1-1-22 運命の歯車
放課後の通学路は、ひどく静かだった。
日が傾きかけた空に、朱色と群青が滲むように広がっている。
サーラはシェリーと別れたあと、人気のない道を一人で歩いていた。
背後に長く伸びる自分の影を見つめながら、なんとなく足早になる。
今日一日、何もなかったはずなのに、胸の奥に小さな引っかかりが残っていた。
街はいつもと変わらず動いている。自分だけがどこか取り残されたような気がして、サーラはぼんやりと夕焼けの空を見上げた。
その時、不意にすぐ近くから低い声が響いた。
「君、サーラゼル……だね?」
道端の陰に立つフード姿の女性。
先ほどまでは確かにいなかったはずの場所に、いつの間にか現れていた。
サーラは驚きのあまり、思わず数歩後ずさる。
「……誰?」
警戒心を隠さず問いかけると、女性は静かにフードをずらし、少しだけ顔を見せた。
知的な眼差しと鋭い気配を持つ、姉と同年代ほどの年若い女性だった。
「アリスティア・レイブン。レガシー魔法を研究している者だよ」
その瞳は鋭く、まるでサーラの内面を見透かしているかのようだった。
サーラは眉をひそめる。
「レガシー魔法?」
聞き返すと、アリスティアは軽く頷いた。
「そうだ。君が魔法学校の大時計を修復したと聞いた。
誰も手をつけようとしなかった、あの王国歴二千年問題をね」
サーラは一瞬戸惑ったように視線を落とす。
あれはただ、古びた機械の時刻を合わせようとしただけだ。少し考えれば誰にでもできることのように思えた。
「私……ただ、なんとなく触ってみただけで……そんな、大したことじゃないわ」
そう弁解するように言うサーラに、アリスティアは揺るがぬ声で返した。
「いや、誰にでもできることじゃない」
冷たい夜風が二人の間を吹き抜ける。
「君が扱ったのはレガシー魔法だ。それも、今ではほとんど忘れ去られたものだよ。
誰も手を付けたがらないような問題を、君は解決した。無意識であれ、君にはその才能がある」
その言葉に、サーラは困惑した。
確かに、誰も直せなかった大時計を修復したのは事実だが、それがこんな大きな話になるとは思ってもみなかった。
彼女はふと目を逸らし、アリスティアの意図が分からないまま身構える。
「……何が言いたいの?」
わずかに震える声で問い返した。
アリスティアはサーラの目を真っ直ぐ見つめ、静かに続ける。
「次期女王選定のことは、もう耳にしているだろう」
サーラは小さく頷いた。
「君がその候補になる可能性は高い。そして、君の“力”を狙う者たちは、すでに動き始めている」
アリスティアの声は、夜の冷たさよりも鋭かった。
「私がここに来たのは、警告するためだ」
「警告……?」
思わず聞き返すサーラ。
胸の奥に、説明できない不安がじわりと広がる。
「近いうちに、君のもとに別の者たちがやってくるだろう」
その言葉に、サーラはごくりと喉を鳴らした。
「彼らの目的はただ一つ。君を懐柔し、自分たちの利益のために操ることだ。
甘い言葉で誘い、魅力的な条件を提示してくるだろう。油断しないことだ」
アリスティアの瞳には、深い警戒と憂いが宿っていた。
サーラはきつく唇を引き結ぶ。
「誰が来るの?」
思わず問いかける。
アリスティアは少しだけ微笑んだが、その表情にはどこか哀しみが混じっていた。
「もうすぐ分かるよ。私がここにいる間は、彼らも手を出せないだろうけど──」
言いかけたアリスティアがふと周囲に目を向けた。
彼女の敏感な魔力感知に、何かが引っかかったらしい。
「とにかく、見知らぬ者には気をつけることだ」
それだけ告げると、アリスティアは踵を返し、夕闇に溶けるように去っていった。
サーラはその場に立ち尽くし、心臓の高鳴りを抑えられずにいた。
冷たい夜風が、制服の裾をひらひらと揺らす。
「待って……!」
我に返ったサーラは慌てて後を追う。
だが、すでにあたりにアリスティアの姿はなかった。角を曲がって通りを覗き込んでも、人影ひとつない。
まるで最初から存在しなかったかのように、気配すら感じられなかった。
「嘘……あんなに近くにいたのに……」
サーラは小さくつぶやき、立ち止まったまま辺りを見渡した。
静まり返った街並みが、やけに遠く思えた。
足元に落ちた夕暮れの影が、サーラの不安をじわじわと広げていく。
「サーラゼルさん……ですね? 初めまして」
不意に声をかけられて振り向くと、そこにはスーツ姿の端正な男が立っていた。
整った顔立ちに、冷静な笑みを浮かべている。
彼は礼儀正しく一礼した後、柔らかな声で語りかけてきた。
「私は、ある企業の代理人として動いております」
突然の接触に、サーラは一歩後ずさる。
ついさっきアリスティアから警告されたばかりだ。警戒心が一気に高まった。
男はにこりと微笑み、丁寧に名刺を差し出した。
そこには、奇妙な意匠のエンブレムが印刷されている。
「企業連合……?」
サーラは眉をひそめた。
男は微笑みを崩さずに続ける。
「お話しするのは少し性急かもしれませんが……私たちは、あなたに非常に大きな興味を持っています」
その言葉に、サーラの心拍数が上がる。
「次期女王選定の予備選に、あなたが参加するだけで、我々は多額の報酬を提供いたします。もちろん、それだけではありません」
男の声は低く、甘い毒のように耳にまとわりつく。
「あなたが進めば進むほど、さらに良い条件が約束されます。
より多くの支援、より高い地位……すべてが手に入る」
サーラはきっぱりと首を振った。
「私は……金で動く人間じゃないわ!」
はっきりとした拒絶にも、男はまるで意に介さない様子だった。
「もちろん、それは承知しています。我々が提案しているのは、あくまで可能性──あなた自身が選べる未来です」
男はまるで紳士のように、言葉を慎重に選びながら続けた。
「選定戦に参加するには、費用もかかります。準備にも、人脈にも、時間と魔力と努力が必要です。
その全てを、我々がサポートする。そういう話です。何も強制はしません」
その口調は終始穏やかで、礼儀正しく、非の打ち所がない。
だがサーラには、それが魅力的な契約を差し出す悪魔の囁きのように思えた。
サーラは唇をかみ、胸の内で葛藤する。
確かに、選定戦に出るなら支援は必要かもしれない。でも──。
「……考えさせて」
サーラは苦しげに答えた。
「もちろん、いつでもご連絡を。あなたの成功を、心よりお祈りしています」
それだけ言い残すと、男は夜の街に紛れるように立ち去った。
サーラは名刺を見つめたまま、ただその場に立ち尽くしていた。
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