開戦(名前)
「畜生ッ! どういうことだよおい!」
「黙ってろ、アルザス」
目の前に来た怪物と、死んだはずの魔族たちを切り倒しながら、ケトルはアルザスの言葉を聞き流し、剣を振るっていた。
あまりの敵の数に、これが現実だと考えられなくなりそうになるが、意思を強く保ち、思考を切り替える。
幸い、部隊は選ばれた精鋭たちで構成されていたため、まだ乱れはない。
何より、たった二十名とはいえ、騎馬隊が囲まれる前に離脱し、一撃を与えては退くという戦法を取ってくれているおかげで、締め付けがそこまで強烈ではないというのも助かっている。
騎馬隊がいなければ、どうなっていたかと考えるだけでゾッとする。だが、楽観視はしていられなかった。
「どんだけ湧いてくるんだ、こいつらは」
数、数、数。圧倒的数の暴力である。黒く流れる液体は、直接触れても何か害を与えるような様子はない。
何らかの魔法が関わっている、ということ以外は自分には理解できず、あれが毒などを与えてこないことを祈るだけだった。
さらに言えば、こちらに対して一切の殺意を持たないというのもの、不気味なのだ。
攻撃はしてくるが、どれもが絶対に人が死なない所のみを狙ってくるのだ。
故に、命を落とすことはない。命を落とすことはないのだが――
「――悪趣味だな」
あの怪物の群れに捕まった一人の騎士へと目をやれば、助けを乞うような目でこちらを見てくる。
無論助けられるわけがない。群れの中に一人だけ突っ込んでしまえば、部隊が崩れる。命には関わらないのならば見捨てるしかない。
魔族たちに、ただひたすらに、無言で仲間の騎士達の手足に槍を貫かれ、縫い止めれてようが、助けには、行けないのだ。
「ご丁寧に、治療してくれるのも謎だがな」
あくまでも、殺しはしないということだろう。血止めだけは、魔法で行い、最低限殺さないようにしている。
正直に言えば、全く意味が分からない。指揮を下げるのが目的であれば、痛がらせ、喚かせるというのは確かに、有効な手段だ。
盛大に痛がりでもすれば、次は自分がその痛みを味わうのかもしれないという恐怖が伝染していく。
ただでさえ、四肢を串刺し状態で放置されているのだから、より恐ろしさを感じ、逃げる兵も出てきたかもしれない。
「だから、意味が分からねえんだ」
呟きながら、四肢を狙うために突き出された槍を剣で受け流しそのまま、首筋を少しばかり切りつけ、次の相手の槍を跳ねて避けていく。
「なんで、わざわざ治療してくるのか? ってか」
「そうだ」
死ぬことはない、という安堵が味方に広がっているのを、ケトルは感じていた。アルザスもそうだろう。
恐怖を与えることが目的ではないのか。それとも自分たちを殺すことが目的ではないのか――
――足止めか。
「こいつらを処理して、東方伯とさっさと合流したいところだが」
「そういかせるものかって感じだがな」
東方伯がいた方に視線を移せば、すさまじい爆発と、光がそこら中の大地に降り注いでいる。
あの東方伯の魔法だろうというのは、容易く想像できるが、どういう魔法であるかは、分からない。
さらに気がつけば、大量の魔導兵が地面から産まれ、魔族と怪物を薙ぎ払っている。
だが、蹴散らされる以上の数が、東方伯と生み出した魔導兵に向かっていくのが見て取れる。
ここまで見れば、誰が狙いであるのかはすぐ分かる。というより、初めから分かってはいたのだ。
「援護に行くまで、生きてくれればいいんだが」
「どうなるかね」
再び迫ってきた魔族の首を切り落とし、体勢を整える。
いずれにせよ、どうにかしなければならないのは、明白だった。
「また会えたねえ、ルーフェル」
「ええ」
こちらを見据えつつも魔法の展開を――それも、この世界ではありえないほどの魔力を維持して――続ける男の顔を見て、ルーフェルは冷静さを保っていた。
歪んだ笑み、興奮を抑えきれずにかちかちと耳障りに鳴っている音。いずれも不快であるというほかない。
わざわざ護衛の騎士たちまで、あの男の身体から生み出した魔族と怪物への相手と回したぐらいである。
東方伯もまた、自分と相対することを目的としていたのだろう。
そこまで考えれば、はっきりする。この男の望みが一体何なのであるかが。
「まだ、私に拘っているのですね」
「当たり前だろ? 欲しいもの手に入れる。当然だ」
「当然、ですか」
もはや、剣ですら自分は見られていないのか。ただの肉欲の対象としてでしか見られていないのか。
ここまでくると、自らの決意すら、馬鹿げた思いだと感じる。
「――剣を求めて、我々の里を襲った時の貴方は、まだ理性があったというのに」
「何の話だい? ルーフェル」
言葉を語る必要性は、もはや感じられなかった。
自分を襲った時ですら、まだ人間味はあった。感情があった。何かしら、理解できそうな気はしたのだ。
それすらもなくなってしまった。今、目の前にいるのはただの獣だ。強大な力を得たいがために人としての理性を捨てている。
もはや憐れみの感情すら湧いていた。同時に、今ここで殺さなければならないという思いも、強くなった。
自らの主と定めた、あの男の言うとおりだったのだ。徐々に理性を蝕まれていくという話は、嘘でも何でもなかったのだ。
「憐れんであげましょう、貴方を。獣になってしまった貴方を」
「哀れみとはまた、愉快な発言だねえ? これか僕が君を捕らえて、悦びを身体に刻み込んであげるつもりだというのに」
「貴方ができるのであればそうしても構いません。ですが、一つだけお聞かせ願えますか?」
「どうぞ?」
息を吐く。本当にこれに意味があるのか、と男に聞いた時は疑問に思ったものだが、確かに意味はある。
この問いに対して、東方伯はなんと返すだろうか。むしろ答えられるのだろうか。
一瞬、様々な考えがよぎるが、すぐに思い直す。
「――貴方は、自分の名前を答えられますか?」
「なんだと?」
名前と聞いて、東方伯が固まる。
しばらく黙っていた。周りでは、東方伯に向かおうとしていた魔族たちや、怪物が、東方伯の生み出した魔導兵に薙ぎ払われている。
東方伯の息が荒くなる。自らの名前を必死に思い出そうとしているのだろう。
「言えないのですか?」
「黙れ」
完全に、混乱しているのが見て取れる。
「あなたには肩書しか、ないのですね。もう、それしか、寄るものが」
「黙れと言っている」
「貴方には、東方伯という、仮初めのものしかない。もう貴方を証明するものは――」
「――黙れ黙れ黙れ」
瞬間、魔力が東方伯から溢れだした。魔導兵たちに、それらが注ぎ込まれていく。
剣を、構え直した。
これで、まともな判断はできなくなったであろう東方伯を見つめなおす
「絶対に殺さん。自ら許しを乞いて足を舐め回し、エルフとしての誇りなぞ塵芥だと宣言するまで嬲ってやる」
「出来るものなら、どうぞ。東方伯」
返答代わりに飛んできたのは、巨大な魔力の塊たちだった。




