26 父に似た息子
アーネストが父の言葉を知ったのは、警備詰所の奥の部屋だった。
知らせたのは警備隊長ではない。取り調べに同席していた若い記録官だった。彼は悪意ではなく、確認のために言ったのだ。
「セドリック様は、役場保管庫の件について、アーネスト様が勝手に動いたと」
アーネストの返事が、一拍遅れた。
「何だと」
「ご長男が先走った、と」
「父が、そう言ったのか」
「記録にはそう」
アーネストは笑う。短く、乾いた笑いだった。
「なるほど。そう来たか」
警備隊長は記録官へ目を向け、余計なことは言うなと合図した。だが、もう遅い。
アーネストは椅子の背にもたれ、天井を見上げた。
「父上らしい。まったく父上らしい! 自分は決めるだけ。汚れた手はいつも誰かのものだ」
「では、あなたは命じられて動いたと?」
警備隊長が聞く。アーネストは天井を見たまま答えた。
「命じられた。見て育った。覚えさせられた。どれが欲しい」
「事実を」
「事実か」
彼は椅子を戻し、前を向く。脚が床をこする。
「事実なら、十五年前からだ。ハートウェル家に融資を断られた夜、父は言った。あの家は自分たちの価値を分かっていない。眠っている権利を抱えたまま、綺麗事を言って死ぬ家だと」
「その後、何を」
「書類を取れと言われた。倉庫と仕事部屋。金庫。鉱区権利の控え。ハートウェル家が握っている古い測量記録。地下貯蔵庫の図面も父が持っていた」
「火をつけることは」
「私は火をつけろとは言われていない」
「では誰が」
アーネストの口元が歪む。
「便利な男がいた。サミュエルだ。うちの御者だった男。金で動き、酒で黙る。あいつに外の男を使わせた」
「誰の指示で」
「父だ」
「あなたは」
「私は倉庫を開けた。倒れていた家令から鍵を取った。あの鍵だ。土の中から出たのだろう」
部屋の中が少し静かになる。記録官のペン先だけが動いている。
「家令トマスは、その時生きていたか」
「知らん」
「確認しなかったのか」
「動かなかった」
「だから鍵を取った」
「そうだ」
アーネストは言い切る。そこには後悔より先に苛立ちがあった。自分のしたことを責められる苛立ちではない。父に押しつけられたことへの苛立ちだ。
警備隊長はそこを見逃さなかった。
「あなたは、自分がしたことを父のせいにしたいのか」
「父が私のせいにしたのが先だ」
「質問に答えてください」
アーネストは黙る。やがて、低く言った。
「父に似たんだ」
「何が」
「全部だ。金の見方も、人の使い方も、女の扱いも。私は父を見て育った。家を継ぐなら、父のようにやれと言われた。弱みを見せるな。払う金は遅らせろ。相手が困るまで待て。女は家の飾りで、契約の一部だ。使用人は給金で黙らせろ。父がそうした」
「だから、あなたは責任がないと?」
アーネストは警備隊長を睨む。
「責任がないとは言っていない」
「では」
「私だけではないと言っている!」
その声は荒かった。
「父は全部、私に押しつける気だ! 十五年前も、保管庫の火も、委任状も、倉庫も。そうだろう? 父上はいつもそうだ! 家のためにやれと言う。終われば、お前が勝手にやったと言う」
警備隊長は別の紙を出した。
「あなたの婚約が流れた件について、複数の使用人が証言しています。先方がウォード家の金回りを調べ、破談にしたと」
アーネストの指が、机の端で止まる。怒りではない。古い傷を、いきなり乱暴に撫でられた様な表情になった。
「それも出たのか」
「関係があるなら聞きます」
「あるさ!」
アーネストは笑った。
「何にでも関係がある。ベアトリス・ラングレー。覚えているか。いや、あなた方は知らないな。私の婚約者だった女だ」
「確か、逃げたと」
「ああ、逃げた。逃げられたのさ、私は!」
言い方に棘があった。
「父は、あの縁談でラングレー家の輸送路を押さえるつもりだった。私はベアトリスに、家に入ったらこちらのやり方を覚えろと言った。女は帳簿に口を出すなとも言ったかもしれない。使用人の前で叱ったこともある」
