#15. 不穏な匂わせSNS
年の瀬というのは、本当に瞬く間に過ぎていく。
つい先日クリスマスだったかと思えば、いつの間にか仕事納めの日を迎え、年末年始休暇に突入。
そして年を越していた。
洸くんは地元へ帰省、私は東京に留まっていたから、年末は会わなかったけど、年明けに私達は会社から離れた神社へ一緒に初詣に行った。
私が願ったのは「一緒に旅行へ行けますように」という洸くんとの未来だ。
神頼みをするしかない自分の非力さが嫌になるが仕方ない。
その分、お賽銭は少しばかり弾んでみた。
真剣な面持ちで祈る私の様子を眺めていた洸くんには「そんなに本気な願い事なの?」と小さく笑われてしまった。
さらに、何を願ったのかを結構粘り強く聞かれたけれど、私は最後まで口を割らなかった。
だって洸くんに別れを告げられる未来を恐れ、それをなんとか先延ばしにしたくて願っていたなんて恥ずかしくて言えない。
帰る間際、車の中で舌を絡ませる濃厚な口づけを仕掛けられ、そのまま押し倒す勢いで訊ねられた時には、さすがに口走りそうなった。
それでも耐え続けた自分はすごいと思う。
そんな年明けの初詣デートから数日後。
仕事始めの日に、会社で洸くんと顔を合わせた際には、さも新年初の対面という顔をしてお互いに挨拶を交わした。
そこに年始にキスをした時の甘い雰囲気は1ミリもない。
変に動揺することなく、無駄にドキドキしたりもせず、ただの会社の同僚としての距離感を保てた。
交際4ヶ月目に突入するが、秘密の社内恋愛が随分と板についてきたなと自分でも感じた。
「——って感じだよ。私の近況は」
「ふぅん、つまりラブラブなんだぁ。遥香、前よりも明らかにキラキラ輝いてるもんね! これが恋する乙女効果ってわけか!」
年明けからしばらく経ったある週末。
私はここ最近お互いに忙しくて会えていなかった茉侑と、久しぶりにカフェでお茶を楽しんでいた。
会って早々、まずはそれぞれの近況報告をしていたのだけれど、茉侑に催促されて話すうちに、気づけば私の話はほとんど洸くんのことばかりになっている。
そんな報告を茉侑はニマニマしながら楽しそうに聞いていた。
「ていうか、話を聞く限り、イケメン先輩ってめちゃくちゃ言動が甘々じゃん! 遥香ってば愛されてるね〜!」
「あ、あああ愛されて……!? ええっ、そ、そんなことないよ! 洸くんは昔から誰にでも優しいし、人たらしだし……!」
「またまたぁ〜! 照れちゃって可愛いんだから!」
「茉侑ってば、揶揄わないでよ……! でも、ホントに私にだけに特別ってことはないと思うの。……その、たぶん長年付き合ってた彼女さんにも同じ、ううん、それ以上だったはずだから……」
「遥香……」
自分で話しておきながら、だんだんと言葉尻が弱々しくなっていく。
私の異変に気づいたのか、茉侑も笑顔を引っ込め、心配そうな眼差しを向けてきた。
その目が「話してみて?」と告げている。
私は交際開始当初からずっと心の奥底で抱いてきた不安をポツリポツリと吐露し始めた。
「——なるほど。遥香はイケメン先輩の一時的な気の迷いで、そのうち終わるって怯えてるわけね? う〜ん、手が届かないと思ってきた憧れの人が彼氏になったからこその悩みだね。しかも遥香は元カノと付き合ってる頃の彼も見てるわけだし、確かにそりゃ不安にもなるよねぇ……」
ひと通り話を聞いた茉侑は、うんうんと深く頷いて、私の気持ちに寄り添ってくれる。
片想いをしていた高校時代を知るっているからこそ、私の抱く不安の根源を正しく理解してくれたようだった。
「一方的に見つめていた人と、見つめ合う関係に変わったわけでしょ? 憧れから現実の恋愛になったってことだし、ここはやっぱり——……」
「あれー? 茉侑じゃない! 久しぶり〜! えっ、ってことはもしかして隣は遥香!? うっそ、超可愛くなってるー!」
その時、かしましい明るい女性の声が茉侑の言葉を遮った。
名前を呼ばれて反射的に振り返ると、中学・高校時代の同級生がこちらに向かって満面の笑顔で手を振っていた。
彼女はススっと私達の方まで歩み寄って来ると、おもむろに空いている席に座り、親しげに話し掛けてくる。
