23 家のためという言葉
セドリック・ウォードの追加聴取は、警備詰所ではなく役場の大きな会議室で行われた。
理由は簡単だ。関係する書類が多すぎたからだ。
長机の上には、押収された紙束が分類されて並んでいる。十五年前の支出記録。ハートウェル家の契約書の写し。鉱区権利の移転に関する控え。ロレッタの持参金から動いた金の記録。役場保管庫への放火未遂に関わる支払い。さらに、ラドクリフ法務士の証言書、真珠の確認記録、使用人たちの証言。
紙は黙っている。だが、数が増えると声になる。
セドリックは部屋へ入るなり、その紙の量を見た。
足取りは乱れない。さすがに当主として長年人を相手にしてきた男だ。驚きを隠す技術はある。
ただ、手袋を外すのに少し時間がかかった。
「これは、尋問かね」
彼は椅子へ座る前に問いかける。警備隊長は首を横に振った。
「確認です」
「確認にしては大げさだ」
「十五年前の件ですから」
「十五年前の火事を、今さら事件に仕立てたい者がいるらしい」
セドリックの視線が、私へ向く。
私はロレッタの隣に座っていた。父は少し後ろ。ハンナは書類箱の横にいる。
ヘンリーも来ていた。彼は部屋の端に立っている。座るよう言われたが、断った。セドリックの正面には座りたくないのだろう。かといって、こちら側に座る資格があるとも思っていない。
ロレッタは私の隣で、膝の上に手を重ねている。
今日は秘書見習いではなく、持参金を侵された当事者としてここにいる。
「ヴェイル嬢」
セドリックは私を見たまま口を開いた。
「あなたは、ずいぶん熱心だ。十五年前に消えた家に、何の義理がある」
「土地の所有者ですから」
「それだけで?」
「土地から人骨と証拠品が出ました。所有者として、調査へ協力しています」
「上手い言い方だ」
「ありがとうございます」
「褒めていない」
「存じています」
セドリックの口元が少しだけ歪む。こういうやり取りに慣れている男だ。相手が怒れば勝ち、怯めば勝ち、言いよどめば勝ち。だが私は、そのために十五年帳簿を読んできたのではない。
警備隊長が一枚目の紙を出した。
「セドリック・ウォード様。まず、十五年前の火災三日前、オーガスト・ハートウェル氏へ追加融資を申し入れていますね」
「事業家同士の話だ」
「断られています」
「条件が合わなかった」
「その三日後、ハートウェル家が火災に遭い、当時の家主、娘マリア夫人、使用人複数名が行方不明となっています」
「悲劇だった」
「その翌日、ウォード家はハートウェル家の取引先へ資産保全の説明に回っています」
「親交があった。混乱を避けるためだ」
「早いですね」
「必要なら早く動く。それが商売だ」
警備隊長は次の紙を出した。
「クレア・ハートウェル名義の委任状です。ラドクリフ法務士は、本人確認をしていないと証言しました。あなた、アーネスト様、エレノーラ夫人が同席していたとも」
「ラドクリフは老いた。記憶が曖昧なのだろう」
「署名が本人のものではない可能性も高い」
「可能性ばかりだな」
「ええ。だから確認しています」
セドリックは椅子に深く座った。
「ハートウェル家の令嬢がどこにいたのか、当時は誰にも分からなかった。火災で衰弱し、親戚筋へ預けられていると聞かされた。家の資産が散逸すれば困る。だから、こちらが一時的に管理した」
「誰から聞かされたのです」
「何を」
「クレア嬢が親戚筋へ預けられていると」
セドリックは黙る。ごく短い沈黙だった。
だが、記録官のペンは止まらない。沈黙も、時には書かれる。
「混乱の中で、そういう話を聞いた」
「誰から」
「覚えていない」
「では、その親戚筋の名も」
「知らん」
「本人確認もしていない」
「だからラドクリフを」
「ラドクリフは本人を見ていません」
「なら、誰かが怠ったのだろう」
「その誰かに、あなたは入りますか」
セドリックの表情が固まった。
「質問の仕方が悪い」
「では変えます。クレア・ハートウェル本人が委任状に署名していないことを、あなたは知っていましたか」
「知らない」
「エレノーラ夫人がマリア夫人の筆跡を知っていたことは」
「妻同士、手紙くらい交わす」
「その筆跡に似せた署名が使われています」
「似ているだけだ」
次の紙。真珠の確認記録。町医師が読み上げる。
「三連真珠、留め金内側にM・Hの刻印。マリア・ハートウェル夫人の装身具一覧と一致。裁縫係親族の証言とも一致」
セドリックは眉を上げた。
「古い宝石だ。刻印など、いくらでも」
「エレノーラ夫人は、真珠をあなたが持ち帰ったと発言しています」
「妻は混乱していた」
「『死んだ女には要らないと、あなたが言った』とも」
「混乱していたと言った」
ロレッタの指が、膝の上で一度だけ動く。彼女は黙っている。自分が義母の真珠を見たことも、持ち出しに関わったことも、すでに記録にある。だからここでは、余計な言葉を足さない。
