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#14. 甘くて切ないクリスマス

「遥香さん、もう12月も半ばですよ!? ヤバくないですか!? あとちょっとで1年が終わっちゃうと思うとなんか焦る〜!」


「本当に1年って早いよね。異動して毎日忙しくしてたらあっという間だったよ」


「そっか、遥香さんが本社営業部に来たの半年前でしたね! なんかもうずっといるみたいな頼もしさで、つい忘れちゃってました!」


いつの間にか、秋の名残はもうどこにもなく、街は冬の気配に包まれ、厚手のコートやマフラーが手放せない季節を迎えていた。


外の寒さを感じない暖房の効いたオフィスで、私と高梨さんは事務作業に精を出す。


年末年始を間近に控え、駆け込み的な需要も多く、この時期はなにかと慌ただしい。


営業担当も年末の挨拶回りでほとんど不在にしていて、オフィス内は空席が目立つ。


そんな状態のため、手を動かしつつも、ついつい私達は息抜きがてら雑談に興じていた。


「12月といえばクリスマスですね! 今年は残念ながら平日ですけど。わたしは仕事終わりに彼氏とホテルディナーの予定なんです!」


「そうなんだ。よく予約取れたね」


「気合い入れて早めに予約しましたから! 抜かりなしです! 遥香さんはクリスマスどうするんですか?」


「……特に予定はないかな。家でケーキ食べるくらいだよ」


「うふふ、それは彼氏さんと、ですかぁ?」


「ううん、1人で。……あ、コピー機空いたみたい。ちょっと印刷に行ってくるね!」


私はその場を立ち上がり、席から離れる。


 ……ううっ、嘘をつくのって心が痛む。


秘密の社内恋愛を始めてから約2ヶ月半。


いまだにこの手の話題の時、どうも上手く立ち回れず、私はいつも“誤魔化す”という手段に頼っていた。


今日も今日とて、離席して強引に話を終わらせたわけである。


 ……だって、クリスマスは仕事終わりに洸くんの家にお泊まりの予定だから、あのまま話してたらボロが出ちゃいそうなんだもん。


洸くんとの交際は今もまだ順調だ。


体の関係を持った後に別れを告げられるという事態も起きず、夢のような時間は続いている。


平日は会社で顔を合わせ、週末は洸くんの家で一緒に過ごす——そんな毎日が当たり前になりつつあった。


一方的に見つめていた高校時代が頭をよぎるたびに、今の状態が不思議でならない。


 ……しかもクリスマスまで一緒に過ごすんだよ!? あの広瀬先輩と! 恋人として!


