役立たず(大人)
「……兵士長、いまだにサオリ様は?」
「駄目だと言っとろうが。サオリ様からは部屋に入ることを拒否され、文官も会えん。……元より政は我々がやってたからいいがな」
兵士長であるパンデルは大きく溜息を吐いた。
露骨に無念そうにする兵士たちにではない。結局サオリの心を助けられていない、自分に対して、忸怩たる思いが出てしまっているだけだ。
英雄たちによって、魔族や亜人、突如現れた謎の生命――それこそ怪物との大戦争において、勝利出来たのは、まさしく幸運だった。
この世界にいる人々だけでは、どうしようもなかったであろう大戦。
その後も、何人かの英雄が問題を起こしているが、サオリはそういうことは何一つとして起こさなかった。
むしろ極めて常識的であったと考えていい。向こうの世界とは技術や文化が比べ物にならないというのに、嫌な顔のひとつもせず、受け入れたのだ。
話を聞く限りでは、今の自分達の世界では到底考えられぬほどの世界――それこそ、神の御業かと思うほどの文明が生まれていたという話だ。
少なくとも、バンデルであればそんな世界から離れることなど、とても考えられない。
ましてサオリほど教養のある者である。こちらがどれだけ不自由かもわかっていたはずだ。
それでもなおこちらの世界を選んで、残ってくれた。そのことには感謝の思いしか湧いてこない。
「なんとしても、サオリ様には立ち直ってもらわねばいかん」
「それはもちろんの事なのですが……報告がありまして」
なんだ、という顔を向ける。珍しく兵士がいい顔をしているのだ。
こんな状況になっていい顔をしているのは、久々に見た。同時に、何かを話したくてしょうがないという顔をしているのも分かる。
こめかみを少しばかり指で押しながら、パンデルは先を促した。
「どうした。何か報告したいことがあるのか?」
「ええ、エルダシオン様が帰郷し、兵長とお会いしたいとおっしゃられています」
思わず顔を上げ、兵士の目を見る。
「……ファバタール様の娘のシオンがか?」
「はい」
「サオリ様には?」
兵士が首を振る。
「ここ数日で、ますます症状が悪化していて、とても伝えられるような雰囲気ではありませんでした……その――」
「――もう、誰が敵か味方かわからなくなっているのではないかと? その通りだ」
大きく、溜息を再度吐く。もうサオリがああなってから何度溜息を吐いたか分からなくなっている。
彼女は狂気と正気、その境目を幾度となく渡っているような気がするのだ。少なくとも、彼女がもしも正気を失ってしまえば、この地には地獄が展開される。
死霊術師たる彼女の力は、彼女自身が望もうが望むまいが、制御できなければ災いをもたらすだろう。まして狂気に堕ちてしまえば、どれだけの被害が出るかわからない。
つまり、最悪の事態に備えて、自分たちの持つ剣を、武力を、英雄たる彼女に向けられる用意をしておかなければならないのだ。
指を木で作られた机へと叩きつけ、コツコツと鳴らしながら、パンデルは思案した。
彼女自身が殺戮者になるということを、止めなければならない。彼女は自らが他人に死を振りまくものになるぐらいならば、自らの死を選ぶ。
そして、我々もその手助けをしなければならない。
「とりあえず、先にシオンに会おう。この部屋へと連れて来てくれ」
「了解いたしました」
暗い気分で、そのような場合になった際の対処を考えていたが、幾ばくが気が楽になった。
同時に何故、今になって戻ってきたのかとも思わなくもない。死霊術師として名を馳せたファバタール・リィドゥル。その娘であるエルダシオン・リィドゥル。
サオリとの関わりが深い親子であったが、ファバタールは首都へと出向する形でいなくなり、エルダシオンは修行に出ると行って、しばらくたびに出ていたはずである。
そして、エルダシオンはサオリの無二の親友だった。魔法――それも死霊術を得意としていた2人は親密な仲になっており、姉妹かと見紛うほどの仲の良さだったのだ。
今でこそ英雄と讃えられていたサオリも、南方領へと始めた来たときは、正直、こんな少女がとパンデルは疑っていたのだ。
周りも距離を測りかねている中、エルダシオンだけが、平然と彼女に声を掛けた。
――シオンと呼んでください。
そこから、サオリが明るくなっていたのだ。エルダシオンから始まり、まず最初に兵たちが、次に我々隊長たちが、次に民へと信頼が広がっていった。
エルダシオンがしたことは、我々には決して出来なかったことだ。最初から、彼女を疑っていたパンデルたちでは、どうにもならなかっただろう。
サオリと共に学んだ魔術師も、初めは彼女の才能に嫉妬し、恐れ、距離を取ることしかしなかった。
同じような才能を持ち、すでに周りからもその才能を認められていたエルダシオンが話すことが全てのきっかけだった。
どうやって創りだしたのかは知らないが、そこらの魔族や兵士長では勝てぬワルキューレと呼ばれるホムンクルスたちに、生命ある銀。
将来リィドゥル家を受け継ぐことが決まっているほどの才がありつつも、良い意味で貴族らしさを感じさせない娘だった。
「……さて、シオンであればどうにかしてくれるだろうか」
こちらへと敬礼し、部屋から去っていく兵士を見送ってから、もう一度思考する。
今のサオリは、自分たちでは救えない。彼女を救えるのは、幼き頃からの友人であるエルダシオンだけだろう。
本当はもう一人、救える男がいたのだが、その男はもういない。
サオリを孤独から引き上げてくれればいい。出来なくとも、それはエルダシオンが悪いわけではない。
最も悪いのは、サオリの悲しみや孤独を癒やすことの出来ない、不甲斐ない自分たちだ。
大人たちが情けないあまりに、まだ幼い少女たちに負担を掛けてしまっている。
サオリが来たときから変わっていない、自分たちの無力さに思わず笑ってしまう。自らの無能さに対する嘲笑だった。
彼女は、英雄である前にただ1人の少女、それも異世界からやってきたのである。
それがどれだけ心細いことであったのだろうか、自分は少しでも理解しようとしたのだろうか。
最初から、人外の存在だとして、彼女を信頼するようになった今でも、人ではないとどこかで思い込んでいたのではないか。
「……くだらない考えだ」
今更それを考えたところで、どうなるというのだ。もはや、自分ではどうにもならないのだ。
扉を叩く音がする。何度も聞いた声がした。それに短く答えを返す。
結局役立たずなのはパンデルだったのだ。




