1-1-10 巡回魔法
朝、いつも通りの活気に満ちていた教室に、シェリーの姿はなかった。
サーラはそれを不審に思ったが、シェリーが体調を崩したのかもしれない、と最初は深く考えなかった。
彼女は真面目で責任感の強い性格だ。無断欠席など考えにくいとは思いながらも、朝の時点ではまだ「たまたま」の範囲に収まっていた。
しかし、昼休みを迎えても何の連絡もない。
それでも教室には、彼女の席だけがぽつんと空いたままだった。
無断欠席など、やはりシェリーらしくない。
サーラは胸の奥に小さな不安を抱えながら、放課後になると迷うことなくシェリーの家を訪ねることにした。
シェリーの家は企業連合の一角にあり、厳重なセキュリティに守られたエリアだった。
高い塀と監視装置に囲まれたその区画は、王都の中でも特に警備の厳しい場所のひとつである。
サーラは何度か訪れたことがあるため、入口の警備員にも顔を覚えられていた。
彼女は躊躇なく受付でシェリーの名前を告げ、訪問を申し出る。
だが、返ってきた言葉は予想外だった。
「申し訳ありませんが、シェリー嬢は現在ご不在です」
「そうですか……連絡もなくて心配だったんですけど……」
その時だった。
警備員の表情が、ほんの一瞬だけ変わった。
わずかな沈黙。
視線の揺れ。
それはすぐに元に戻ったが、サーラは見逃さなかった。
──何か隠している。
そう直感した。
「少しお待ちいただけますか?」
そう言って警備員は内線で誰かと話し始めた。
その様子を見て、サーラはただならぬ事態が起きていることを確信する。
しばらくして、奥の扉が開いた。
現れたのは、シェリーの父親──企業連合の重役だった。
目の下には濃い隈が刻まれている。少なくとも、一晩は眠っていない顔だった。
険しい表情のままサーラを見据え、静かな声で言う。
「サーラ君、来てくれてありがとう。しかし、ここから先は君の関わることではない」
「でも、シェリーが無断で学校を休むなんておかしいです。何があったんですか?」
「個人的な事情だ。企業連合が解決する。君は余計な心配をしなくていい」
冷たく言い放たれた言葉に、サーラは反論できず、唇を噛んだ。
だが、シェリーのことを思うと、黙って帰ることなどできない。
「シェリーのことは、私が一番よく知っています。もし何か問題があったなら、私も協力します!」
サーラの申し出に、シェリーの父親は再び険しい顔をした。
だが、答えは変わらなかった。
「君に頼むことではない。企業連合は自分たちで対処できる」
その言葉とは裏腹に、彼の手はわずかに震えていた。
サーラはそれ以上食い下がることができず、その場を後にするしかなかった。
だが、心の中ではすでに決めていた。
──自分でシェリーを探し出す。
友人を危険な目に遭わせたくない。
その思いが、サーラの決意を固めていた。
家に戻ったサーラは、自室に閉じこもるとすぐにネフィリスへ状況を説明した。
黒猫の姿をした魔法AIのネフィリスは、彼女の思考を補助する存在である。
「どうしてそんなに焦っているのさ?」
ネフィリスの問いに、サーラは一瞬だけ言葉を詰まらせた。胸の奥で不安がざわめいている。けれど、それをそのまま口にすれば思考まで乱れてしまう気がした。小さく息を整え、頭の中で状況を並べ直す。
「私の予感が正しければ……時間があまり残されていない気がするんだ」
そして続ける。
「シェリーは……誘拐されているかもしれない。
もしそうなら、早く見つけなきゃ!」
ネフィリスは尻尾をゆっくり揺らす。
「でも、彼女が攫われた場所を特定する手掛かりはないんだろう?
一晩経過しているなら、家と学校の間を調べるだけじゃ足りない。ルートはいくつも考えられるし、立ち寄り場所もあり得る。手当たり次第に探すのは非効率だね」
「魔法を使えば、人力では計算しきれないほど複雑なルートも高速で解ける」
サーラはすぐに言い返した。
ネフィリスは少し楽しそうに目を細める。
「《巡回商人問題》だね。複数のポイントから最短ルートを特定するための古典的な問題だ」
「シンプルな魔法だけど、術式は正確さが要求される」
サーラは決意を固めると、すぐに行動を開始した。
「まずは候補点の抽出……」
机の上に地図を広げる。
シェリーが通りそうなルート、立ち寄りそうな場所をいくつか特定していく。候補地点はすぐに十を超えた。
各地点を魔法で定量化し、最適な巡回ルートを計算するための術式を、頭の中で組み立てていった。
サーラは深呼吸すると、魔法陣を描き始めた。
彼女の指先から細かな光の粒が舞い上がり、地図の上へと降り注ぐ。
すると描かれたルートが、淡い光を帯びて浮かび上がった。
一本、また一本と光の線が増え、地図の上に複雑な幾何模様が広がっていく。
無数の経路が重なり合い、地図は瞬く間に光の網で埋め尽くされた。
ネフィリスがその様子を見て目を細める。
「……迷子になるための地図なら完璧だね」
「行動条件を設定するわ。シェリーは用もなく道を変えない」
サーラは指先を静かに動かした。
すると地図の光がふっと揺れる。
次の瞬間、何本かの線が淡くかすみ、そのまま消えた。
それを合図にしたかのように、光の網のあちこちで線がほどけていく。
遠回りになる経路が、順にふるい落とされていくようだった。
複雑だった光の網は、みるみる形を変えていく。
絡み合っていた線がほどけ、残った経路だけが静かに組み替えられていった。
やがて地図の上に残った光は、最初の半分にも満たなくなっていた。
ネフィリスが小さく息を漏らす。
「……ふふん。見かけほど無茶じゃなかったか」
「もう少し絞れそうだけど……待って」
そのとき、サーラはふと手を止めた。
ネフィリスが首をかしげる。「どうしたの?」
サーラは地図を見つめたまま言った。「シェリーなら、人通りの多い道を選ぶはず」
それは計算ではなく、経験だった。
「もう一つ条件を追加する。シェリーは安全な道を選ぶ」
そう言って、いくつかの地点を消していく。候補ルートがさらに絞られた。
「なるほど。行動パターンの重み付けか。友達のデータは強いね」
ネフィリスが楽しそうに言う。残った光の線が再び動き始め、いくつものルートが生まれては消え、再構成されていく。まるで地図そのものが思考しているかのようだった。
やがて複雑だった光の網がゆっくりと収束していく。残ったのは、わずかな候補ルート。そしてその中の一本を見た瞬間、サーラの指が止まった。
「……この地点。経路の収束率が一番高い」
そこは人通りは多い。だがすぐ横に裏路地へ続く細い通路があり、人目が途切れる瞬間が生まれる場所だった。
「表通りから、裏路地に引き込める……犯人にとっては都合が良い場所だね」
ネフィリスが低く呟く。
光の線がそこへ収束するように輝き、魔法演算が一つの答えを示した。
「断定はできない。でも、ここが最有力だ」
サーラは地図を掴むと、迷いなく立ち上がる。そのまま部屋を飛び出した。
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