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ク☆レ☆ゲー  作者: アイ田アイ


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9/10

9話 屍喰鬼(グール)の強襲と姫君の自立

 タグ掛け(タグ・フッキング)による確率機攻略から数日後。


 俺の血糖値と胃壁の治安は、かつてないほどの安定を見せていた。

 紬からの手厚い「スポンサー料(食料現物支給)」のおかげである。



 腹が満たされると、人間の思考はここまで変わるものなのか。


 以前の俺なら「空きコマにゲーセンへ行く」などという行為は、カロリー消費を伴う無駄な労働でしかなかった。

 だが今は、並木道を紬と並んで歩きながら、『スポット・ニュートン』へと向かうこの時間が、ほんの少しだけ……いや、認めよう。

 かなり待ち遠しくなっていた。



「よしっ、今日こそ自力で推しをお迎えします!」


 意気揚々と自動ドアを潜り抜けた紬は、真っ直ぐに目的の筐体へと向かった。


 今日、琴音さんはゼミの発表があるらしく不在だ。

 つまり、俺と紬の二人パーティでの探索(プレイ)となる。



 紬が挑むのは、前回と同じ『三本爪(確率機)』。


 中に入っているのは、彼女の推しキャラの新作マスコットだ。


 前回は俺がタイミングを計算し、紬がボタンを押すという共同作業でシステムをハッキングしたが、今日は彼女自身が「自分で獲りたい」と宣言していた。



 チャリン。


 銀の弾丸が投入され、紬の孤独な戦いが始まった。



 俺は少し離れた場所から、腕を組んでその様子を眺めていた。


(ふむ……。

 狙いは悪くない。

 だが、やはりアームの下降時の横揺れを計算しきれていないな。

 あの質量だと、右のアームを少し深めに入れないと重心が持ち上がらないぞ)


 脳内の物理エンジンが自動的に最適解を弾き出す。


 俺が手を出せば、おそらく数手で片付く盤面だ。

 効率を考えれば、すぐに「代打ち」を申し出るべきだろう。



 だが、俺は動かなかった。


 ガラス越しに見える紬の横顔が、真剣そのものだったからだ。


 百円玉が吸い込まれるたびに一喜一憂し、アームの軌道を必死に目で追い、自分の手で推しを救い出そうと足掻いている。

 その熱量《エネルギー》は、俺の冷たい計算式では到底割り出せない、美しくも無駄な輝きを放っていた。



「……ああっ、また途中で離されちゃった!」


 紬が悔しそうに声を上げた、その時だった。



「お姉さん、それもういくら回してる?」


 不意に、ひどく耳障りな声が割り込んできた。


 見ると、紬のすぐ背後に、痩せこけたハイエナのような目つきの男が立っていた。


 年の頃は俺たちと同じか、少し上。

 薄汚れたパーカーに身を包んだそいつは、紬の肩越しに筐体の中を覗き込みながら、ニタニタと笑っている。



「え、あ……三千円くらい、ですけど……」


「ふーん。全然動いてないじゃん。センスないから、もう諦めて俺に譲りなよ。次、俺がやるからさ」


 男はそう言って、紬のすぐ真後ろに陣取った。


 パーソナルスペースを完全に無視した距離。

 紬がプレイを再開しようとすると、わざとらしく「チッ」と舌打ちをし、腕を組んでため息をつく。



 俺の眼【絶対物理領域(ラプラス・アイ)】が、即座に男の正体を解析(プロファイリング)する。


 間違いない。

 こいつは『屍喰鬼(グール)』だ。



 他人が多額の資金をつぎ込み、天井が近づいた台を背後からプレッシャーをかけて奪い取る、アングラ界隈の寄生虫。

 盤上の技術ではなく、盤外戦(リアル・プレッシャー)で他人の努力を横取りする卑劣な輩だ。



「あの、でも、私……」


 紬が怯えたように肩をすくめ、後ずさりしそうになる。



(……チッ。

 非効率なノイズが湧きやがって)