「元気ー? 茉侑とは中学以来ぶり、遥香とは高校以来ぶりだよね? 2人とも同窓会とか来ないからマジ久々なんだけど! てか、遥香とか、変わりすぎでしょ! 昔は黒髪ロングの眼鏡で、THE真面目ちゃんって感じだったのにさ。なになに、恋でもしちゃったぁー?」
「……はは、ホントに久しぶりだね」
名前もあやふやなくらいの付き合いだった同級生からの弾丸トークに、やや引き気味に私は曖昧な微笑みを浮かべる。
茉侑に至っては、話を邪魔された上に、許可なく席に加わってきた相手に、明確な不快感を滲ませていた。
だけど、当の本人はそんな微妙な空気に気づきもせず、構わず一方的に話し続ける。
「ねぇねぇ、遥香は高校時代の2つ上の先輩に、水原瞳さんって人いたの覚えてるー? ほら、あの超美人で目立ってた人!」
それまで愛想笑いで話を聞き流していた私だったけど、同級生の口から飛び出したこの一言には思わずビクッと体が反応した。
覚えているもなにも、忘れるはずがない。
……だって洸くんの元カノさんだもん。
脳裏には制服を着た2人が並び立つ姿が蘇り、胸がギュッと締め付けられる。
「覚えてない? あ、広瀬先輩と付き合ってた人って言った方が分かる感じかも? あの人、超カッコよかったよね〜。今思い出しても悶えるわぁ!」
“広瀬先輩”というワードが出ると、変な汗が手に滲んできた。
その彼と今付き合っているなんて口が裂けても言えない空気だ。
黙って話を聞いていた茉侑も、話題に上がっている“水原瞳”が誰なのかを察したようだ。
僅かに目を見開き、そっと私に視線を向けた。
「でね、その水原先輩って、今モデルやってるらしくってさ! あんだけ綺麗なんだから超納得だよね〜。ほら、これ見てよ! 水原先輩のインスタ! 今も変わらず美人すぎじゃない!? 」
「……あ、うん。ホント、だね」
「だよねー? 同じ高校の後輩としてはさ、やっぱ応援したくなっちゃわない? あ、ちなみに広瀬先輩とは大学卒業後に別れたらしいよ。破局原因とか、どっちから別れを切り出したのかとかは知らないけど、マジもったいないよねぇ〜。あんなにお似合いの眼福カップルだったのにさぁ」
続く同級生の滔々とした語りは右から左に抜けていき、私の目には、見せられたインスタの写真が次々に映る。
彼女の言葉通り、写真の中の水原先輩は昔と変わらず、今も圧倒的に目を引く華やかさだった。
艶やかな巻き髪、透明感のある肌、猫を思わせるアーモンド型の大きな瞳、色っぽいぽってりとした唇。
見とれるほど整ったラインを描く肢体でポーズをとっている姿は、実に洗練されていて、都会的な雰囲気だ。
……ホントに、綺麗な人だなぁ。
同性をも魅了する美しさに目を奪われると同時に、胸の奥に冷たい針を落とされたような感覚がした。
微かな不安感が、じわりと広がっていく。
「……遥香、大丈夫?」
気遣うような茉侑の声にハッとして辺りを見回した時には、もう同級生の姿はその場にはなかった。
喋りたいだけ喋ると、満足してサッサと去って行ったらしい。
「ねぇ、さっきの話って……?」
「うん、水原先輩は洸くんの元カノさん」
「やっぱり……! あの子、ホント昔から余計な事ばっかりペラペラ喋るよね。聞いてもいないのにさ」
「あはは、確かにね。……水原先輩、今はモデルなんだね。初めて知った。高校時代よりもさらに綺麗になってる」
「まぁ確かに美人ではあるけど。てかプロフィール見る限り、モデルって言っても、売れっ子ではないじゃん。インフルエンサーっぽい感じだね」
先程の同級生から得た情報をもとに、茉侑はさっそく水原先輩についてネット検索したようだ。
その結果によると、学生時代に読者モデルを経て、大学卒業後に本格的なモデル業を開始。
Web広告やカタログなどに出演するも、雑誌専属モデルになる機会には恵まれず、今は元モデルのライフスタイル系インフルエンサーとしてSNS中心に活動しているらしい。
「売れっ子じゃなくても、みんなから憧れられるような人ってだけで凄いよ。……洸くんはなんでこんな素敵な人と別れちゃったんだろう?」
私は水原先輩のインスタに視線を落としながら、ポツリとつぶやく。
投稿写真を見れば見るほど、洸くんがなぜ今私なんかと付き合っているのか不思議な気持ちになってきた。
その時、ふとある投稿文に目が留まる。
スマホを触っていた私の手も、ピタリと止まった。