警備隊長は、さらに紙を出した。
「次に、ロレッタ・ウォード夫人の持参金についてです」
初めて、セドリックの視線がロレッタへ向いた。
「これは家の問題だ」
「契約違反の可能性があります」
「夫婦の財産を、家の事業に一時的に回しただけだ」
ロレッタが静かに口を開いた。
「私への相談はありませんでした」
「家に嫁いだ以上、家の事情は」
「契約書には、私の持参金は婚家の負債補填へ用いない、とあります」
「女が契約書を振りかざすものではない」
部屋の中で、誰かが椅子を引きかける。ロレッタは瞬きもしなかった。
「読まない女の金なら、使ってよいとお考えでしたか」
「ロレッタ」
ヘンリーが思わず名を呼ぶ。彼女は夫を見なかった。
セドリックは鼻で笑う。
「ヴェイル嬢に仕込まれたか」
「読み方は教わりました」
ロレッタは言った。
「ですが、読んだのは私です」
セドリックの指が肘掛けを叩く。
「家を回すには金が要る。お前たち女には分からんだろうが、事業は綺麗な帳簿だけでは動かない」
「綺麗でない帳簿を、こちらは今見ています」
私が言うと、セドリックはこちらを睨んだ。
「あなたは、働き手を守ると言いながら、家を壊しているだけだ」
「壊れかけている家を、そのまま家と呼ぶのも難しいですね」
「ウォード家は、この町に仕事を与えてきた」
「支払いを遅らせ、口止めし、都合の悪い記録を燃やそうとした仕事ですか」
「大きな家には、多少の汚れはある」
「人骨は多少に入りません」
セドリックは黙る。私は手元の紙を開いた。ハートウェル家使用人名簿。
「トマス。エルシー。ビル。ネッド。ルーシー。メイ。現在、遺留品から照合中です。彼らは十五年前、逃げたことにされました」
「私は知らん」
「ウォード家の洗濯女は、火災翌朝に血のついた布を洗ったと証言しています。厩の関係者は、ウォード家の馬車が夜中に戻り、布に包まれた人の手を見たと証言しています。火災後、あなたの家にマリア夫人の装身具が運ばれたことも出ています」
「使用人の証言など、金でどうとでも」
「では、あなたの使用人は金で嘘をつく人間ばかりだと?」
セドリックは舌打ちしかけ、止めた。警備隊長が別の紙を出す。
「役場保管庫への放火未遂。雑用係およびウォード家従者の証言により、アーネスト様の関与が出ています」
「アーネストが勝手にやった」
返答は早い。ヘンリーが顔を上げる。セドリックは息子の方を見なかった。
「アーネストは昔から先走るところがあった。私が知らぬところで、余計な手を回したのだろう」
「十五年前も?」
ヘンリーの声だった。セドリックはようやく息子を見た。
「何だ」
「十五年前も、兄上が勝手にやったのですか」
「今はお前が口を挟む場ではない」
「父上は、いつもそうです」
ヘンリーは部屋の端から一歩前へ出た。
「私が知らない方が都合のいい時は、黙っていろと言う。知ろうとすると、お前の出る場ではないと言う」
「ヘンリー」
「私は、十五年前の襲撃に関わっていません」
「当たり前だ」
「ですが、関わっていないことを、父上たちは私を守るためではなく、使うために利用しました」
「お前を家のために」
「家のため」
ヘンリーはその言葉を繰り返した。
「父上の家のために、ハートウェル家の人たちは名を奪われたのですか。ロレッタの持参金も、家のためですか。母上が真珠をつけたのも、家のためですか」
「お前に何が分かる」
「分かりません」
ヘンリーは言った。
「分からないことばかりです。ですが、分からないまま従うのはやめます」
セドリックの口元が、ひどく冷たく曲がる。
「お前は、最後まで役に立たなかったな」
ロレッタの手が、膝の上で握られる。ヘンリーは少しだけ息を吐いた。
「そうですね」
「認めるのか」
「父上の役には」
ヘンリーは父を見た。
「立たなくてよかったのだと、今は思います」
セドリックは椅子の背へ体を預ける。初めて、疲れたように見えた。
ただし、弱った訳ではない。追い詰められているだけだ。
「家を守るというのは、お前たちが考えるほど綺麗なものではない」
彼は言った。
「ハートウェルは綺麗事で断った。こちらは穴を埋めなければならなかった。鉱区を守り、輸送路を守り、従業員を食わせ、銀行を黙らせる必要があった。あの家の権利があれば、多くが救えた」
「そのために殺したのですか」
セドリックは私を見た。
「殺せとは言っていない」
「火をつけろとは?」
「脅せと言った。書類を取れと。金庫を押さえろと。だが、混乱の中で人が死んだ。それは私の手ではない」
「便利な手ですね」
「何だと」
「命じる手は綺麗で、実行した手だけが汚れるんですね」
セドリックの指が、椅子の肘掛けを叩く。