 俺は舌打ちを一つ落とし、歩み出ようとした。


 こんな小悪党、俺がしゃしゃり出て厨二病全開のハッタリで威圧し、代打ちしてさっさと景品を獲ってしまえば終わる話だ。

 カロリーの無駄遣いだが、スポンサーの危機とあらば仕方ない。



「おい、そこを退け――」


 俺が声をかけた、その瞬間。



「……理人さんは、手を出さないでください」


 静かな、けれど芯のある声が、俺の言葉を遮った。


 驚いて顔を向けると、紬がこちらを振り返り、首を横に振っていた。



「……いいのか?」


「はい。これは、私の戦いですから」


 怯えていたはずの彼女の瞳には、かつての「お金を入れるだけの養分」だった頃の弱々しさはなかった。


 琴音さんの美しいプレイに憧れ、俺の神業を見て、自らクレーンゲームの深淵を学ぼうと決意したプレイヤーの目がそこにあった。



「へっ、強がるねえ。どうせお前じゃ獲れねえよ」


 屍喰鬼の男が鼻で笑う。



 俺は、一歩だけ下がった。


 彼女の意思を尊重する。

 それは「効率第一」だった俺にとって、また一つ増えた非合理な選択だった。



「……ふん。いいだろう」


 俺は前髪をかき上げ、屍喰鬼の男を冷ややかな視線で射抜いた。



「おい、そこの下等な屍喰鬼(グール)。黄金を捧ぐ姫君《ミリオネア・ブラインド》の聖戦を、その濁った瞳でとくと目に焼き付けるがいい。……彼女の『眼』はすでに、盤面の因果律を捉えている」


「は?  なんだお前、頭湧いて……」


 俺の痛すぎるハッタリに男が怯んだ隙を突き、紬は再びジョイスティックを握りしめた。



(天井まで、あと数回のはず……でも、ただ運を待つだけじゃダメ! )


 紬の目が、アームと景品、そして落下口の周囲を取り囲む透明なプラスチックの壁(シールド)を捉える。



 チャリン。


 銀の弾丸が投入され、アームが動き出す。


 紬は景品の真上ではなく、わずかに「手前」へと爪を降下させた。



 ウィーン、ガリッ。


 アームがぬいぐるみの下半身を中途半端に掴んで持ち上げる。


 案の定、設定されたプログラムが働き、頂点に達した瞬間にアームは「パッ」と力なく開いた。



「ほーら、やっぱり落ち……」


 男が嘲笑しようとした、その直後。



 中途半端な重心で持ち上げられていたぬいぐるみは、アームから解放された瞬間、真下ではなく『斜め前』に向かって放物線を描いて落下した。


 そして――。



 ボヨンッ!!



 落下口をガードしている透明なプラスチックのシールドの上部に激突し、そのトランポリンのような反発力《バウンド》を利用して、見事に落下口の内側へと弾き飛ばされたのだ。



 ドスッ。



「……なっ!?」


 屍喰鬼の男が、信じられないものを見るように目をひん剥いた。



「シールドの反発係数を利用した、『バウンド・キャッチ』……!」


 俺は内心で

(すげえええええ!?

  マジでやりやがったあの女 )

と大歓喜しながらも、表面上は腕を組んだまま「……計算通りだ」と低く呟いてみせた。


 天井を待つのではなく、シールドの高さと落下位置を計算し、自ら意図的にバウンドを生み出してシステムを打ち破ったのだ。

 琴音さんの教えが見事に実を結んだ瞬間だった。



「きゃあああっ!  獲れたっ!  獲れました理人さんっ!!」


 取り出し口から推しを抱きしめた紬が、満面の笑みでこちらに駆け寄ってくる。


 屍喰鬼の男は「チッ、まぐれが……」と捨て台詞を吐き、気まずそうに逃げるように去っていった。



「見事な物理演算だった。お前の熱意が、プログラムの壁を越えたな」


 俺がいつものように大袈裟なセリフで褒め称えると、紬は「えへへ」と照れくさそうに笑った。



 その笑顔を見て。


 俺はふと、気づいてしまった。



 自分の手柄でもない。

 自分の胃袋に入る食料(カロリー)でもない。


 ただの布と綿でできたぬいぐるみが落ちただけのことに、俺は今、心の底から歓喜し、拍手を送りたい衝動に駆られている。



 非効率極まりない、無駄(あそび)の時間。


 でも、悪くない。



「……よくやったな、紬」


 それはハッタリでもなんでもない、俺の心からの言葉だった。


 空きコマのゲーセン。

 冷え切っていた俺の世界に、確かな温もりが灯っていた。


読んでいただきありがとうございます♪


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