8 土の中の証人
最初に出てきたのは、木だった。
腐りかけた板切れ。倉庫の棚か、箱の一部かもしれない。作業員の一人がそれを脇へよけると、次に黒ずんだ金具が出た。
「止めろ!」
声を上げたのは、アーネスト・ウォードだった。
彼は石垣のこちら側へ踏み込もうとして、ヴェイル鉱業の警備員に止められた。昔は人の頭に勝手に手を置いたその大きな手が、今は警備員の腕に遮られている。
「ここはウォード家の古い管理地だ。勝手に掘り返す権利はない」
「昨日、所有権は移りました」
私は契約書の写しをハンナから受け取った。今のハンナは、昔の工房の管理人ではない。私の側で書類を扱う人間の一人だ。髪の灰色は増えたが、声は変わらない。
契約書を広げると、アーネストの視線が紙の端に落ちた。
「写しです。原本は町役場と鉱区管理局にあります。必要なら確認なさってください」
「こんなもの」
「ウォード家の代理人も立ち会いました」
「代理人など」
「では、代理人の選び方を間違えたのですね」
アーネストの頬が赤くなった。
ヘンリーは兄の後ろで立ち尽くしていた。こちらではなく、掘っている穴を見ている。その顔にはまだ怒りがない。あるのは、分からないものを見た時の戸惑いだ。
ロレッタも来ていた。馬車の横で、手袋をはめた両手を前に重ねている。彼女は夫でも義兄でもなく、穴の方を見ていた。
「ヴィヴィアン様」
技師が呼んでいる。私はアーネストから視線を外した。
「続けて」
「しかし、金属反応が大きくなっています。掘削機を入れると傷つけるかもしれません」
「手で」
「はい」
作業員たちが道具を替えた。大きな掘削具が下げられ、短い鍬と刷毛と木べらが出てくる。
父の魔導機械は、こういう時に便利だ。大きなものを見つけるだけではなく、壊してはいけないものの位置もある程度分かる。
無論完璧ではない。父本人も、完璧だと言ったことは一度もない。ただ、人間の目より先に違和感を拾う。
やがて土が少しずつ払われた。黒ずんだ金具は、一つの輪。その中に鍵がいくつも通っている。
右の掌が、手袋の中で少し熱を持った。
「それを、こちらへ」
それでも声は普通に出る。
作業員が布に載せて運んでくる。錆と土がこびりついた鍵束。大きな輪。いくつもの鍵。その中に、一番大きな鍵があった。
黒く、丸い持ち手。持ち手に、傷が三つ。トマスの鍵だ。
ちゃり、と歩くたびに鳴っていた鍵束。毎朝、玄関の鈴を磨く時にも腰で揺れていた鍵束。
私は布の端を持った。直接触れる必要はない。証拠を汚さないためだ。そう、十五年前に父から教わった。
アーネストが息を呑む音が、ごく小さいものだったが、聞こえた。
「古い鍵束ですね」
私は言った。
「この土地は、昔から倉庫が多かった。何かの鍵でしょう」
アーネストはそう返す。早い。早すぎる。
考える前に口が動いている。
「そうですね。では、後で錠前と照合しましょう」
「照合?」
「旧ハートウェル家の西側倉庫跡からは、焼け残った錠前の一部も見つかっています。古い鍵なら、使われ方で痕が合うことがありますから」
アーネストの口が閉じる。その時、ヘンリーが兄を見て問いかけた。
「兄上、この鍵に見覚えが?」
「ある訳がないだろう」
「では、なぜ」
「黙っていろ!」
短い叱責だった。ヘンリーは黙る。
昔から、兄に言われるとそうする癖があったのだろうか? 私は知らない。十三歳の頃の私は、ヘンリーの家の中までは知らなかった。
鍵束は証拠箱に入れられ、作業は続く。石垣の下には、確かに空洞があった。古い地下貯蔵庫のようなものだ。
入り口は崩され、上から石と土を詰められている。自然なものではなく人為的なものだ、と、技師が小声で言った。
「町の警備隊を呼んで」
私はハンナに言った。
「もう手配しています」
「医師も」
「はい」
ハンナは返事をしながら、すでに紙片へ何か書いている。十五年前、食事と包帯を持ってきた彼女が、今は私より早く次の手を打つ。ありがたい――が、感謝を言う暇はない。
空洞の縁から、布が出た。古い布。土を吸い、色はほとんど分からない。だが、細い刺繍が残っている。
私はそれを見た。母の裁縫部屋の棚にあった布だ。
使用人のエプロンの縁に使うため、母が選んだ。花ではなく、葉の模様が続くもの。母は可愛すぎない方がよいと言い、料理人のエルシーは汚れが目立たなければ何でもいいと笑った。
「布も、箱へ」
「はい」
作業員の声が少し硬くなっている。
町の者たちは、遠巻きにしていた位置から少しずつ近づいていた。誰かが口元を押さえ、誰かが隣の者に何か囁く。ウォード家の馬車の御者まで、身を乗り出している。
