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#10. 週末ドライブデート②

なにかと胸が騒がしい約2時間のドライブを経て、私達はようやく目的地の七里ヶ浜に到着した。


時刻は12時を少し過ぎたところだ。


車を停めて、ランチのために海沿いのオシャレなカフェへ入る。


お昼時とあってそこそこ店内は混み合っていたが、運の良いことに、案内されたのはオーシャンビューを楽しめる横並びの窓際席だった。


目が吸い込まれそうになる澄んだコバルトブルーの海が眼前に広がっている。


「すごく綺麗な景色ですね! 海に来るのは久しぶりで、つい見入ってしまいます」


「俺も海は久しぶり。都会の喧騒を思わず忘れてしまう開放感だよね」


木の温もりを感じる店内には、リゾート地特有のゆったりとした時間が流れており、誰も彼もがリラックスして食事や会話を楽しんでいた。


さっそく私達もメニューを見てランチをオーダーする。


私はそば粉とスプリングオニオンのパンケーキを、広瀬主任は和牛バーガーをチョイスした。


運ばれてきた食事は、食器も盛り付けもとてもオシャレで、いかにも写真映えしそうだった。


私はSNSは見る専門のため、こういった食事の時に写真を撮って投稿する習慣はない。


でもきっと写真映え重視の人にとっては、このカフェはオシャレな雰囲気といい、絶好のロケーションといい、最高な場所だろう。


実際、女性に人気が高いようで、店内には女性グループやカップルが多い。


そのせいか、先程から私は無数の視線を感じていた。


食事をしながらそろりと店内に視線を向ければ、今現在店内にいる女性客が一様にこちらをチラチラ見ていることに気がついた。


女性グループだけならまだしも、彼氏連れの女性までこっそりこちらを盗み見ている。


 ……こちらというか、広瀬先輩を、だけどね。やっぱりどこに行っても人を惹きつける人なんだなぁ。


広瀬主任が意識的にそうしているわけではないのだろうけど、そこにいるだけで、自然と周囲を魅了してしまうのだ。


だから高校でも、会社でも、広瀬主任は常に人の中心にいる。


そんな人の隣にいるのが私で良いのだろうかと心の奥底から不安がひょっこり顔を出す。


あの子じゃ不釣り合い、と周囲にヒソヒソ言われている気がして肩身が狭く落ち着かない。


「遥香、急に静かになったけど、どうかした?」


「……えっ? あ、そうですか?」

 

「さっきまで海を見て目をキラキラさせてたのに、料理が来た辺りから口数少なくなったから気になって。食事が口に合わなかった?」


「いえいえ! すごく美味しいです! ……その、美味しすぎて、思わず食べるのに集中しちゃってました……!」


咄嗟に思いついた言い訳を口にして、私は無理やり平然を取り繕う。


周囲の視線が気になっていたなんて、広瀬主任には言いづらい。


「へぇ、そんなに美味しいんだ。俺にも一口食べさせて欲しいな」


「あ、はい。良かったらどうぞ」


私が慌ててお皿を持ち上げようとしたら、それより速く隣に座る広瀬主任からやんわり手で制された。


「遥香が俺に食べさせて」


「えっ……」


思わぬ一言に私は目を丸くする。


 ……そ、それは、いわゆる「あーんする」というヤツ? え、私がするの!? 広瀬先輩に!?


突然驚きのリクエストを受け、どうするべきか悩み、私の頭は大混乱に陥った。


固まったまま、視線だけが目の前のお皿と広瀬主任の顔の間を行ったり来たりする。


「ふふっ、ごめんごめん。今のは冗談」


「じょ、冗談……!?」


思考回路のショート寸前まで真剣に頭を悩ませ、リクエストに答えた方がいいのかな……と覚悟を決め始めていたタイミングで、なんと広瀬主任は小さく笑ってあっさり発言を翻した。


間に受けて動揺した私がバカみたいで、つい広瀬主任相手にもの言いたげな目になってしまう。


「もう、広瀬主任! からかわないでください……!」


「本当にごめん。でも、あんまりにも遥香が心ここに在らずな様子で俺の方を全然見てくれないから。つい気を引きたくなって。あ、もちろん冗談とは言ったけど、してくれるのは大歓迎だけどね?」


「!」


「それに呼び方。また主任呼びになってる」


「そ、それは……なかなか慣れなくて」


「さっきまでは俺も遥香が慣れるまでゆっくり待とうかなと思ってたけど、やっぱり辞めにするよ。これは俺の勘だけど、なんとなく遥香を待ってたら一生かかりそう。何年経っても『慣れない』って言われそうな気がするし。……だからシフトチェンジさせてもらうね?」


「シ、シフトチェンジ、ですか?」


たぶん広瀬主任の勘は正しい。


私は何事も怖がりで慎重だ。


特に広瀬主任のことになると慎重さが増す傾向にあるから、指摘通り、なかなか慣れないと思われる。


 ……でもシフトチェンジって? 方向性を変えるって意味だよね? どういうこと?