——『久しぶりの再会。一緒にいると安心できる相手ってやっぱり貴重』
——『あの頃が懐かしい』
——『自然体でいられるっていいよね』
今年に入ってからの投稿に、時々こんな意味深な文章が入り混じっていた。
一見、日々の感想を綴った普通の文面にも見えるけれど、私には分かった。
……これ、全部洸くんのことを言ってる。
そう思ったのは、この文章が書かれた投稿写真に、さりげなく高校時代を想起させるものが映り込んでいたからだ。
高校時代に流行ったポーズ。
高校の近くにあったカフェ。
バスケットボール。
どれも背景や一部見せなどのため目立ちはしない。
でも見る人が見れば分かるものだった。
それらの何気ない投稿から、私の知らない2人の歴史を感じて胸が苦しくなる。
さらに洸くんと水原先輩が再会していた事実を今初めて知った。
投稿時期から想像するに、年始辺りだろうか。
……そっか、じゃあきっと近いうちに2人はやり直すことになるんだろうなぁ……。
つまり、いよいよ洸くんから終わりを告げられる日が迫っているということだ。
「ちょっと、遥香! なんか顔色真っ青だよ!?」
「えっ? あ、うん……」
「イケメン先輩の元カノの写真見て、ネガティブな気持ちになっちゃってるんでしょ? もう、ダメダメ! こんなの見るのはやめよう! SNSなんて実際以上にキラキラ写真載せてるんだから見て凹む意味ないよ! 気にしちゃダメだからね!?」
茉侑はわざと私の背中をバシバシと叩き、手からスマホをするりと取り上げた。
「凹むっていうか……たぶんもう手遅れみたい。近いうちに洸くんは水原先輩とまた付き合い出すだろうから」
「はぁ!? なにそれ、どういうこと!? 詳しく話して……!」
促されて、私はそう思った根拠を打ち明ける。
茉侑は私の話を聞くにつれ、眉間の皺を深くしていった。
「——うっわ〜、それ、明らかに匂わせじゃん! いるよねぇ、そういうことする女!」
「これってやっぱり洸くんに対するメッセージ、だよね……?」
「だろうね。きっと“かまってちゃん"なんじゃん。てかイケメン先輩はこの投稿に気づいてんのかな? なんか言ってなかったの?」
「……どうだろう? あんまりSNSを見る人ではないと思うけど……実際のところは分かんない。2人が再会してたのも全然気づかなかったくらいだから」
思わずはぁと私がため息を溢して目を伏せると、「ねぇ」と真面目なトーンで呼びかける茉侑の声が耳に届いた。
視線を上げれば、思いのほか真剣な面持ちをした茉侑と目が合う。
「さっきは邪魔が入って言えなかったんだけどさ……遥香、一度ちゃんとイケメン先輩と話し合ってみたら?」
「話し合う……?」
「そう、遥香が不安に思ってることも率直に打ち明けて、全部聞いてみるべきだよ! だって今はもう一方的に見つめてた頃と違って、対等に向き合う関係なんだから! ね?」
茉侑の助言はたぶん正しい。
私は1人でウジウジ悩んでないで、思い切って洸くんに問いかけてみるべきなんだろう。
でも、残念ながら私にはそれができそうにない。
……同じ高校の後輩だった事実を明かさないと、水原先輩のことは訊ねられないもの。
そこを話さない限り、私が洸くんの元カノを知っている状態は極めて不自然だ。
ただし、事実を打ち明けてしまえば、同時に地味で冴えなかった頃の自分を知られてしまう。
それは絶対に嫌だった。
洸くんには知られたくない。
あんなに美人な彼女がいた人だからこそ尚更。
結局、私は過去を知られたくないがために話し合いを避け、不安をそっと胸に閉まっておくことに決めた。
自分で現状維持を選択したのだから、これ以上は気にしないでおこうと吹っ切ったつもりだった。
だけど、この日をキッカケに、心の奥底に潜んでいた不安は、知らず知らずのうちに大きく芽吹き始め、ジワジワと私を蝕んでいく。
水原先輩のインスタ投稿を目にするたびに、胸が掻き乱され、洸くんの反応をチラチラ盗み見るようになった。
キスをしたり、体を重ねたりした時には、もしかしたらこれが最後になるのかな……と切なさが胸を掠めた。
表面上はいつも通り。
一方で、心の中はいつ終わりを告げられるのかと常にビクビク。
そんな日々がしばらく続いた。
そしてある日、ついに私の不安が——形を持って、目の前に現れた。