もう隠せない。アーネストは、それを悟ったはずだ。
「……掘るのをやめさせろ」
彼はヘンリーに言った。
「兄上?」
「こんな騒ぎが続けば町が混乱する。昔の悲劇を見世物にする気か」
「ですが、あれは」
「黙っていろと言った!」
アーネストの声が荒くなる。私は少しだけ振り向いた。
「見世物にしたのは、どちらかしら」
「何だと」
「十五年前の火事、使用人は逃げたという噂が流れたとのこと。ああ、ハートウェル家の令嬢は親戚へ預けられている、あるいは死んだ、あるいは療養中だったとか。ずいぶん忙しい娘でしたわね」
ヘンリーの目がこちらへ戻る。ロレッタも、私を見た。
そしてアーネストの顔から、赤みが引いた。
「君は何を言っている」
「まだ、何も」
私は穴へ視線を戻した。
「まだ、土が話し始めたところです」
その時、作業員の一人が手を止め、刷毛を持ったまま、動かなくなる。
技師が穴の中を覗き、こちらを見た。唇の色が薄い。
「ヴィヴィアン様」
「何」
「……人骨です」
町のざわめきが、一度大きくなる。
誰かが小さく叫んだ。別の誰かが、神の名を口にした。ハンナが警備員へ合図し、人を近づけすぎないように下がらせる。
私は穴の縁まで歩く。
「お下がりください」
技師が言った。
「いえ、見ますわ」
「ですが」
「見ます」
きっぱりと言い、のぞき込む。
穴の中には、古い布と土と、白くなった骨の一部が見えた。手だ。
指の骨。手首。そこには、何か金属の輪が絡んでいる。
トマスではない。トマスの手は、もっと大きかった。だとしたら、これは女の手かもしれない。あるいは、若い使用人のものか。
いや、判断は医師がする。私が今ここで決めてはいけない。そう父から教わった。
それでも目が離れなかった。
「続けて」
私は言う。声は出た。ちゃんと、出た。
アーネストは一歩下がる。ヘンリーは、兄ではなく私を見ていた。
「あなたは」
彼の声はかすれていた。
「あなたは、なぜそんなに」
「ヘンリー・ウォード様」
私は穴から目を離さずに答えた。
「ご気分が悪いなら、お帰りになって」
「これは、何だ…… 一体どうして」
「見ての通りですが?」
「あなたは、なぜ、ここに」
「ですから、調べるために掘っています」
「あなたは、知っていたのか」
その時私は、ようやくヘンリーを見た。
「私は、探していました」
「何を」
「十五年前に、火事と呼ばれたものの下に残されたものを」
ヘンリーは言葉を失う。それを見てロレッタが、彼の横へ来た。
「ヘンリー」
「ロレッタ、私は」
「お顔の色が悪いわ」
「違う、私は」
「何が違うのです」
静かなロレッタの声に、それでもヘンリーは答えられない。
一方、アーネストはまだ穴を見ている。目だけが忙しく動いていた。出口、警備員、町の人間、私、ヘンリー。――逃げ道を探しているかのように。
昔、私の頭に手を置き、火災後に西側倉庫を開けた男は、今、土の下から出てきた骨を見て、口元を固く結んでいる。
「アーネスト様」
私が呼ぶと、彼はびくりと肩を動かした。
「あなたはこの場所に、何かお心当たりが?」
「ある訳がない」
「でしたら、そんなに急いで止めようとなさらなくてもよろしいのでは?」
「私は―― 町の混乱を」
「でも、町の方々は、十五年混乱したままだったのではなくって?」
私は遠巻きにしている人々へちらりと視線を向けた。
「火事で亡くなったのか、逃げたのか、盗んだのか、殺されたのか。誰も知らないまま。知っている者がいたとしても、言えないまま」
町の中年女が、隣の男へ何か言っている。男はうなずく。年老いた御者が帽子を胸に当てている。
覚えている者は、いるのだ。十五年経っても、全部は消えない。
作業員がさらに土を払った。手の骨の下から、別の布が出る。
次に、靴の金具。小さなボタン。割れた櫛。折れた眼鏡の片側。
私は櫛を見た。これは母のものではない。料理人のエルシーが使っていたものに似ている。彼女は髪が多く、いつも太い櫛を二本使っていた。
だが、まだ決めてはいけない。箱へ入れさせる。ひとつずつ、ひとつずつ、土の中から、火事では説明できないものが出てくる。
やがて、警備隊が到着した。町医師も来た。
彼は最初、私へ挨拶しかけたが、穴を見て足を止めた。すぐに作業員たちへ指示を出し、検分用の布を広げる。
その時、アーネストが警備隊長へ近づこうとした。
「隊長、これは」
「ウォード様。お話は後ほど」
「だが」
「今は現場保全が先です」
隊長はアーネストを遮る。
その横顔を見る。私は別に隊長を買収してはいないが、手は打っていた。