「それで逃げた」
「父がそうだったからだ」
アーネストは机を指で叩く。
「父は母をそう扱っていた。母はそれで奥方の顔をしていた。だから、それでいいのだと思った。家の女とはそういうものだと。それなのにベアトリスが逃げた時、父は言った。お前は女一人も扱えないのかと」
ヘンリーはその話を、隣の部屋で聞いていた。
正式な同席ではない。だが、セドリックの件で呼ばれ、警備隊長に別室で待つよう言われていた。扉は完全には閉まっていなかった。
――女一人も扱えないのか。
その言葉が、ヘンリーの耳に残った。ロレッタの姿が浮かぶ。
戻らない人。離れた人。
父なら、きっと同じように言っただろう。妻一人もつなぎとめられないのか、と。ヘンリーは膝の上で手を握る。
隣室でアーネストの声が続く。
「父は、ベアトリスが逃げた穴をヘンリーで埋めた。あいつは見栄えがいい。悲劇の婚約者を失った次男。優しくて扱いやすい。ロレッタの家にはちょうどよかった」
「ヘンリー様の結婚も、家の信用を補うためだったと?」
「そうだ」
アーネストは即答した。
「もちろん本人には言わない。言えば、あいつは考える。考えると鈍る。だから知らないままにした。父はそう決めた。私も従った」
「ロレッタ夫人の持参金については」
「父が使った」
「あなたは知っていた?」
「知っていた」
「止めなかったと」
「止める理由がないと思った。ウォード家の穴を埋める金だ。家へ入った女の金なら、家のために使う。父はずっとそう言っていた」
「今もそう思うか?」
アーネストは答えるまで少し間を置いた。
「今は、そう言えば私が不利になることくらい分かる」
「思っているかどうかを聞いています」
「……分からん」
初めて、弱い返事だった。
「分からない。そうやって生きてきた。父のやり方が嫌いだった。だが私はそれ以外を知らない。ベアトリスが逃げた時には、私はあの女が馬鹿だと思った。家の仕組みも、男の仕事も分からない女だと。今でも腹は立つ。だが、たぶん、あの女は私より先に気付いたんだろう」
「何を」
「この家に入ったら、食われると」
記録官のペンが止まりかけた。アーネストは机の木目を見ている。
「ロレッタは遅かったな」
ヘンリーの手が強く握られる。
「だが、それでも逃げた。なら、ベアトリスよりは遅いが、私たちよりは早い」
「私たち?」
「父と私だ」
アーネストは顔を上げた。
「私たちは、家に食われていることを、最後まで家を食わせていると思っていた」
警備隊長は少し間を置き、次の質問へ移った。
「ハートウェル家の地下貯蔵庫に、遺体を運んだのは誰ですか」
アーネストの声から、余計な揺れが消えた。
「私は、全部は見ていない」
「見た範囲で」
「火の後、何人かが運ばれた。サミュエルと外の男たち。父もいた。私は倉庫側の扉を開けた。地下への道も開けた」
「生きている者はいたか」
「知らん」
「本当に?」
アーネストは答えなかった。隊長が待つ。長い沈黙の後、彼は言った。
「声がした気がする」
「誰の」
「女だ」
隣の部屋で、ヘンリーの喉が鳴った。警備隊長の声が低くなる。
「マリア夫人か」
「分からない。煙で、誰が誰だか。私は外にいた。地下へ運ぶ時、布の中から声がした。うめき声だった。父が、早くしろと」
「生存者を埋めた可能性がある」
「私は確認していない」
「確認しなかっただけですね」
アーネストは両手で顔を覆いかけ、途中でやめた。
「だから、私だけではないと言っている……」
「あなたが関わっていることは変わりません」
「分かっている!」
怒鳴った声が、壁越しにヘンリーへ届いた。
「分かっている。だが父だけが、家のためだと椅子に座ったまま逃げるのは許さない」
「そのために話しているのですか」
「そうだ!」
「では、被害者のためではない」