頭に次々と疑問符が浮かび、私は首を傾げた。


「『慣れるのを待つ』じゃなく、『慣らす』に方向を変えることにするよ。仕事でも実際に業務に取り組むうちに覚えられるものだしね……ということで、遥香。今から俺を“広瀬主任”って呼んだら罰ゲームだから」


「ば、罰ゲーム、ですか? 例えばどんな……?」


「そうだなぁ。“遥香が恥ずかしがること”かな。さっきの遥香が俺に料理を食べさせるとかがいいかもね。あぁ、逆に俺が遥香に食べさせてあげるのもありかな?」


「………!!」


次々に上げられる罰ゲーム案に私は絶句した。


想像するだけで恐ろしい。


その状況になったら、きっと私の心臓はもたない。


「ひろせ……洸くん、本気ですか?」


「もちろん。今のはギリギリだったね。残念、俺は遥香にあーんしたかったけどな」


柔らかな瞳にからかう色を宿し、洸くんはフッと口角に笑みを浮かべた。


イタズラ好きの少年のような、無邪気さが漂よう笑みにトクンと胸が高鳴る。


先程からの一連のやり取り、そして罰ゲーム。


胸を掻き乱すことの連続で、私の意識は根こそぎすべて洸くんに奪われていく。


いつの間にか私は、あれほど神経を尖らせていた周囲の視線が気にならなくなっていた。


正確に言えば、もうそれどころではなく、気にする余裕などなかった。


今度は先程とは違う意味で、落ち着かない状態に陥っていたのだった。



◇◇◇



カフェでランチを済ませた後は、再び車に乗ってドライブだ。


ドライブコースとして人気のある海沿いの国道を走る。


天気が良いから見晴らしがとてもいい。


カフェから眺める海も絶景だったが、車窓に流れる海の景色も格別だ。


「ひろ、洸くん……少しだけ窓を開けていいですか?」


なにげなく口を開くと、あやうく“広瀬主任”呼びしそうになり、私は慌てて言い直す。


今のは大丈夫だよね?と心配になり、そろりと隣の運転席を窺った。


洸くんは前を向いたまま、口元を緩める。


「ふふっ……そんな心配そうな顔しなくても。大丈夫、今のはセーフ。あと、窓は好きに開けてくれていいよ」


「ありがとうございます」


許可を得ると、私はボタンを押して窓を半分くらいまで下ろした。


窓を開けた途端、風が一気に流れ込んできた。


髪を揺らす風は、潮の匂いがする。


水面がキラキラと輝く真っ青な海。

砂浜に打ち寄せる波の音。

鼻腔をくすぐる穏やかな潮風。


海沿いのドライブは、目や、耳や、鼻を楽しませてくれて、私は夢中になって窓の外を眺めた。


「遥香は海好きなの?」


あまりに海の景色を真剣に見ていたからだろう。


信号待ちで車が一時停車したタイミングで、目を細めた洸くんがこちらを見て訊ねてきた。


「いえ、特別好きってわけではなかったんですけど……でも、なんだか今日ですごく好きになりました! 見ているだけでこんなに楽しいだなんて知らなかったです。あ、ひろ、洸くんは運転中で見れないのに、私ばかり景色を堪能してすみません……!」


話しているうちに、よくよく考えれば洸くんに対して配慮の足りない失礼な言動だったかもと思い至った私は、顔色を悪くする。


「そんなこと気にしなくていいのに。俺は遥香が楽しんでくれてるなら、それだけで嬉しいよ。俺のことは気にせず、好きなだけ外の景色を堪能して」


そう言って、私の心配を包み込むように洸くんは優しく微笑むと、ふいにハンドルを握っていた手を助手席側へ伸ばしてきた。


その手は風で乱れて頬にかかっていた私の髪を掬い上げ、するりと耳に掛けてくれる。


「……!」


突然のことに私は驚いて身動きがとれない。


ただただその様子を目で追っていた。


そして何事もなかったかのように車が再び動き出した頃になって、ようやく私は遅れて顔を真っ赤にさせた。


 ……あ、あまりにも手慣れた自然な動作! 洸くんはもともと誰に対しても平等に優しい人だけど、彼女にはこんな甘やかすような優しさも見せてくれるんだ。し、新発見……!


