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#13. ドキドキのお家訪問

「いらっしゃい」


「お、お邪魔します……!」



付き合い始めてから3度目の週末。


この日、私は洸くんが一人暮らしをする家を初めて訪ねていた。


玄関からキッチンを過ぎ、通されたのはシックな家具で統一されたオシャレな部屋だ。


きちんと整理整頓がされていて清潔感がある。


部屋中からいい匂いがして、まるで洸くんに抱きしめられているような心地になり、どうにも落ち着かない気持ちになった。


「とりあえず、そこのソファにでも座ってよ。何か飲む?」


「あ、じゃあ、何か温かい飲み物があれば」


「分かった。ちょっと待ってて」


ソワソワしつつソファに腰を下ろすと、私はつい辺りをキョロキョロと見回した。


 ……ここがあの『広瀬先輩』の部屋……!


初恋であり、憧れの人である洸くんの極めて私的な空間に足を踏み入れている事実に胸のドキドキが鳴り止まない。


家の中に2人っきりという状況も相まって、さっきからずっと心臓は大忙しだ。


「はい、ホットコーヒーでいい?」


「ありがとうございます」


「ずっとキョロキョロしてるけど、なんか面白いものでもあった?」


そう問いかけてきた洸くんは、目を細め、笑いを噛み殺している。


咎めるのではなく、揶揄う口調だ。


だけど、色々物色してしまっていた無作法が恥ずかしくなって、私は頬を赤くした。


「す、すみません。つい物珍しくて! ……あ、あれってゲーム機ですよね? 家ではゲームとかもするんですか?」


「ゲーマーってほどではないけど結構やるよ。興味あるならどれかやってみる?」


「はい、ぜひ!」


普段ゲームをする方ではないが、洸くんと一緒にするなら楽しそうだと私は目を輝かせる。


咄嗟に目に付いたゲーム機を口にしただけだったけど、ワクワクしてきた。


洸くんがゲーム機をセットして、コントロールを手渡してくれる。


プレイするのは、『梨太郎電鉄』という、日本各地の駅を巡るすごろくゲームだ。


物件を買って資産を増やし、総資産を競い合う対戦型の人気ゲームだという。


初挑戦となる私は最初こそ要領が掴めずだったが、徐々に慣れてきて、その面白さにのめり込んだ。


「やりました! 資産10億円突破です!」


「うわ〜先越された。さっき貧乏神に取り憑かれたのが痛かったなぁ。あと何年で終わりだっけ?」


「あと1年です。物件の収益もいい感じなので、このまま逃げ切って今度は勝たせてもらいますね!」


「それはどうかな? 1年あればまだ巻き返せるし最後まで分からないよ?」


3年決戦モードで、すでに3回目の対戦をしている。


ここまで負け続けだった私は今度こそと完全に本気モードだ。


家にお邪魔した頃の緊張はどこへやら、今はすっかりリラックスしてただただゲームに夢中になっていた。


「やったぁ! ついに洸くんに勝てました! 今回は私が総資産1位です!」


「あ〜僅差で負けたか、残念。遥香を3連敗させるつもりだったのになぁ」


「もう、私は初心者なのに容赦ないです……!」


「ははは、ごめんごめん。さてと、3連戦もしたからちょっと休憩しようか?」


肩をほぐすようにグッと伸びをして立ち上がった洸くんは、テーブル上のマグカップを持ってキッチンへ向かった。


飲み物を入れ直してくれるのだろう。


待っている間、手持ち無沙汰になった私はふと本棚に目を向けた。


洸くんがどんな本を読むのか気になるなぁと思い、本棚に並ぶ書籍のタイトルに注目する。


 ……うわぁ、すごい。仕事関連の本ばっかりだ!


小説や漫画など娯楽的な本はなく、ビジネス書や自己啓発本ばかりが格納されていた。


手持ちの本のラインナップからも、洸くんが私生活においても学びを欠かさないことが窺える。


きっと営業部のエースとして周囲の期待に応えられるよう、人知れず日々努力をしているのだろう。


そんな仕事に対する真摯な姿勢は本当にすごいなぁと尊敬する。


 ……あれ? 本棚にある、あの分厚くて大きいサイズのものって……?


