に走り回っていた。
石を蹴り合い、追いかけっこをしながら笑い声を上げている。
魔法とは無縁の、ただの子供の遊びだった。
その様子を眺めながら、サーラはふと考える。
自分は魔法のある生活を、ごく当たり前のものとして受け取ってきた。
けれど、あの子たちはそうではない。
「彼らにだって、魔法を学ぶ権利はあるのに……」
ぽつりとこぼれた言葉に、ネフィリスは何も答えなかった。
その時だった。
サーラの視界の端に、遠くで立ち昇る黒い煙が映り込んだ。
「……あれ?」
サーラは立ち上がり、煙の上がる方角を凝視する。
それは貧民街の方向だった。
何かが燃えている。
胸の奥で嫌な予感が膨らむ。
「ネフィリス!」
サーラはそれだけ言うと、煙の方へ向かって走り出した。
ネフィリスもすぐにベンチから飛び降り、その後を追う。
貧民街に近づくにつれ、空気が焦げた匂いを帯びていった。
現場にたどり着いたとき、すでにいくつもの家が炎に包まれていた。
火は激しく燃え上がり、赤い舌のような炎が屋根を舐めている。
よく見ると、家の軒先に取り付けられていた古びた魔法灯が破裂していた。
ひび割れた魔力結晶が黒く焦げ、制御を失った魔力が火花のように散っている。
粗末な金具で無理やり固定された、年代物の魔法器具だった。
本来ならとっくに交換されているはずのものだ。
だが貧民街では、壊れるまで使い続けるしかない。
漏れ出した魔力が火種となり、家屋の木材に燃え移ったのだろう。
人々が逃げ惑い、悲鳴があちこちから上がっていた。
炎は風にあおられ、隣の家へと広がろうとしている。
「火事……どうしよう……!」
サーラは慌てて手を動かし、水の魔法を放った。
炎の勢いを抑えようとするが、燃え広がる火の力は強く、ほとんど効果がない。
その周りには、公園で遊んでいた子供たちが集まっていた。
だが彼らはただ立ち尽くし、燃え上がる家を見つめることしかできない。
「協力してくれないかな……?」
サーラは思わず声をかけた。
だが子供たちは顔を見合わせるだけで、誰も動かなかった。
ネフィリスが尻尾をゆっくり揺らした。
「見なよ。完全に“魔法のまの字も知らない”って顔してる」
サーラは思わず視線を向けた。
炎に照らされた子供たちは、ただ不安そうに家を見上げている。
ネフィリスは首をすくめて、尻尾を丸める。
「まあ、仕方ないさ。この辺の家じゃ魔法学校なんて縁がないだろうしな」
その瞬間、サーラの胸に鋭い痛みが走った。
もし彼らの手にも魔法があったなら、力を貸してくれたかもしれない。
もし自分と同じように魔法を学んでいたなら、この火事だって、起こらなかったのかもしれない。
「逆に私が……彼らと同じ立場だったら……」
サーラは呟いた。
きっと、自分も何もできずに立ち尽くしていただろう。
彼らが無力なのは、能力がないからではない。
ただ、魔法を学ぶ機会が与えられていないだけだ。
貧しいという理由だけで、魔法を学ぶ道が閉ざされている。
それは、本当に正しいことなのだろうか。
「……やっぱり、おかしいよ」
サーラは顔を上げ、拳を握りしめた。
そして深く息を吸い込み、自分自身に言い聞かせるように口を開いた。
「もし私が女王になったら──」
彼女の声は震えていたが、そこには確かな意思が宿っていた。
「すべての子供たちが、平等に魔法を学べるようにする。この国の未来のために……それが、私にできることなんだ」
ネフィリスはしばらく黙ってサーラを見つめていた。
やがて、満足そうに口元を歪める。
「そうこなくっちゃな」
いつもの皮肉な笑みだった。
「さあ、まずはその夢を叶えるために、もっと頑張らないと」
サーラは力強く頷いた。
胸の奥に、これまで感じたことのない確かな決意が灯っている。
すべての子供たちが平等に魔法を学び、力を得られる未来──それを実現するために。
やがて街の魔法使いたちが集まり、炎は少しずつ押さえ込まれていった。
黒い煙が夜空へ溶けるように消えていく。
さっきまで暴れていた炎も、今では赤い炭火となって静かにくすぶっていた。
サーラは立ちつくしたまま、静かに息をつく。
その胸の内では、女王選定戦に挑む決意が、すでに固まっていた。
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