27 生きている者のため
セドリック・ウォードは、二度目の正式聴取にも整った服装で現れた。
上着に皺はなく、髪も撫でつけられている。靴は磨かれていた。拘束されている男というより、少し面倒な商談へ出てきた当主のようだった。
だが、昨日と違うところが一つある。今日は、彼の前にアーネストの証言写しが置かれていた。
警備隊長は、それを一枚ずつ確認していく。
「アーネスト・ウォード様は、十五年前のハートウェル家襲撃について、あなたから『書類を取れ』『倉庫と仕事部屋を押さえろ』と命じられたと証言しています」
「息子は混乱している」
「倒れていた家令トマスから鍵を取った、とも」
「それは息子がしたことだ」
「地下貯蔵庫の図面は、あなたが持っていたと」
「古い取引の資料だ。持っていても不思議ではない」
「布に包まれた者を地下へ運ぶ際、声がしたとも証言しています」
そこで初めて、セドリックの指が止まる。机の上に置かれた手袋の端を、彼は二本の指で押さえていた。その指が動かなくなった。
「声」
「はい」
「息子は、そう言ったのか」
「記録されています」
「聞き違いだ」
早かった。あまりに早かった。
「火事の後だ。人も馬も騒いでいる。煙もある。耳など当てにならん」
「では、あなたは聞いていないと」
「聞いていない」
「確認はされましたか」
「何を」
「布に包まれていた人々が、全員死亡していたかどうかです」
セドリックは隊長を見る。
「火の中から出されたのだ。生きている訳がない」
「確認は?」
「するまでもない」
記録官のペンが走る。私はその音を聞いていた。
今日は会議室ではない。警備詰所の広い部屋だ。机は一つ。椅子は必要な数だけ。壁には余計な絵も飾りもない。
私は父の隣に座っている。ロレッタは後方の椅子にいた。持参金不正流用の当事者として、同席が許されている。
ヘンリーはさらに後ろに立っていた。本人の希望だ。
アーネストはいない。エレノーラもいない。
今日は、セドリック本人の言葉を聞く場だった。
「生きている者のためだったと、以前おっしゃいましたね」
私は問いかける。警備隊長がこちらを見たが、止めなかった。
セドリックの視線が私へ移る。
「またあなたか」
「ええ」
「あなたは、本当に熱心だ」
「よく言われます」
「皮肉が上手い女は嫌われる」
「あなたに好かれたいと思ったことはありません」
セドリックは短く笑った。
「マリアなら、そうは言わなかった」
「母の名を、気安く呼ばないで」
大きな声は出さなかった。けれど、部屋の中の音が一つ減った。
セドリックの目が細められる。ヘンリーが息を呑んだのが分かる。
ロレッタは動かない。父も動かなかった。ただ、隣にいる。
セドリックは私を見つめた。
「やはり、そうか」
「ええ」
私は答えた。
「クレア・ハートウェルです。あなた方が、火事で死んだことにした娘です」
記録官のペンが止まりかける。隊長が短く言った。
「記録を」
ペンがまた動く。セドリックは椅子にもたれる。
驚きはなかった。むしろ、長く引っかかっていたものが、ようやく形になったようだった。
「生きていたか」
「ええ」
「どこにいた」
「あなたが探さなかった場所に」
「なるほど」
「驚かないのですね」
「驚くには遅すぎる。ヴィヴィアン・ヴェイルが旧ハートウェル邸を買った時点で、どこかおかしいとは思っていた。だが、まさか本当に」
彼はそこで口を閉じた。
「本当に?」
「戻ってくるとはな」
「戻りました」
「十五年もかけて」
「十五年かかりました」
「なら、その間に新しい人生を作ればよかったものを」
父の手が、机の下で動く。私はそれを見ずに言った。
「作りました」
セドリックが眉を上げる。
「作った上で、戻ったのです」
「復讐のために?」
「名を戻すためです」
「同じことだ」
「あなたには、そう見えるでしょうね」
警備隊長が咳払いをした。
「話を戻します。セドリック様、十五年前、ハートウェル家から運ばれた人々について、死亡確認をした者は誰ですか」
「知らん」
「医師を呼びましたか」
「呼べる状況ではなかった」
「なぜ」
「火事だった。混乱していた」
「なら、警備隊へ通報は?」
「したはずだ」
「火災としての通報はあります。ただし、地下貯蔵庫へ人を運んだ記録はありません」
「当然だ。そんなものは知らん」