会うのはいつも週末だけだったから、クリスマスが週半ばの平日だと知った時点で、私は諦めていた。


なのに、洸くんの方から誘ってくれたのだ。


「遠出したりは難しいけど、家で一緒にケーキでも食べよう」と優しく微笑んで。


“恋人と過ごすクリスマス”に実は密かに憧れのあった私は、その一言が嬉しくてたまらなかった。


豪華なディナーも、煌びやかなイルミネーションも必要ない。


クリスマスという日に、洸くんが隣にいてくれるだけで、私にとっては特別だから。


 ……楽しみだなぁ。プレゼントも用意した方がいいよね? 何がいいかなぁ。


真面目な顔で仕事をしつつも、心の中は知らず知らずのうちに弾んでいた。


私はコピー機から出力される資料を待ちながら、(きた)るべき日に向け思いを馳せた。



そして迎えたクリスマス当日。


定時と同時に足早にオフィスを後にする人が散見される中、私もその1人として早めに会社を出た。


お泊まり用グッズの入った鞄を手に、洸くんの家近くにあるカフェへ向かう。


外回りから直帰予定である彼の帰宅をここで待つ段取りだ。


クリスマスソングが流れる店内でのんびりカフェラテを飲んでいると、ほどなくして洸くんからのメッセージが入った。


私は軽やかな足取りで席を立ち、もはや慣れ親しみつつある洸くんの家を目指して歩き出した。


「仕事お疲れ。ごめん、もしかして待たせた?」


「お疲れ様です。いえ、カフェラテを飲んでたらすぐだったので大丈夫です!」


「そっか、それなら良かった。それにしても、よく考えたら平日の仕事終わりに会うのは初めてじゃない? なんか新鮮だね」


「確かにそうですね」


玄関で迎えてくれた洸くんは、帰宅直後のためまだスーツを着たままだった。


スーツ姿自体は、普段会社で見ているから特段珍しさはない。


でも恋人として会う時は、いつも私服姿のため、自宅で見るスーツ姿はレアだ。


つい視線が釘付けになる。


「外寒かっただろうから、とりあえず入って。あ、でもその前に……」


靴を脱いで中に入ろうとしたその時、私の体は突如ふわりと温かさに包まれた。


「ひ、広瀬、主任……!?」


「やっぱり体冷えてる。あと、仕事後だから“主任”じゃないよ。今は彼女の可愛さにデレデレしてる、ただの遥香の彼氏」


スーツ姿に反応して思わず会社での呼び方を口にした私を抱きしめ、洸くんは耳元で甘くささやく。


胸の奥がくすぐったくて、瞬時にカッと体が熱くなった。


「耳まで真っ赤になってる。本当に可愛いな。ケーキじゃなくて遥香を食べたくなってきた」


「……もう、そういうの、反応に困ります。冗談はやめてください……!」


「ははっ、ごめんごめん。別に冗談じゃないんだけど、でも今は辞めておくよ。もう少しクリスマスを遥香と楽しみたいしね」


楽しげに目を細めた洸くんはそう言って体を離すと、私の手を引いて部屋の中へ進む。


部屋のテーブルには、すでに料理がお皿に盛られて並べられていた。


ミートパイ、ローストビーフ、チキンなどクリスマスっぽいメニューだ。


「帰り道にデパ地下の惣菜コーナーで買ってきたんだけど、こんな感じで良かった?」


「はい、十分です! ありがとうございます!」


「ケーキも冷蔵庫に入ってるから。お腹も空いたし、さっそく食べようか?」


私達はテーブルを囲み、軽くお酒も嗜みながら和やかに食事を楽しんだ。


女性が憧れるような夜景の見えるオシャレなレストランではないけれど、私にとってはそれ以上に価値のある時間だった。


私のために用意してくれたお惣菜はどれも美味しいし、洸くんがジャケットを脱いでネクタイを緩める姿も眼福だし——なにより洸くんの柔らかな笑顔が私にだけ向けられていて、楽しく一緒に過ごせていることが幸せすぎた。


「……なんだか、夢みたい」


ふわふわと夢心地に浸っていた私は、食後にケーキを頬張りながら、ついポロッと心の声を漏らしていた。


「夢じゃなくて現実だよ。うっとりした顔して、そんなにこのケーキがお気に召した?」


「あ、いえ、そういうわけじゃ……なくて。あ、でもこのケーキはすっごく美味しいですよ……!」


「分かってるよ。美味しいもの食べた時の表情してるから」


「えっ?」


「遥香って仕事中はそうでもないけど、プライベートの時は意外と顔に出るからね。そういうところも素直で可愛いなと思ってるよ」


「!」


ケーキ以上に糖度をたっぷりと含んだ眼差しと言葉に、思わず胸をズキュンと撃ち抜かれ、心臓が破裂しそうになる。


この数ヶ月で洸くんの隣にいることに慣れてきたけど、やっぱり長年憧れていた初恋の人の甘い言動には、いつまで経っても耐性なんてできない。


ドキドキと胸が高鳴り、翻弄されっぱなしだ。


今宵もまた、彼は私をさらなるトキメキ沼へと引き摺り込む。


「そうそう、せっかくのクリスマスだから、今日は遥香にプレゼントを用意したんだ。これなんだけど」


そう言って洸くんはラッピングされた箱を取り出し、私へと差し出してきた。


恭しい手つきでそっと受け取り、「開けてみて」と促され、私は中身を確認する。


箱を開けると、そこにはマグカップとルームシューズが入っていた。


「どちらも可愛いです。ありがとうございます!」


「その2つは俺の家専用ね? ここで使って、ここに置いていって欲しい」


「えっ……?」


「……遥香ってさ、俺の家に来ると、いつも忘れ物がないかしっかり確認して、何も荷物を残さず帰るでしょ? もう何度もここに来てるのに、何一つ遥香の痕跡がないのは寂しいなと思って。歯ブラシとか家着とか、遠慮せずに荷物は置いていけばいいのに」


