#11. 秘密の社内恋愛
夢のような時間だったドライブデートの翌日。
またいつも通りの一週間がやってきた。
朝起きて身支度を済ませ、家を出る。
週末が終わった憂鬱さを滲ませる人々で満員の電車に乗り込んだ。
しばしの後に本社に到着し、混雑気味のエレベーターで営業フロアへ。
すれ違う顔見知りの同僚達と挨拶を交わしながら、自席へと向かう。
「あ、遥香さん、おはようございます!」
「おはよーっす!」
「高梨さん、久我くん、おはよう」
席に着いたらすでに出社している営業一課のメンバーと挨拶をするのもいつもと同じだ。
先週と何ら変わりのない一週間の始まりである。
ただ、この場には一つだけ、目には見えない変化が起きていた。
「おはよう、南雲さん」
「おはようございます、広瀬主任」
一見なんの変哲もない、営業担当とそのアシスタントが交わすただの朝の挨拶だ。
でも私達の関係は先週から大きく違っている。
プライベートでは「遥香」「洸くん」と呼び合う恋人になっていた。
他の誰にも分からない、たった2人だけが分かる変化だ。
視線が合うとくすぐったい気持ちになる。
でも私も、洸くんもそれを一切表に出さず、朝礼が終わるといつも通りに仕事に取り掛かった。
隣の席を意識しすぎないよう、私は集中して溜まったメールを処理していく。
「そういえば、先週末の打ち上げは楽しかったですね! 二次会のカラオケも大盛り上がりだったんですよぉ! 遥香さんが来れなくて残念でした。結構酔ってたみたいでしたけど帰り大丈夫でした?」
「えっ? あ、うん。無事帰れたよ。心配してくれてありがとう」
途中でマグカップに入ったコーヒーを飲んで小休憩を挟んでいたところ、そのタイミングで高梨さんがデスク越しに明るく声を掛けてきた。
高梨さんもちょうど事務作業のキリが良いらしく一息ついている最中のようだ。
話題として打ち上げの話を振られ、一瞬胸がドキリと音を立てたけど、私はすぐに取り繕って、声に緊張が滲み出ないよう気をつけながら微笑んで答えを返す。
「あの日は広瀬主任も二次会不参加でそのまま帰ったっすよね。いつもは割と付き合ってくれるのに珍しいなぁと思ってたんすけど、実は結構酔ってたんすか? それともなんか予定でもあったんすか?」
そんな私と高梨さんの会話にさらに久我くんが加わってきた。
しかも打ち上げの話題に乗っかり、洸くんまで話に巻き込む。
……ううっ、この話題ヒヤヒヤしちゃう……!だって打ち上げの後っていえば、まさに洸くんから奇跡の告白をされた時だから。
社内には関係を秘密にすると決めた以上、きっと洸くんは事実を上手く隠して受け流すだろう。
それは分かっているけど、いざその場面が訪れるとソワソワしてしまう。
「あの日は酔ってたというより疲れてたんだ。まっすぐ帰って早めに休ませてもらったよ」
「そうだったんすか。まぁ、展示会終わってからも事後対応でなにかと忙しかったっすからね」
「ゆっくりするのって大事ですよね! そのおかげなのか、主任、今朝はなんかいつもより表情明るいですもん! 週末は何して過ごされたんですかぁ?」
さらにその場の話題は週末の話へと広がっていく。
「日曜日は車で七里ヶ浜まで行って海見てきた。都会の喧騒から離れて自然に癒され、英気を養えたよ」
「へぇー! 海っすか、いいっすね! そう言われるとオレも久々に見たくなってきたなぁ」
「海にドライブって……え! 主任、それ絶対誰かと一緒のヤツですよね!? 誰かっていうか彼女!?」
「いや、1人でだけど? たまに海って見たくならない? 見てるだけで楽しいし。ねぇ、南雲さん?」
「えっ……!?」
会話の流れで洸くんが私に意見を求めてこちらを振り向いた。
急に話に巻き込まれて私は思わずギクリとしてしまい、心臓が縮み上がる。
……な、なんでここで私に話を振るの!? なんか洸くんの口元、微妙に笑ってない……!?