その時、私は本棚の中に仕事関連以外のものが入っていることに気がついた。


サイズ感と分厚さにはどこか既視感がある。


 ……あ、分かった、卒業アルバムだ!


よくよく見ると、背表紙には学校名が書かれている。


中学、高校、大学の3冊分があるようだ。


 ……気になる! 見てみたい! 


即座にそう思った。


私が知らない時代の洸くんにすごく興味がある。


好きな人のことならなんでも知りたい。


そんな衝動に駆られ、洸くんがキッチンから飲み物を持って戻って来た時、私は前のめりで頼み込んだ。


「洸くん! 本棚にある中学と大学の卒業アルバム、見ていいですか……!?」


「別にいいけど、高校はいいの?」


「………あっ」


心の中でしまった!と焦る。


高校時代の洸くんのことはすでに知っているから、無意識に除外していた。


でも確かに洸くんにしてみれば、不思議に思うのも無理ない。


高校だけ除外したことに違和感を覚えるだろう。


この事態をどう誤魔化そうかと頭が高速回転し始める。


だけど、残念ながら上手い言い訳がすぐには浮かんでこない。


 ……どうしよう。高校だけ除外しちゃったもっともらしい言い訳、何かない……!?


ここで上手く誤魔化せなければ、隠していることを色々白状しないといけなくなる。


一方的にずっと見てたとか、憧れてたとか、地味で冴えない高校時代だったとか、洸くんには知られたくない。


「えっと……それは、その……」


頭の中で必死に言い訳を探すのに、何ひとつ形にならず、唇の端がひきつった。


穏やかだった洸くんの視線に、徐々にうっすら怪訝さが混じり始める。


マズイと思ったその時だ。


微妙になりかけていた空気を切り裂くように、私のスマホのバイブ音が鳴り響いた。

 

決して大きな音ではないはずなのに、やけに鮮明に聞こえる。


「あ! 私のスマホですね。電話かな? ちょっと確認させてもらいますね……!」


私はこれ幸いと、スマホに飛びつく。


どうやらメッセージだったようで、手に取った瞬間にバイブ音は鳴り止んだ。


けれど、私は構わず内容に目を通し始めた。


 ……ふぅ、いいタイミングでスマホが鳴ってくれて助かっちゃった。


まさに救世主だ。


おかげで洸くんの気を逸らすことに成功したみたいだし、隠し事を暴露する事態も避けられたはずである。


心の中で感謝の祈りを捧げながら、今しがた届いたメッセージ通知を見た。


 ……あれ? 結城くん?


メッセージの送り主は意外にも結城くんだった。


同期会の時に曲名を送ってもらったっきり、特にやりとりはしていなかったため、私にとって予想外の相手である。


結城くんが休日にメッセージを送ってくるなんて、何かよっぽどのことか、仕事のことだろうかと、やや逸る気持ちで文字を目で追った。


でも、またしても予想に反して、内容はただの世間話。


具体的に言えば、ソラリスの新曲が発売になった旨のお知らせだった。


親切にも動画投稿サイトにアップされているMVのリンクまで送ってくれている。


 ……布教の一環でわざわざ情報を教えてくれたのかな? 結城くんって本当にソラリスが好きなんだなぁ。


熱心なファンぶりに感心しつつ、私はさっそく御礼の文言を打って返信した。


そうすると、またすぐにメッセージが返ってきて、今度は来月にあるライブのお誘いを受けた。


一緒に行く予定だった人が来れなくなったためチケットが1枚余ってるという。  


どうせならソラリスの良さが分かる人と行きたいからとのことだった。


 ……うーん、ライブは興味あるけど、さすがに結城くんと2人でっていうのは良くないよね?