 ……気づいてたんだ。


私はプレゼントの箱を握り締め、洸くんから少し視線を逸らす。


すべては洸くんの指摘通りだった。


間違っているのは“遠慮”という1点のみ。


真実を明かすと、私はこれまで“意識的に”痕跡を残さないようにしてきた。


 ……だって、この関係はいつか終わるもの。その時に備えて深入りしすぎず、いつその時を迎えても大丈夫なようにしておかないと。


そう、すべては終わりに備えて心にブレーキをかけた結果だった。


「遥香のものが家に増えるのは、俺にとっても嬉しいことだよ。付き合ってるんだから、ここも遥香の場所だと思って遠慮しなくていいからね?」


「は、い……」


「そうは言っても遥香は遠慮しそうだから、これも渡しておく」


プレゼントに続いて、今度は小さな何かを片手に握らされた。


ひんやりとした金属の感触が手のひらに広がる。


「合鍵があれば、遥香も自分の場所だって少しは思えるでしょ? それに今日みたいな日も外で待たせずに済むしね」


「合鍵……」


私は驚いて自分の手のひらを見つめた。


これは洸くんのテリトリーに自由に出入りする許可を得た信頼の証みたいなものだ。


それほど私に心を許してくれていると思うと素直に嬉しい。


その一方で、関係がまた一歩深く進む感覚がして怖くなった。


これ以上深入りしてしまったら、別れを告げられた時に耐えられないかもしれない。


「あと、この話の流れで、もう1つだけ言っていい?」


「あ、はい。……なんですか?」


「会う時いつも俺の家ばかりだから、今度は遥香の家に行ってみたい」


「わ、私の家、ですか?」


「付き合ってもうすぐ3ヶ月なのに、まだ1回も招かれたことないから。遥香が普段生活してる場所がどんなところか俺も見てみたいなと思って」


 ……やっぱり、私が家に招かないのも不自然に感じてたのかな……?


これも“意識的に”私がこれまで避けてきたことだった。


自分の生活の場に、洸くんを入れたくないからだ。


そんなことをしたら、この関係から抜け出せなくなる。


別れた時に絶対ツライ。


家の至る所でふとした瞬間に洸くんの姿がよぎり、生活がままならなくなる未来の自分が簡単に想像できてしまう。


「えっと、その、お恥ずかしながら……私の家、すっごく汚くて。とても人を呼べる状態じゃないんです。きちんと整理した暁にはお声がけしますね……! あ、そうだ。実は私もクリスマスプレゼントがあるんです!」