「あなたは何を知っている。成り上がりの鉱山女が、後から来て正義面を」
「私は」
そこまで言って、止めた。まだだ。ここで名乗れば、場がそちらへ流れる。
今必要なのは、セドリックの言葉だ。私の正体ではない。
「私は、書類を見てきました」
言い直した。
「あなたは、ハートウェル家の権利があれば多くが救えた、と言いました。では、そのために死んだ者は何ですか」
「事故だ」
「地下に埋められていたのに?」
「アーネストが」
「またご長男ですか」
「実際に動いたのはあいつだ」
「では、エレノーラ夫人へ真珠を渡したのは?」
セドリックは口を閉じた。
「死んだ女には要らないと、おっしゃったそうですね」
「妻が混乱して」
「その言葉は、混乱した奥様から出ました。あなたからは、まだ聞いていません」
部屋は静かだった。雨上がりの光が、窓から薄く入っている。
セドリックは私を見たまま、わずかに顎を上げた。
「死んだ者には、もう必要ない」
ロレッタが息を呑む。ヘンリーは目を閉じた。
父の手が、椅子の背にかかる。前へ出ようとしたのかもしれない。だが、出なかった。
「そうお考えだったのですね」
「生きている者が使うべきだ。家も、金も、宝石も、権利も。死んだ者に抱かせておいて何になる」
「名前は?」
セドリックの眉が動いた。
「何」
「死んだ者の名前は、必要ないのですか」
「名前で飯は食えん」
「だから逃げたことにした」
「そうするしかなかった」
言った。
記録官のペンが止まりかける。警備隊長が低く言った。
「今の発言を、もう一度」
セドリックは気づいた。だが遅い。言葉はもう部屋に落ちた。
そうするしかなかった。逃げたことにした。セドリックは目を閉じ、すぐに開けた。
「一般論だ」
「記録します」
「勝手にしろ」
警備隊長は次の紙を出した。書斎から押収された最近の支払い記録。
「最後に、ロレッタ夫人の持参金から、昨年冬に一部資金が移されています。移動先は、ウォード家の旧負債整理口座。署名はあなたです」
「家のためだ」
「契約違反です」
「後で戻すつもりだった」
「戻せる見込みは」
「事業が立て直せば」
「そのために、ヴェイル鉱業の下請けへ虚偽報告を求めた」
「あれはアーネストが」
「保管庫へ火をつけようとした」
「それも」
「全部、ご長男ですか」
セドリックは答えなかった。警備隊長は紙を閉じる。
「本日の確認は以上です」
「終わりか」
「いいえ。正式な手続きに移ります」
セドリックは笑う。
「私を捕まえる気か」
「すでに、ハートウェル家資産横領、証拠隠滅、役場保管庫放火未遂への関与、ロレッタ夫人の持参金不正流用について、十分な疑いがあります。十五年前の殺害および遺体遺棄についても、捜査を継続します」
「殺害は知らん」
「それを調べます」
隊長は立ち上がった。
「セドリック・ウォード様。ご同行願います」
セドリックは椅子に座ったまま、しばらく動かなかった。部屋の中の誰も、声を出さない。
それでもやがて、彼は立ち上がった。上着の前を整える。襟元を正す。手袋をはめ直す。
その動作は、まだ当主のものだった。
だが、扉の前には警備隊員が二人いる。当主としてではなく、容疑者として連れて行かれる。
セドリックは私の前を通る時、足を止めた。
「あなたは、何者だ」
また、その問い。私は彼を見上げた。
「土地の所有者です」
「嘘だな」
「では、書類を確認なさって」
「そういう話ではない」
セドリックの目が細くなった。
「マリアに似ている」
誰もすぐには動かなかった。ヘンリーがこちらを見る。ロレッタも。
父の手が、今度こそ椅子の背から離れた。
私は息を吸った。でも、笑っておく。
「それは、褒め言葉として受け取ります」
セドリックの眉間に深い皺が寄った。
警備隊員が彼を促す。彼は連れて行かれた。扉が閉まる。
会議室に残った紙の山は、そのままだった。
ロレッタがゆっくり息を吐いた。ヘンリーは動けないでいる。
父が私の隣へ来た。
「大丈夫か」
「今は」
「あとで倒れろ」
「命令?」
「助言だ」
私は小さくうなずいた。ロレッタが立ち上がった。
「ヴィヴィアン様」
「何」
「私の持参金の件、ありがとうございます」
「礼はまだ早いわ。取り戻してから」
「はい」
ヘンリーはロレッタを見た。だが何も言わなかった。言えば、また自分のための言葉になりそうだと思ったのかもしれない。
部屋の外では、町のざわめきが大きくなっていた。
セドリック・ウォードが連れて行かれた。その知らせは、すぐに広がるだろう。
私は机の上の名簿を閉じた。
トマス、エルシー、ビル、ネッド、ルーシー、メイ。その名の横に、まだ確定の印はつけない。
けれど、今日一つ、大きなものが動いた。
家のためという言葉が、ようやく当主の口から剥がれ落ちた。




