8話 絶対運命の祭壇(確率機)と資本主義の闇
「第一回講義のテーマはこれ。『三本爪』、通称『確率機』よ」
琴音さんが案内してくれたのは、ゲーセンの中央エリアに鎮座する巨大な円柱型の筐体だった。
中には色とりどりの可愛らしい動物のぬいぐるみたちが、山のように積まれている。
三本の爪が UFO のように上空で待機している、クレーンゲームの代名詞とも言えるオーソドックスな台だ。
「確率機……。要するに、三本の爪で包み込むようにして質量を持ち上げる、極めて原始的かつ物理的なシステムだな」
俺が腕を組んで分析(ただの見たままの感想)を口にすると、琴音さんはチッチッと人差し指を振った。
「甘いわね、理人くん。この台はね、物理法則で動いてないわ」
「……何?」
「この三本爪のアームはね、設定された金額に達するまで、絶対に景品を持ち上げられない仕様になっているの。上に持ち上がった瞬間に、アームが意図的に『パッ』と開いて景品を落とすようにプログラムされているのよ」
「なっ……!?」
俺の脳天を、ハンマーで殴られたような衝撃が突き抜けた。
「バ、バカな! アームの握力がモーターの出力に依存するなら、一定の電力で同じ力が加わるはずだ! 途中で力が抜けるだと!? そんな露骨な物理法則の無視が許されるのか!?」
「許されるのよ。これがこの箱庭の創造主が定めた絶対ルールだから」
琴音さんは涼しい顔で言い放った。
俺は戦慄した。
なんだその極悪非道なシステムは。
つまり、投入された金額という『資本』の量が、物理的な『力』に変換されるというのか。
質量保存の法則ならぬ、資本主義の暴力ではないか!
「じゃ、じゃあ……」
隣で、紬がワナワナと震えながら口を開いた。
「私が先週、あの子(推しのぬいぐるみ)をお迎えするために費やした五千円は……」
「ええ。創造主が定めた『天井』という名の絶対値に到達するまで、ただアームを撫でさせるためだけのお布施だったってことね」
「そんなぁぁぁっ!!」
紬が頭を抱えてしゃがみ込んだ。
無理もない。
彼女の純粋な愛情は、プログラムされた無慈悲な搾取システムに吸い取られていただけなのだ。
俺でさえ、失われたカロリーの膨大さにめまいがしてきた。
「絶望するのはまだ早いわ」
琴音さんは、しゃがみ込む紬の肩をポンと叩いた。
「店側が用意した絶対的なシステム。それを、人間の技術でハッキングする。それがクレーンゲームの醍醐味でしょ?」
琴音さんは筐体のガラスをコンコンと叩き、中にある一体のぬいぐるみを指差した。
「よく見て。あのぬいぐるみの頭についてる、紙のタグ。……あの小さな輪っかに、爪を一本だけ通すの」
俺は目を細めた。
ぬいぐるみの頭部には、商品管理用の小さな紙のタグと、それを結ぶ細いプラスチックの紐の輪っかがある。
直径にして、わずか一センチほどの隙間。
「タグ掛けね。爪を輪っかに通してしまえば、アームが途中でいくら開こうとしても、物理的に引っかかって落ちない。プログラムの介入を許さない、完全な物理的拘束よ」
「……ッ!!」
俺の全身の血が沸騰した。
なるほど。
店側が用意した「途中でアームが開く」という悪意のプログラムを、逆に「開いても落ちない」状況を作り出すことで無力化する。
これぞまさしく、システムに対する人間の反逆。
「でも、あの小さな輪っかにピンポイントで爪を入れるなんて……」
紬が不安げに見上げる。
「ええ、針の穴に糸を通すような精密な座標計算が必要よ。しかもこのアーム、移動中に少し揺れるから……」
そこまで言った琴音さんが、ふと俺の方を見た。
俺も、琴音さんを見た。
二人の間に、ビリッ、と無言の電流が走った。
「……揺れる標的に、ピンポイントで爪を通す技術」
琴音さんが、ニヤリと笑う。
「……S字フックで、嫌というほど身体に叩き込んだ技術だ」
俺も、前髪をかき上げながらニヤリと笑い返した。
そう、俺がただ食料を得るためだけに極めた、あの偏った技術。
それが今、この極悪非道な確率機をハッキングするための最強の武器へと変貌を遂げたのだ。
「紬」
俺は、しゃがみ込んでいるスポンサーに手を差し伸べた。
「立て。俺が完璧な降下座標を計算する。お前が、ボタンを押せ」
「理人さん……!」
紬は力強く頷き、立ち上がった。
彼女が百円玉を投入する。
チャリン、という音が、今度は反撃の狼煙に聞こえた。
「右へ……三センチ。奥へ……五ミリ」
俺の眼【絶対物理領域】が、アームの揺れとタグの輪っかの位置を完璧に捉える。
揺れの周期、爪の角度。
すべてが数式となって脳内を駆け巡る。
「……今だ!!」
俺の声に合わせ、紬が降下ボタンをターンッ!
と叩き込んだ。
三本の爪が降下する。
そのうちの一本が、ぬいぐるみの頭の上で、見事に紙タグの小さな輪っかをすり抜けた。
ガッチリと、爪が入る。
そのままアームは上昇。
プログラムの仕様通り、頂上で無慈悲に「パッ」と爪を開いた。
しかし――。
タグの輪っかに物理的に貫かれたぬいぐるみは、爪が開こうが何しようが落下することなく、アームにぶら下がったまま、落下口へと運ばれていった。
ゴスッ。
「きゃあああああっ!! 獲れた! 私の手で、獲れましたぁっ!!」
取り出し口からぬいぐるみを引っ張り出した紬が、ピョンピョンと飛び跳ねて喜ぶ。
それを見つめながら、俺は小さく息を吐いた。
「見事な計算だったわ、理人くん。紬ちゃんも、ナイス・プッシュ」
琴音さんが、拍手をしながら歩み寄ってくる。
「……ただの、物理の応用です」
俺はそっぽを向いて誤魔化したが、口角が上がってしまうのを抑えきれなかった。
カップ麺の山を崩した時とは違う、胸の奥から湧き上がるような達成感。
誰かの喜ぶ顔のために、仲間と連携してシステムを打ち破る快感。
世界は質量と摩擦係数だけでできているわけじゃない。
凍りついていた俺の世界観に、また一つ、熱く心地よいノイズが入り込んだ瞬間だった。
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