まるで私が焦るのを楽しんでいるかのようだ。
そう感じてしまうのは気のせいだろうか。
同時に、洸くんの口元を見やった際、私はその薄い唇に視線が釘付けになってしまった。
昨日経験した柔らかな感触が脳裏に蘇ってきて、先程とは違った意味で心臓の鼓動が速くなる。
それらの感情を一旦グッと抑え込み、私は平然とした態度を貫いた。
「……そうですね。確かに広瀬主任の言う通り、海は見ているだけで楽しいと私も思います」
「ほら、南雲さんもこう言ってるしね」
「え〜、でも1人でわざわざ行きます!? うーん、なんか怪しいなぁ……。ね、遥香さんもそう思いません!?」
「えっ、どうかな。私にはよく分からないけど……」
「久我さんはどうですか!? 久我さんなら自分1人で海とか行きます!?」
「オレ? そうだなぁ、まぁ車あるなら行きたくなる時もあるかも?」
女の勘が働くと主張する高梨さんはまだ納得のいかない顔だ。
真実を知る私からしたら、高梨さんの鋭さには舌を巻く。
私は内心でヒヤヒヤしてしまい、手に汗がうっすら滲んだ。
「——それより、事前にメールしておいた通り、俺は明後日から地方出張で1週間不在になるから。何か確認書類とかがあれば早めに頼むよ」
小休憩中の雑談がちょっとした盛り上がりを見せる中、ここでようやく洸くんがみんなの意識を仕事へと引き戻した。
真面目な顔で自身の予定を踏まえた留意事項を口にする。
……そっか、洸くんしばらくは出張でいないんだ。
となると、今週末は会えないだろうし、次に2人で会うのは早くて来週末になるだろう。
告白されて、付き合うことになって、デートして、キスして……と、ここまで短期間で怒涛の展開だったから慌しかった心を落ち着かせるにはちょうどいいかもしれない。
顔が見れないのは寂しいけれど、ほんの少しだけホッとした。
「了解っす! あ、そういえばオレも今週木曜・金曜と2日間は研修だった。その分、週前半にアポ入れとかないと! この研修って南雲さんもだよね?」
「うん、中堅社員研修だよね」
私も今週は後半に人事から招集を受けた研修の予定が入っている。
久我くんと同じように前倒しで仕事を片付けておかなければいけない。
……よし、頑張ろ!
私は再びパソコンへ視線を戻すと、先程以上に集中してサクサク仕事を進めていった。
◇◇◇
その週の木曜日、私は本社ではなく、都内にある会社所有の研修施設へ足を運んでいた。
ここは研修用の会議室や講義室の他、食堂や宿泊施設なども完備されている。
まさに缶詰状態で教育研修に集中できる環境が揃っている場所だ。
当社社員は入社時研修時に必ずここを利用するし、その後も定期的にある研修の度に訪れるためお馴染みの場所でもある。
慣れた足取りで会議室に向かい、人事部の人に出欠チェックをしてもらった後、指定されたグループの席へ移動する。
該当の席を見つけると、そこにはすでに他のグループメンバーが1人座っていた。
「あれ? 結城くん? またグループ一緒だね。今回もよろしくね」
「……よろしく」
以前別の研修でもグループが一緒になった情シスの結城くんと偶然にもまた同じグループになった。
朝だからか結城くんはいつも以上にローテンションである。
……低血圧っぽいもんね。カフェインを体が欲してるのかコーヒーすごく飲んでるし。
そういえば以前の時も、研修前に結城くんはコーヒーを飲んでいた気がする。
そんなことをぼんやり思い出しているうちに、他のグループメンバーも次々にやって来て、研修開始時刻となった。
「では定刻になりましたので、中堅社員研修を始めたいと思います。本研修では——……」
そこからまずこの2日間に学ぶ研修の内容説明が始まった。
今回の研修は入社5〜10年目の一般社員が対象となっている。
今後主任としてチームを率いる立場になることが期待されている年次の者達だ。