彼の息子は、昨年ヴェイル鉱業の奨学金で鉱山学校へ入った。金で買った訳ではない。成績が良かったから出しただけだ。
だが、彼は知っている。ヴェイル鉱業は、働く者とその家族を見捨てないのだと。少なくとも、ウォード家よりは。
「ヴィヴィアン様」
医師がこちらへ来た。
「これは由々しきことです。正式な検分が必要です。数はまだ分かりませんが、……一人ではありません」
「はい」
「古いものです。……十五年前の火災との関係も、調べなければ」
「ぜひお願いします」
私はそう言って、一枚の書類をハンナから受け取った。
「それと、こちらを」
「これは」
「十五年前の行方不明者名簿です。ハートウェル家の使用人、家令、料理人、庭師、馬丁、裁縫係。分かる限りの特徴も添えてあります」
医師の手が止まった。
「よく、こんなものを」
「探していましたから」
十五年。
名前を、顔を、癖を、鍵の音を、手綱の引き方を、櫛の形を、エプロンの刺繍を。
思い出せる限り、何でも書いた。いつか土から何かが出てきた時、誰かをただの骨にしないために。
医師は書類を両手で受け取った。
「お預かりします」
「ええ」
その時、穴の中で作業員が声を上げ、小さな箱を掲げた。
小さな金属製の箱。焼け跡の中で歪み、土に押され、錠前は潰れている。だが蓋の端に、ハートウェル家の印が残っていた。
祖父の仕事部屋にあった小箱だ。私は、それを知っている。重要なものは大きな金庫より小さな箱に入れることもある、と言っていた。大きな金庫を狙う者ほど、小さな箱を見落とすからだ。
作業員が箱を布の上へ置く。アーネストの顔色は、今度こそ露骨に変わる。そしてヘンリーはそれを見た。
「兄上……!」
「知らん」
「まだ何も聞いていません」
「知らんと言った」
ヘンリーの唇がわずかに開く。彼はどうやら、初めて兄の返事に違和感を覚えたらしい。
遅い。遅すぎる。
けれど、遅れても気づくなら、まだ見ていればいい。
「その箱は、私の立ち会いで開けます」
私は言った。警備隊長がうなずく。
「所有者として、当然です」
「そして、町の記録官も呼んでください。今ここで、何がどこから出たかを書き残していただきます」
「手配します」
するとその時、アーネストがいきなり声を張り上げた。
「やめろ! こんなものは茶番だ!」
町の者たちが彼を見る。アーネストはその視線に気づき、言葉を飲み込んだ。
茶番――?
土から鍵束が出た。人骨が出た。使用人の持ち物らしいものが出た。ハートウェル家の印がある小箱が出た。
それを茶番と呼ぶには、少し無理があるだろう。
私はアーネストを見て、問いかける。
「見ていられないというなら、お帰りになりますか」
「……いや」
「では、どうぞご覧ください。十五年前の火事で、何が燃え残ったのか」
ヘンリーは両手を握っている。
一方ロレッタは、その手を見ていた。夫の手そのものではなく、その手が何もできずに握られているということを。
彼女は賢い。たぶん、思ったよりずっと。
ひとまず小箱は、医師と警備隊長と記録官の到着を待って開けることになった。
それでも作業は止まらない。さらに土が払われる。骨は一人分ではない。布も、靴も、金具も、いくつも出る。
私はその場に立ち、ひたすら目を凝らす。大丈夫、足元はしっかりしている。倒れない。
……倒れるなら、ひとりになってからだ。
◇
父の馬車が着いたのは、その少し後だった。
黒い車体の、あまり飾りのない馬車。降りてきた父――エイドリアンは、十五年前より髪に白いものが増えた。けれど、歩き方は変わらない。
彼は穴を見て、私のところへ来た。
「鍵は」
「トマスのものです」
「まだ断定するな」
「分かっています」
「ならいい」
その言い方が、昔と同じだった。私は少しだけ息を吐く。
「小箱も出ました。祖父のものです」
「中身は」
「これから」
そうか、と父はうなずき、アーネストとヘンリーの方を見た。
アーネストは父の顔を見ても、誰か分からないようだ。ヘンリーも同じだ。
父は十五年前、表から消えた人だから、彼らが知らなくても不思議はない。
だが、父は彼らを知っている。ずっと紙の上で追ってきたからだ。
「始まったな」
父が言った。
「ええ」
私はもう一度、穴を見る。土の中から、また何か白いものが覗いた。
今度は、骨ではなかった。煤けた白い陶器の欠片―― 花瓶だ。
母が、男に叩きつけた花瓶。東の商人から祖父が買った、あの重い花瓶。
私はその欠片を見て、ようやく右手を握った。
痛みはない。十五年も経てば、火傷は痛まない。ただ、忘れていないだけだ。
「続けて」
私は言った。今度は、誰も止めなかった。




