名前(意味)
落下し、派手に爆発していく魔力の塊を回避しながら、ルーフェルは走りだしていた。
足を止めるような真似は、絶対にしない。止まればそこで、自分の敗北が確定するからだ。
――やはり、殺す気はありませんか。
大振りな一撃を丁寧に躱しつつ、織り交ぜられる小さな弾幕をくぐり抜ける。
本当に、殺害するつもりはないのだろう。それが良いことかといえば、むしろ悪い方なのだが、ルーフェルにとってはどうでも良かった。
ここで殺されなければ、自害するまでだ。今までは復讐の機会を伺っていたが、もうその役目を任せられる男がいる。
自分が死んでも悲しんでくれて、一生忘れないでいてくれるであろう男がいるのだ。
なればこそ、死んでもいい。生きてなお屈辱を味わうなど、自らの望むところではない。
だからこそ、ルーフェルはほぼ捨て身だった。自害する覚悟まで出来ていれば、何も怯えるものもない。
道を踏み外しても恐れることはない。もうすでに、自分は救われていたのだから、そのような考えもいらない。
ただ、進むのみ。
「クソッ! クソ! クソッ!」
東方伯が息を荒げながら、苛つきを隠さずに新たな魔法の詠唱へと入るのが見て取れた。宿敵の背後に、巨大な魔法陣が出現するのを確認する。
何を出すのかは分からないが、いずれにせよ、大技であることには違いないだろう。
ならばこそ、そこにチャンスがある。機を逃してはならない。
自分へと直撃するであろう魔法弾のみを切り捨てて、前へ、前へと駆け抜けていく。
いずれにせよ、何らかの詠唱をしているのであれば、時間がかかるはず、そこを突けば――
――そう思っていた矢先だった。
「くたばれ」
そう、東方伯が呟くのがはっきりと見えた。
身構える前に、身体が反応していた。地面から土で作られた剣が大量に溢れ出てくるその前に、大地を蹴り飛ばし、宙に逃げた。
そこを逃さないとでもいうように剣が跳ね上げられ、伸びてくる。いずれもが、鋭い切っ先を、自らの手足を狙っている。
だが、それならばそちらのほうが、見えやすい。殺意の塊がはっきりと映るのだ。肌に刺してくる感覚。それが、どこを狙っているのかを教えてくれる。
空中で身を翻しながら、腕と足を狙って飛んできた剣を叩き落とす。着地際に、飛んできたものを払い落とし、さらに接近する。
もう顔まではっきりと見える距離にまで近づいていく。ここしかない。足は更に加速していく。
近寄らせまいと、東方伯が新たな魔法を詠唱しようとするが、遅すぎる。
この距離ならば、こちらのほうが、早い。エルフの騎士としての誇りにかけて、その首を切り落とす。
ようやく、切り落とせるのだ。忌々しいあの首を、ようやく。
「遅いんだよおぉ!!」
東方伯が、詠唱を抜きにして、魔法による物理障壁を展開する。自分の剣をそれで防ぐつもりなのだろう。
以前は、実際それで防がれた。だが、今回は違う。
「甘い」
刀が前回とは違うのだ。今の刀は、違う。元の自分の愛用の刀である。騙されて、偽の刀で戦わざるを得なかった時とは、違う。
この刀は、刀鍛冶のエルフたちの誇りであり、自らの誇りも同然である。その刀が、自らの手にある。
ならばこそ、覚悟は定まっていた。この刀と一刀で、この男の首を、落とす。
魔法で生み出された障壁が、ルーフェルの刀を防ごうとするが、紙のように容易く斬り落とされていく。
刀が、首のところまで近づいていく。討ち取った。確実に殺せる。この男の首と胴を離してやれる。
「とでも思ったのかい」
東方伯が笑った。首と胴が、別れる。そして、それらが灰のようになってから溶けて消えていく。
罠だと気づいた時には、遅かった。 消えた東方伯の身体が、魔法陣となり、大地へと浮かび上がる。
選ばれた魔法は、どんなものかすぐに分かった。拷問、尋問、その他様々なろくでもないことに使われる毒の霧を出す魔法。
それが、この規模である。逃げ道など、とうに失せている。どうあがいたところで、逃げ切れる訳がない。
見誤ったといえば、それまでだ。自分が焦りすぎた。首が取れると、思い込みすぎたのだ。
このまま自らが動けなくなった後、東方伯が、どうするつもりなのかは手に取るように分かった。
またしても敗北してしまうのだろうか。このまま、自害することも出来ずに、弄ばれるのか。
魔法陣が光りだす、逃げようにも、自らの視線の果てまで埋め尽くすこの魔方陣では、どうやっても、決着は付いている。
だが、このまま諦めるつもりはない。最初から、囮を使っていた東方伯に、せめて一太刀を浴びせるまでは、死ねない。
そう自らが刻みこんだ思いを、裏切るわけにはいかない。ここで、ただ無様に遊ばれるような命ではない。
力が抜けそうになる足に、歯を噛み締めて力を入れ直す。どうしようもないのは分かっている。だが、ここで諦めてなるものか。
「まだ、終わるわけには」
そう呟くと同時に、魔法陣が光りだす。最後の最後まで、立っている。それこそが自分の意思だと――。
『そうだ、終わるわけにはいかんよな』
いつの間にか、近くで声が響く。同時に異変にも気づいた。
魔法陣の中心部に、いつの間にか染み出すように黒い染みが現れていた。それが、一挙に広がりだす。
地面を、魔法陣を覆い隠すように、黒い染みが全てを覆い尽くしていく。
『お前の復讐はこれで終わりじゃない。ここから始まるんだ』
「ええ、そうです。私の復讐は、ここから、なんです」
『手出しはしないが、あくまでも公平な殺し合いにする』
それでいいんだなと、再度、近くから聞こえる声に頷き返す。
自らの信頼する、男の声だ、東方伯という、怪物相手の声ではない。よく知った、人の声だ。
「……その声、お前」
『また会ったな、佐々木』
東方伯が、地面を覆い尽くした黒い染みに話しかける。言葉を絞り出す口は、震えていた。
「裏切り者が、まだ生きていたのか。英雄として死ねた名誉を、与えてやったものを」
『凡人には英雄なんて称号、重すぎる。それに、俺はこんな世界の英雄になんぞ、なりたくない。作られた英雄なら、なおさらだ』
「俺たちを侮辱するのか」
『自分の名前を忘れたような、モノに語る言葉はもうねえよ』
「名前などどうでもいい、英雄として、東方伯としての名誉があるからな」
救えないな、と男が言う。
少しばかり、それが寂しそうな声だったのは、触れなかった。
『ルーフェル、そいつを殺せ。俺が余計な真似はさせない。純粋な実力勝負だ』
「ええ、分かっています――」
純粋な実力勝負、騙し討ちの類もない。
ならば、やれる。ここで、決着をつける。
「――サド、貴方の為にも、私がこの男を、ササキを斬ります」




