1-1-13 巨人暴走
午後の陽射しが差し込むカフェは、甘い焼き菓子の香りと、珈琲の苦い香りが心地よく混ざり合っていた。
サーラは窓際の席に腰掛け、ミルクたっぷりのカフェオレを両手で包み込むように持ちながら、ふうっと小さな息をついた。
「ねえ、見て見て。このケーキ、可愛すぎない?」
向かいの席のシェリーが、上機嫌でベリータルトを差し出してくる。甘酸っぱい香りが、サーラの鼻をくすぐった。
「ほんとだ。宝石みたい」
サーラはにこりと笑い、スプーンを手に取る。
テーブルの隅では、黒猫の姿をしたネフィリスが、ふん、と鼻を鳴らしてカップの匂いを嗅いでいた。
「甘ったるい。人間ってのはどうしてこうも、食べ物を口にすると無防備に油断するのかね」
ネフィリスの皮肉に、シェリーがくすくすと笑う。
「でも、たまにはいいじゃない。平和な時間って貴重よ」
「貴重だからこそ、長くは続かないものさ」
サーラは苦笑しつつ、窓の外へ目をやった。青空には小鳥たちが舞い、広場では子どもたちが魔法式のホウキを持って遊んでいる。
この街の日常は、そんなふうに穏やかに流れていた──その時までは。
コップの中のカフェオレが、わずかに揺れた。
最初は気のせいかと思ったが、次の瞬間、確かに床が震えた。
カフェの棚に並べられていたカップが、かすかに音を立ててぶつかり合う。
「……何か、変じゃない?」
シェリーが不安そうに眉を寄せる。
サーラも立ち上がり、カフェのガラス越しに通りを見た。
人々がざわめきながら、奥の通りを指さしている。その向こうに、巨大な影が現れる。
鈍い地響きと共に、石畳を揺らして現れたのは、漆黒の巨人だった。
無骨な岩石の身体に、禍々しい魔法の紋章──ルーンが浮かび上がっている。明らかに、ただのゴーレムではない。
「うわ……なにあれ!」
サーラの声が裏返った。
ネフィリスの瞳が鋭く細められる。
「……あれは教団のルーンゴーレムだ。ひょっとして、暴走しているのか?……まずいな」
街の人々は悲鳴を上げながら四散し、騎士団の制服を着た兵士たちが急ぎ駆けつけるのが見えた。
「月の騎士団が出動してるってことは、相当やばいわね……」
シェリーが小さく呟く。
王宮直属の騎士団、通称「月の騎士団」は、王国の守護者として特別に結成された精鋭の軍隊である。
彼らは王宮を中心に活動し、国の平和と安全を保つため、剣技と魔法に秀でた選抜の戦士たちで構成されていた。
だが、ゴーレムは彼らに構うことなく、ただひたすら前進を続ける。
その進路の先には、サーラたちのいるカフェがあった。
サーラはカフェの中で硬直した。
シェリーもスカートをつまみながら、戸惑いの色を隠せない。
「こっち来てる……よね?」
「……そうだね。逃げるなら今だぞ」
ネフィリスが低い声で促す。
だが、カフェの出入り口にはすでに避難する人々の波ができ、すぐには出られそうにない。
サーラは一瞬だけ迷い、シェリーの手をぎゅっと握った。
「シェリー、裏口に回ろう!」
「う、うん!」
二人はカフェの奥へ走り出した。
背後では、鈍い衝撃音と共に建物が震える。ゴーレムの足音が、すぐそこまで迫っていた。
カフェの裏口を出た瞬間、サーラたちは騎士団の魔法兵たちと出くわした。
彼らは盾を展開し、ゴーレムの進路を塞ごうとしていた。
「防御陣、展開!止めろ、あのゴーレムを!」
隊長らしき騎士が叫ぶと、兵士たちは一斉に杖を構えた。
空中に描かれる幾何学的な魔法陣。それが光り、次の瞬間、閃光の矢がゴーレムに向かって放たれた。
しかし、黒い巨体はびくともしない。
魔法の矢はゴーレムの岩肌に当たると、派手な火花を散らし、弾かれてしまった。
「くそっ、魔法耐性が異常に高い!」
騎士たちの間に焦りが広がる。
そこへ、黒衣をまとった一団が現れた。
胸に教団の紋章を刻んだ使者たちだ。彼らは騎士団の前にずかずかと進み出ると、傲然と言い放った。
「このゴーレムは、我ら教団が管理する貴重な聖遺物である。これ以上の破壊行為は許可できない」
「バカな!」
隊長が叫んだ。
「これ以上放置すれば、街が──!」
「ならば、あなた方が責任を負えるのか?」
教団の使者は冷たく言い放ち、文書らしきものを騎士団に突きつけた。
封蝋が押された公文書。どうやら上層部の決定らしい。
騎士たちは一斉に顔を曇らせた。
命令違反はできない。結局、手を引くしかなかった。
その間にも、ゴーレムはゆっくりと、しかし圧倒的な破壊力で暴走を続けていた。
今も、着実にサーラたちのいる通りへ向かってきている。
漆黒の巨体は三階建ての建物ほどもあり、歩くたびに石畳が軋んだ。
「どうするの、サーラ!」
シェリーが叫ぶ。
サーラは息を呑んだ。
心臓が早鐘を打つ。
彼女にはまだ、本格的な実戦経験はなかった。
それでも──見捨てるわけにはいかなかった。
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