そのため研修内容も、マネジメントの基礎やコミュニケーション力の強化などに特化されているようだった。
内容説明が終わると、さっそくカリキュラムがスタート。
今回のために招かれた専門の外部講師による指導のもと、講義やロールプレイを通して、朝から夕方までみっちりと学んでいく。
新しい知識をたっぷりインプットし、1日が終わった頃には頭から湯気が出そうだった。
「南雲さん、お疲れ! うわ〜疲労が滲む顔してんなぁ」
「うん、内容盛り沢山だったから。久我くんはまだまだ元気そうだね」
「オレ、体力だけはあるからさ! ところで南雲さん、疲れてるとは思うけど、夕食の後って予定ある?」
1日目の研修が終わり片付けをしていると、ふらりと久我くんがテーブルにやって来た。
同じ部署の気軽さで軽く言葉を交わしてると、最後に予定を訊ねられた。
今日はこの研修施設に付帯している宿泊場所に泊まることになっているため、特にこれといった予定はない。
食堂で夕食を摂って、宿泊部屋に戻るだけだ。
他の参加者も同様のスケジュールのはずだけど、わざわざ聞くということは何かあるのだろうか。
「特には、ないけど? 明日に備えて部屋で休むくらいかな」
「それならさ、夕食後に談話室で酒やつまみを持ち寄って同期会やるから参加しない? ほら、今回結構オレらの同期が多く参加してるしさ。地方支社勤務でめったに顔を合わせないヤツもいるし、せっかくの機会だから集まろ〜って話になってて!」
話によると、久我くんが発起人となって同期に声を掛けて回っているらしい。
……どうしようかな。疲れてるから早めに休みたい気分ではあるけど……確かにめったにない機会だよね。それに久我くんが頑張って人を集めてるみたいだから協力したい気持ちはあるし。
結局、同じ部署の久我くんが中心になっている点が私の背を強力に後押しした。
「うん、分かった。参加させてもらうね。ただ、疲れてるから少しだけ顔を出して早めに部屋に戻らせてもらうかもしれないけど、それでも大丈夫?」
「おお、良かった! もちろん全然それでオッケー! あ、ここのテーブル、結城もいんじゃん。ちょうど良かった。今の話聞いてただろ? 結城も参加しない?」
「……ちょっとだけなら」
「よっしゃ、2人確保っと! じゃあ夕食後の19時半に2階の談話室に集合でよろしく!」
久我くんはニカッと笑って必要事項を伝達すると、その足で他の同期にも声を掛けに向かった。
その場に残された私は、同じくその場に残っている結城くんになんとなく話し掛ける。
「結城くんは同期会って参加したことある?」
「ない。初めて」
「私も支社で仲の良かった同期と個人的にごはんに行くことはあったけど、同期の集まりに参加するのは初めて。……なんか少し緊張するね」
「顔見知りの久我が幹事だし、大丈夫なんじゃない?……俺もいるし」
「そうだよね。ありがとう」
元々地味で目立たないタイプだった私は、人数の多い集まりがあまり得意ではなく、自ら進んで積極的に参加する方ではない。
歓送迎会や打ち上げなど仕事に関連した飲み会ならまだしも、同期会はたぶんもっと砕けた雰囲気の飲み会のはずだ。
そう思うと、参加表明した後ではあるが、私は少し怯んでしまっていた。
そんな心の奥底にある弱音がポロリと漏れたところ、結城くんが絶妙にフォローしてくれた。
結城くんもワイワイ賑やかなタイプではなく、たぶん私に近い。
だから気持ちを察して勇気づけてくれたのだろう。
……ありがたいなぁ。結城くんって一匹狼っぽくて一見近寄り難い雰囲気なのに、実は人の機微に聡くてフォロー上手だよね。
システムのトラブルの時もすぐ来てくれたし、復旧した時も気を回して先に連絡を入れてくれた。
言葉数が少なく淡々としてるから誤解されがちだろうけど、すごく気遣いのできる人だと思う。
無言でテーブルを片付け、鞄に荷物を詰める結城くんを見ながら、私はそう思った。