「あなたは先ほど、火の中から出されたのだから生きている訳がない、とおっしゃいました。知らないはずの人々について、なぜ《《火の中から出された》》と?」
セドリックの口が止まる。ほんのわずか。だが、止まった。
記録官のペンが紙の上で待つ。
「一般論だ」
「便利な一般論ですね」
私が言うと、セドリックは私を睨んだ。
「あなたには分からん」
「何が」
「家を背負うということが」
セドリックの声が少し強くなった。
「お前は母親と祖父に甘やかされていただけだ。帳簿の一枚も背負わず、従業員の給金も、銀行からの督促も、鉱区を失う恐怖も知らなかった。家を守る者は、ときに汚い決断をする」
「それで、血のついた布を洗わせたと?」
「私が洗わせた訳ではない」
「装身具を持ち帰りました」
「家の財産として保全した」
「偽の委任状を出しましたね」
「散逸を防ぐためだ」
「人を地下へ運んだと」
「アーネストだ」
「声がしたと?」
「聞き違いだ」
「確認していないんですね」
「必要なかった」
「生きている者のためだったのに?」
セドリックは黙る。
私は机の上の紙を一枚取った。アーネストの証言写し。
――地下へ運ぶ時、布の中から声がした。
その一行を、声に出して読んだ。
「あなたの理屈は、《《生きている者のため》》、でしたね」
「そうだ」
「では、その布の中で声を出した人は、あなたの言う《《生きている者》》に入らなかったのですか」
セドリックの動きが止まった。部屋の中が静かになる。
ヘンリーは壁際で動かない。ロレッタは膝の上の手を握っている。
父は、私の隣で息を止めていた。
「聞き違いだと言った」
「確認していないでしょう」
「確認する必要は」
「なぜ!」
私は遮った。
「なぜ、確認する必要がなかったのですか。医師を呼べばよかった。警備隊を呼べばよかった。水を飲ませ、布を開き、息を見ればよかった」
「そんな時間はなかった」
「書類を取る時間はあった。金庫を押さえる時間はあった。装身具を持ち帰る時間はあった。委任状を作る時間はあった」
セドリックの指が、手袋をつかんだ。
「それでも、布の中の人を見る時間はなかった」
「……黙れ」
「生きている者のため、ではないですね」
「黙れ」
「あなたが守りたかったのは、生きている者ではない。あなたの家と、あなたの金と、あなたの椅子です」
セドリックは立ち上がりかける。警備隊員が一歩前へ出る。彼は椅子に戻った。戻らされた。
「……綺麗事を言うな」
セドリックの声は低かった。
「お前たちが今食っているものも、誰かの汚れた手で運ばれている。鉱山女王だと? お前の鉱山で、誰も傷つかなかったのか。誰の土地も奪わなかったのか。働き手を守ると言いながら、金で町を買ったのではないか」
「ええ、買いました」
私は答える。セドリックの目が動く。
「運搬社も、宿も、修理工房も、下請けも。金で契約しました」
「ほら見ろ」
「でも、契約書を出しました。支払い日も守ります。怪我人の見舞金も払います。嘘の証言をさせるために脅してはいません」
「表向きだけだ」
「なら調べればいい!」
私は机に手を置いた。
「調べられて困るなら、私はここにいません」
セドリックは答えなかった。
「あなたは調べられたくないから燃やした。見られたくないから埋めた。聞かれたくないから逃げたことにした。家のためという言葉で、人の名を消した」
「名前で飯は食えん」
「ええ」
私はうなずいた。
「名前だけでは食べられません。だからこそ、食べるために黙った人たちまで、私はあなたと同じ箱には入れません」
セドリックの眉がわずかに動いた。
「洗濯女マーサ。侍女アン。下働きのベス。厩のオーウェン。黙った人、手を貸した人、知らずに運んだ人、金を受け取った人。ひとりずつ分けています。手間はかかります。でも、あなた方がまとめて逃げたことにしたものを、私はまとめはしません」
部屋の後ろで、ロレッタが静かに息を吸った。それは彼女も一緒に始めた仕事だ。
「あなたは、まとめてしまった」
私は続けた。
「死人。逃亡者。不正を隠した者。役に立つ権利。使える宝石。家のための金。そうやって、全部まとめて自分の都合へ入れた」
「そうしなければ家が潰れた」
「潰れればよかったのです」
初めて、声が少し震えた。
「そんな家なら」
セドリックは私を見ていた。
「子供の言葉だ」
「十三歳でしたから」
「今は違うだろう」
「今も同じです」
私はまっすぐ彼を見た。