自分に向けられる特別な甘さに胸が高鳴る。


やっぱり今のこの状況が信じられない。


“あの広瀬先輩”がその瞳にを映し、それだけじゃなく二人きりでデートしていて、彼女にしか見せない顔を向けてくるのだから。


 ……本当、夢みたいな状況だよね。


夢ならば醒めないで欲しいと願った思いが天に届いたのか、まだまだ幸せなデートの時間は続く。


しばらくのんびりと海岸沿いドライブを楽しんでいた私達だったが、だんだんと陽が落ちて来た頃合いに、車を停めて海岸へ降りることにした。


海に沈む夕日を見るためだ。


並んで砂浜に座り、少しずつ海がオレンジ色に染まっていく様子を眺める。


昼間のまばゆい明るさから一転、今はしっとり落ち着いた大人のムードがその場に漂っていた。


「そういえば、遥香はマジックアワーって知ってる?」


「魔法の時間、ですか?」


「直訳するとそうだね。でも俺が言いたいのは夕日に関するマジックアワー。日没前後の約40分間に空が魔法のように美しく染まる時間帯をそう言うらしいよ」  


「そうなんですね。初めて知りました」


「マジックアワーは、空がオレンジ、金色、紫色、紺色へと徐々に変化していく綺麗な景色が見れるらしいよ。たぶん、そろそろかも」


洸くんの言葉通り、ゆっくり海へ沈んでいく夕日が放っていたオレンジ色の光が次第に金色へ、そしてもっと暗い紫色へと移り変わり始めた。


美しい色のグラデーションに目を奪われ、私は食い入るようにその光景を見つめる。


色の変化に伴い、辺りも次第に夜の闇に呑まれて薄暗くなってきた。


隣に座る洸くんの顔にも移り変わる夕日の光が落ちる。


その時ふいに体を抱き寄せられ、私は座ったままの状態で洸くんの胸に寄りかかった。


「やっと遥香を抱きしめることができた」


待ち遠しかったと言わんばかりの吐息混じりのささやきが耳のすぐ近くで聞こえてくる。


ドキッと鼓動が跳ね、急に体が熱くなった。


「俺が運転中は我慢してたって気づいてた?」


「えっ」


「会社の時とは違う無邪気さで目をキラキラさせて海を眺めてる遥香はすごく可愛いし、窓を開ければいい匂いが遥香から漂ってくるし。ずっと遥香に触りたくて仕方なかった」


「ひ、広瀬主任……」


背中に腕を回してギュッと抱きしめられ、私は言葉を詰まらせた。


真っ直ぐな言葉と温かな抱擁に面食らって、瞳が戸惑うように揺れる。


呼び方もつい元に戻ってしまった。


「今のは完璧にアウト。残念だけど罰ゲームだね」


「えっ、ほ、本気ですか……!?」


「もちろん。仕事の時も俺が有言実行なのは知ってるよね? さて、何にしようかな。この状況で遥香が恥ずかしがりそうなこと……キスとか?」


「キ、キス!?」


思わず声が裏返った。


驚きから勢いよくバッと顔を上げると、私を見下ろしていた洸くんの目と視線が重なる。


冗談で言ったのかと思いきや、洸くんの瞳は予想外に真剣な色を帯びており私は固まった。


「……嫌?」


「い、嫌じゃないです、けど……こ、心の準備がまだというか、その……」


「うん、でもごめん。もう待てない」


そう言うやいなや、洸くんは口をもごもごさせる私の後頭部に手を添えると、顔を近づけてきた。


 ……う、うそでしょう!? あの広瀬先輩と私がキス!?


とんでもない展開に頭も心もついていけない。


脳内では非常事態を告げるアラームがけたたましく鳴り響く。


高校時代にずっと一方的に見続けてきた端正な顔はもうすぐ目の前だ。


吐息が聞こえるほどの距離まで近づいてきたところで私は反射的にギュッと目を瞑る。


そしてその直後……


ふわりと柔らかい感触がそっと唇に触れた。


私の心をほぐすかのようにとても優しいキスだった。


何度か角度を変えて口づけるも、そのすべてが壊れ物に触れるかのごとく丁寧で繊細だ。


ただし、唇同士は隙間なくぴったりと重なり、触れた部分からは熱が伝わってくる。


ドクドクドクと心臓が大きく脈打つと同時に、甘美なときめきが胸いっぱいに満ちていく。


 ……ああ、もうどうしよう。幸せすぎて怖い。


今が人生のピークではないだろうか。


あれほど恋焦がれた“広瀬先輩”と、そして今もなお惹かれてやまない“洸くん”と恋人としてキスをしている。


本当に夢のような瞬間だ。


マジックアワーが見せる魔法の時間なのではないかと思えてくる。


 ……そう、これは夢のような魔法の時間。やがて終わるもので、この幸せは有限なのを忘れちゃダメだ。


この交際はいずれ終わる。


きっと洸くんはいつか目を覚まして去って行く。


今はほんの気の迷い。


洸くんは、本来私なんかには手の届かない雲の上の存在の人なのだから。


だから、この幸せな時間が終わりを迎えても大丈夫なように、私は心の準備を怠ってはいけない。


深入りしすぎず、心にブレーキをかけて。



洸くんとの蕩けるような甘いキスにのめり込む一方で、思いがけず叶ってしまった初恋の先に待つ『終わり』に向けて私は冷静に備え始めたのだった。


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