結城くんに下心はないだろう。


たぶん洸くんも私が誰とどこに行こうとも特に気にしたりはしないと思う。


だけど一般常識を踏まえると、一応恋人がいる身のため異性と2人で出掛けるのは憚られた。


私はすぐに返信できずにムムッと眉を寄せる。


すると次の瞬間、スマホを手に静止していた私の体がふいにグラリと傾いた。


えっ!と思った時には、私は洸くんの腕の中にいて、広い胸板に顔を押し付けられていた。


「……メッセージの相手、誰?」


「えっ?」


「俺を放置して遥香が他の誰かとやりとりしてるのが、面白くない」


いつもより低く抑えた声が耳に届き、私は目を瞬いた。


冗談のような口調なのに、明らかに声が尖っている。


驚いてパッと顔を上げると、洸くんと目が合った。


私を見下ろす端正な顔にも、どこか不満げな色が滲んでいる。


 ……確かに私が悪いよね。卒業アルバムの件を誤魔化したくて、ついスマホにばかり意識を向けちゃってたし……!


一緒にいる相手がスマホばかり見ていたら不快に感じるのは当然だ。


普段の私なら絶対にしない行動である。


「すみません……! 放置したつもりはなかったんですけど、でも私が悪かったです。もうスマホは見ません!」


「それで、遥香は誰とメッセージしてたのかな? 言わないなら覗くよ?」


「えっと、同期の結城くんです……!」


私は慌てて素直に謝り、その上で先日の同期会での出来事も含めてメッセージのやりとり内容をすべて率直に説明した。


「へぇ……」


話を聞き終えた洸くんは、低く落とした声をぼそっと零した。


そして背に回す腕に力をこめ、柔らかな笑みを浮かべて私を見下ろす。


「実はこの前、久我から研修の時に遥香と結城くんがいい雰囲気だった、って聞いたんだ。その時は信じてなかったけど……休日に連絡を取り合うなんて、仲良いんだね?」


「ご、誤解です! 結城くんとは確かに同期の中では話す方ですけど、仲良いっていうほどじゃなくって……!」


「そんな顔で否定されると、余計に怪しく聞こえるんだけど」


「本当です! 嘘じゃありません……!」


「……誘われてるライブには行くの?」


「行かないです!」


穏やかな声で微笑んでいるのに、言葉のひとつひとつが妙にゆっくりで、目の奥が笑っていない。


洸くんから滲み出る謎の圧にたじろぎながら、私は必死で首をぶんぶん横に振った。


「……良かった。行くって言ったらどうしようかと思った」


私がハッキリ「行かない」と言い切ると、洸くんはホッとした声でそう言って私の体をギューッときつく抱きしめた。


 ……ええっ!? この洸くんの様子って、も、もしかして……焼きもち? そんな、まさか、洸くんが——!?


信じられない思いで私は目をパチクリする。


「……はぁ、遥香が他の男と連絡取ってるだけで、こんなに嫉妬するなんて思わなかった」


「洸、くん……?」


「心狭くて申し訳ないけど……遥香、できれば今後もプライベートで異性と2人で会うのはやめてくれない?」


「は、はい、分かりました……!」


独占欲を隠しもしない言葉に私はびっくりしつつ、同時に胸を甘くときめかせる。


恋人に嫉妬された時、こんなに嬉しい気持ちになるなんて今初めて知った。


行動を制限されるのだって全然嫌じゃない。


洸くんにならもっと束縛されてもいいとさえ思ってしまう。


そもそも洸くんが私を束縛する必要はない。


 ……だって、昔も今も、私の目に映るのは洸くんだけだから。


それに……


「……そんなに心配する必要、ないですよ? 誰も私のことなんて見向きもしないですから」


洸くんの過去の彼女はすごく美人でモテる人だった。


だから、異性関係で気を揉むことも多かったのかもしれない。


でも、私に関してはその心配は皆無だと、自信を持って言える。


この会話のキッカケになった結城くんについてだって、たまたまソラリスのことを知らせてくれただけである。


「……それ、本気で言ってる?」


「? はい、もちろん」


「へぇ、じゃあ俺は? 俺は遥香に惹かれて、今こうしてるんだけど?」


「そ、それは……!」


もっともな返しをされ、私は思わず口ごもった。


確かに洸くんの指摘は正しい。


だけど、私だっていまだに恋人として洸くんの隣にいるのは奇跡だと思っているから咄嗟に答えが返せない。


すると、ほんの一瞬、私の背に回る洸くんの腕の力が緩んだかと思うと……


次の瞬間、後頭部をグイッと引き寄せられ、噛み付くように唇を塞がれた。


「んっ」


この前の優しいキスとは全然違う。


ぬるりとした舌が我が物顔で侵入してきて、口の奥まで暴くように探ってくる。


呼吸のリズムが乱れて、息が上手く吸えずに胸が詰まった。


だけど苦しいはずなのに、お互いの吐息が重なって、熱が高まるほどにもっと近づきたくなる。


 ……なに、このキス! 気持ち良すぎて、あ、頭がおかしくなっちゃう……!