私はやんわりと断りを入れ、誤魔化すように懐からラッピングした包みを取り出した。


中身は生キャラメルとキャラメルクッキーの詰め合わせだ。


「お店で買ったものじゃないんで、キャラメル好きの洸くんの口に合うか心配ではあるんですけど……良かったらどうぞ」


「買ったものじゃない? ということは……」


「はい、私の手作りです。あ、一応私も作る時に味見したので変なものじゃないですから……! そこは安心してください!」


「ふふっ、そこは別に疑ってないよ。手作りのプレゼントなんて貰うの初めてだなと思って。しかも俺の好きな物も覚えててくれたんだ。嬉しいよ。ありがとう、遥香」


さっそく一粒生キャラメルを指で摘んで、洸くんは口に放り込む。


舌の上で転がし始めると、幸せそうに顔を綻ばせた。


その表情を目にしただけで「美味しい」と喜んでくれているのが伝わってきて、私まで嬉しさで胸がいっぱいになる。


「すごく美味しいよ。一気に食べてしまうのは、なんかもったいないな。残りは明日以降に残しておくよ」


言葉でもちゃんと「美味しい」と褒めてくれた洸くんは、包みの中に生キャラメルを片付けると、そっと私を引き寄せた。


そして頭を撫でながら、静かに髪に唇を落とす。


ドキッとした次の瞬間、今度は額へ、さらには頬へと柔らかな感触が落ちた。


息が触れるほどの距離で、視線が交差する。


すると洸くんは優しく微笑み……


「最後に、ここ」


その囁きとともに、唇が重なった。


 ……あっ、キャラメルの味がする。


頭の片隅でそう思った刹那、背中が柔らかな感触に沈み込んだ。


私はそのままキャラメルにも負けない甘く蕩けるような夜に身を委ねた。



いつのまにか夜は過ぎ去り、カーテンの隙間から朝の気配が差し込む。


洸くんの腕の中でハッと目を覚ました私は、慌てて時計に目をやった。


時刻は朝4時過ぎ。


まだ始発も動き出していない早朝だった。


昨夜はあのまま眠ってしまったようで、シャワーも浴びていない。


出社時間まではまだ余裕がある。


十分に身支度を整える時間があることに私はホッと息をついた。


「……ん、今、何時……?」


「あ、すみません。起こしちゃいましたか? まだ4時過ぎなのでもうひと眠りしても大丈夫ですよ」


「いや、大丈夫……。俺も、もう起きるよ」


ぼんやりとした目の洸くんは、掠れた声でそう言うと、乱れた髪を無造作にかき上げた。


寝起きの無防備さが漂う様子に、思わずキュンと胸が締め付けられる。


この朝の妙に色っぽい洸くんは、一夜を共にするようになってから初めて知った姿だ。


高校時代の私では知り得なかった一面に、毎回のことながら心を掻き乱される。


「タイマーにしておいたけど、まだ暖房効いてないな。まだ時間に余裕あるし、寒いから……しばらくこうさせてくれる?」


だいぶ意識がはっきり覚醒してきた様子の洸くんは、チラリとエアコンを確認した後、寝転んだまま私を抱き枕のようにギュッと抱きしめた。


触れ合った肌からは、ポカポカしたお互いの体温が心地良く伝わり合う。


「……仕事、行きたくないな。このまま1日中こうしてたい」


「ダメですよ。今日も“広瀬主任”には取引先とのアポや重要案件の会議が入ってますから」


「ははっ……彼女が担当アシスタントだと、スケジュールが全部バレてるからサボれないね」


「サボるつもりなんてないことも分かってます。広瀬主任はいつも仕事に一生懸命で……その、すごくカッコいいですから」


「……遥香、この状態でそんな台詞言う? 俺のこと煽ってるの?」


もう少しだけ布団の中にいたい欲求に駆られる朝の気怠さの中、何気ない会話を交わしていたところ、急に洸くんの瞳が妖しく光った。


このまま再び夜の続きが始まってしまいそうな空気に、私は冷や汗をかいて首を横に振る。


「そんな顔しなくても大丈夫。分かってるから。まだ週半ばだし、遥香の体に無理はさせたくないからね」


「そ、そうですか。良かったです」


「でも本当に、こんなふうにダラダラ1日中抱き合っていたいなって思うよ。……年明けからまたしばらく修羅場だけど、年度末が終わったらどこかに旅行でも行こうか?」


「旅行、ですか?」


「そう。2泊3日くらいで。1日くらいなら有休を同時に取っても支障ないだろうし」


「そうですね。……楽しみ、です」


洸くんからの旅行の提案に私はにこりと笑顔を返す。


でもその胸中は複雑に揺れていた。


 ……今から3ヶ月以上先の約束だけど、その頃私はまだ恋人なのかな? 洸くんは気の迷いから覚めずにいるのかな?


心の奥底に巣食う不安が、未来の約束に対して懐疑的な気持ちを生み出す。


洸くんは気づいているだろうか。


私が昨日渡したプレゼント。

あれも形に残らない物だったことを。


部屋に痕跡を残さないのと同様、洸くんの恋人ではなくなっている未来を考慮して、贈り物さえ私は消え物を選んだ。


 ……突き返す理由が思い付かなくて合鍵は受け取っちゃったけど……きっと一度も使用せずに返却することなるんだろうなぁ。


少なくとも私に使う意思はない。


いつか訪れる別れの日まで大事に保管しておくつもりだ。


私はふと視線を本棚へと向け、その中に格納されている高校の卒業アルバムへと意識を飛ばした。


あそこには私が憧れて一方的に恋焦がれていた頃の洸くんの姿が残されている。


その隣には洸くんと長年付き合っていたお似合いの彼女の姿もあるはずだ。


写真を見なくても、当時の2人の姿は私の脳裏にしっかりと焼き付いている。


 ……あんなに美人で素敵な彼女がいた洸くんが私なんかで満足するはずないもの。今はきっと物珍しさが勝ってるだけ。そのうち、絶対に終わりはくる……。


その時が少しでも遅ければいいな、と私は心の中でつぶやいた。


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