「人を地下へ運び、声を聞いたかもしれないのに確認せず、逃げたことにし、名を奪い、遺品を飾る家なら、潰れればよかった!」
セドリックは何も言わなかった。警備隊長が書類を閉じる。
「セドリック・ウォード様。現時点で、十五年前のハートウェル家襲撃、資産横領、偽造委任状、遺体遺棄、証拠隠滅、ならびに近時の放火未遂教唆、持参金不正流用について、正式に身柄を拘束します」
「殺害は」
セドリックが言った。
「殺害については、継続捜査です」
「私は殺せとは命じていない」
「その点も調べます」
「私は殺していない」
「では、誰が生きていたかを確認しなかった理由も、あらためてお聞きします」
セドリックは、そこで口を閉じた。
警備隊員が近づく。彼は今度も立ち上がり、上着を整えた。
だが昨日ほど綺麗ではなかった。手袋の片方が机に残っている。
警備隊員がそれを渡そうとしたが、彼は見なかった。片方だけ手袋をしないまま、扉へ向かう。
その途中で、ヘンリーの前を通った。父と息子は、短く目が合った。
「お前は」
セドリックが言った。
「最後まで役に立たなかった」
ヘンリーは、しばらく黙っていた。それから言った。
「はい」
セドリックの目が細くなる。
「あなたの役には」
ヘンリーの声は、静かだった。
「立たなくてよかった」
セドリックは一瞬、何か言おうとした。だが言わなかった。警備隊員に促され、部屋を出る。
扉が閉まった。誰もすぐには動かなかった。
ロレッタが、後ろで小さく息を吐く。
ヘンリーは壁に手をついた。倒れないためではなく、自分の体がそこにあることを確かめるように。
父は、私の肩に手を置きかけて、途中で止めた。十五年前なら、私はその手を振り払ったかもしれない。
今は、自分から少しだけ肩を寄せた。父の手が、静かに置かれる。
「終わりではないぞ」
「分かっています」
「裁きがある。身元確認もある。遺品の整理も」
「ええ」
「倒れるなら、今日の夜にしろ」
「予定に入れておきます」
父が、ほんの少しだけ息を吐いた。笑ったのかもしれない。
ヘンリーがこちらへ来た。近づきすぎない位置で止まる。
「クレア」
その名を呼ばれた。私は黙って彼を見る。ロレッタも、静かにこちらを見ている。
ヘンリーはすぐに言い直した。
「……ヴィヴィアン嬢」
「何かしら」
「私は、あの時のことを、まだ何も」
「ええ」
「知らなかった」
そこで彼は一度、唇を噛んだ。
「でも、それを言い訳にはしない。少なくとも、今はもう、そう言ってはいけないことが分かる」
「そう」
「トマスたちの名も、まだ全部覚えきれていない」
「覚えなさい」
「覚える」
ヘンリーはうなずいた。
「それだけでは足りないのも、分かっている」
「ええ」
「ロレッタのことも」
彼は少しだけ視線を動かす。ロレッタは、夫を見ていた。
「もう、戻らない人だと、まず書いた」
ロレッタの目がわずかに揺れた。
「そして離れた人、と書き直した」
ヘンリーは言った。
「遅かったが」
「遅いですね」
ロレッタが答えた。
「それでも、書き直したことは覚えておきます」
「ありがとう」
「でも、戻りません」
「分かっている」
初めて、その返事がすぐ出た。
ロレッタは何も言わなかった。ただ、少しだけうなずいた。
◇
その日の夕方、役場の掲示板に告知が貼られた。
――セドリック・ウォード、正式拘束。
――十五年前のハートウェル家火災について、資産横領、文書偽造、遺体遺棄、証拠隠滅の疑いで捜査継続。
町の人々は、それを読んだ。だが誰もすぐには声を上げなかった。
十五年前、火事だと聞かされた。使用人は逃げたと聞かされた。ハートウェル家は不正を隠したと聞かされた。
今、それらの言葉が一枚ずつ剥がれていく。
その下から出てきたものは、きれいではなかった。けれど、ようやく本当の形に近づいていた。
ホテルの部屋へ戻ると、ハンナが茶を用意していた。ロレッタは自分の机へ向かい、今日の記録を書き始める。
父は窓際に立ったまま、しばらく外を見ていた。私は机の引き出しから、十五年前の帳面を出した。
最初の頁には、歪んだ左手の字で二つの名がある。
ヴィヴィアン・ヴェイル。クレア・ハートウェル。
その下に、今日の日付を書いた。右手で。
字はもう、歪まない。
ただ、掌の痕だけは、ペンを握るたびにそこにあった。痛まなくても、消えない。
それでいい。
消えないものを、消えたことにさせないために戻ってきたのだから。