アーネストは警備隊長を睨んだ。
「……綺麗な理由が必要か」
「必要ではありません。ただ、記録します」
「記録しろ。私は父を道連れにするために話している。自分が助かるためにも話している。それでいいだろう」
「正直ですね」
「父よりはな」
その後、証言は夕方まで続いた。
アーネストは何度も父の名を出した。セドリックが命じたこと。セドリックが決めたこと。セドリックが隠したこと。だが、問い詰められると、自分の手で鍵を取ったこと、倉庫を開けたこと、帳簿を動かしたこと、委任状の処理に関わったことも認めた。
父が悪い。自分もやった。
その二つは、彼の中で何度も入れ替わった。
隣室で聞いていたヘンリーは、途中で席を立ちかけた。聞いていられない、と感じた。
だが立たなかった。逃げるな、とロレッタに言われた。知らなかったことを数えろ、とヴィヴィアンに言われた。
なら、聞くしかない。
◇
夜、アーネストの証言の写しがホテルへ届いた。私は父とハンナとロレッタの前で、それを読んだ。
――地下へ運ぶ時、布の中から声がした。
その行で、父が椅子から立ち上がる。何も言わない。ただ、窓際へ行く。
私は紙から目を離せなかった。母だったのか。別の誰かだったのか。
分からない。分からないままでも、十分すぎた。
「アーネストは父親を道連れにする気ですね」
ロレッタが言った。声は硬い。
「ええ」
「自分の罪を軽くしたいだけにも見えます」
「そうね」
「でも、証言は証言です」
「ええ」
私は紙を置いた。
「動機が汚くても、出た事実は使います」
ハンナが次の写しを差し出す。ベアトリス・ラングレーの名がある箇所だ。
ロレッタはそこを読んで、少しだけ目を伏せた。
「逃げた、花嫁」
「知っていた?」
「噂だけは」
「彼女は賢かったようね」
「はい」
ロレッタの返事には苦いものが感じられた。
嫉妬ではない。自分より早く逃げた女への羨ましさとも少し違う。
「遅くても、あなたはあの家を出ました」
私が言うと、ロレッタは顔を上げた。
「そうですね」
短く答え、すぐに証言へ視線を戻す。
「アーネスト様は、父親のせいにしています。でも、同じものを次へ渡していたのですね」
「ええ」
「ヘンリーにも。私にも」
ロレッタは紙の端を揃えた。
「なら、ここで止めなければ」
その言葉は、自分へ言っているようだった。
ウォード家の男たちが「家のため」と呼んできたものを、次へ渡さない。彼女の離婚は、そのための一つでもある。
◇
その夜、ヘンリーもまた写しを読んだ。警備詰所から屋敷へ戻る途中、隊長が一部を渡したのだ。
「あなたも知っておいた方がいい」
そう言われた。
部屋で一人、彼は兄の言葉を読んだ。
父が命じた。自分も動いた。ベアトリスは逃げた。ロレッタは遅かったが、逃げた。
――私たちは、家に食われていることを、最後まで家を食わせていると思っていた。
ヘンリーはその一文を何度も読んだ。
兄を許す気にはならない。父を許す気もない。だが、兄の言葉の中に、自分もいた。
扱いやすい次男。悲劇の婚約者を失った優しい男。知らないままにされた男だと。
自分は全く気付くことができなかった。
机の上には、トマスたちの名を書いた紙がある。その下に、ヘンリーは新しく書いた。
――ベアトリス・ラングレー。逃げた人。
――ロレッタ。離れた人。
――アーネスト。父に似た人。自分で動いた人。
最後の一行は、少し迷ってから書いた。
――ヘンリー・ウォード。知らないままにされ、それに甘えていた人。
書いた後、ペンを置いた。情けない。だが、消さなかった。
◇
翌朝、アーネストの証言は正式記録に追加された。セドリックへの追及は、もう家の金や書類だけでは済まない。
十五年前の地下貯蔵庫。運ばれた人々。布の中の声。その場にいた者たち。
アーネストは父を道連れにするために話した。
それでも、土の下にいた人たちにとっては、十五年遅れの声だった。