荒々しくも艶かしい口づけに翻弄され、体からは力が抜けていく。頭がぼんやりとしてきた。


私が無意識のうちに目をとろんとさせ始めた頃、ようやく洸くんは唇を離した。


そして、熱のこもった瞳で私を見据える。


「……遥香はさ、自覚が足りないのかもね」


「えっ……?」


「何年も恋愛から一線引いてた俺が思わず本気になってしまうほど魅力的なのに。……今だってこのまま押し倒してしまいたいって俺が必死に耐えてるの分かってる? 遥香が可愛いからだよ」


甘さの混じった柔らかな声でそう言われ、私の胸の鼓動は大きく飛び跳ねた。


 ……ええっ! あの広瀬先輩が私のことを可愛いって言った……? し、しかも押し倒したいって、それって、つまり……!?  


いい歳した大人の男女が付き合っているのだから、キス以上のことだって当然想定内。


私もいずれはそういう展開もありうるかもと覚悟はしていた。


でも、いざその状況になってみると、やはり驚きが勝る。


昔は一方的に見つめるだけだった初恋の相手だからこそ、信じられない思いに駆られてしまうのだ。


けれど、その真剣な表情を見れば冗談じゃないことくらい、すぐに分かった。


その顔に、理性を押しとどめている気配がある。


私のことを“女”として見ている——そんな眼差しだった。


初恋の先輩でも、会社の先輩でもない、初めて目にする洸くんの“男の顔”に、ドキッと胸がざわめく。


 ……こんなの、私の知ってる洸くんじゃない。だけど、洸くんの目が私だけを見ているのが、怖いくらい嬉しい……!


付き合うことになった時と同じように、これも洸くんの一時の気の迷いなのかもしれない。


いくら「魅力的」「可愛い」と言われても、洸くんが長年付き合っていた彼女に比べたら、私なんて道端の石ころみたいなものだ。


だから、もしかすると体を許した途端に、あっさり飽きられてしまう可能性だってある。 


だとしても、構わない。


いつか終わりが来るその瞬間まで、洸くんの隣にいる幸せを噛み締め、恋人の時間を精いっぱい楽しもうって決めた。


終わりに備えて心の準備さえしておけば、きっと大丈夫。


 ……ずっと好きだった……ううん、今も好きな人だもん。この関係が終わった時にだって、きっと宝物のような思い出になるはず。


一瞬のうちにそんな覚悟を決め、その気持ちを示すように私は洸くんの背中に手を回し、胸に顔を埋めてギュッと抱きついた。


思えば、こんなふうに自分から洸くんに触れたのは初めてだった。


そのせいか、驚くように洸くんの体がビクッと震える。


「……遥香、今このタイミングで抱きついてくるってどういう意味か分かってる? 押し倒されても文句言えないからね?」


「はい、文句なんて、言いませ——……」


心臓をバクバクさせながら口にした言葉は、熱い唇に塞がれ、最後まで紡ぐことができなかった。


洸くんの体温に包まれ、世界が静かに反転し、そのまま先程とは真逆の甘く優しいキスが繰り返される。


「——遥香、好きだよ」


そっと目を閉じた時、吐息に混じって私の耳に届いた囁き。


それは、初恋の人から贈られる初めての“好き”の言葉だった。


嬉しいとか、幸せとか、そんな単語じゃ追いつかない。


胸の奥がじんわりと熱くなって、こみ上げてくる何かに泣きそうになった。


 ……私も、昔も今も、ずっとずっと大好き。


心の中で浮かんだその言葉は、声になる前に喉の奥で消えた。


代わりに私は洸くんの首筋にギュッとしがみつく。


どんな言葉よりも確かな想いを、その腕に込めて——。


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