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百二歳で大往生した葬儀屋、異世界で亜神として二度目の人生を始める〜最強葬儀屋、銀の杖で世界を安らぎの葬送に染め上げる〜  作者: 榎木丈


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潮騒の約束と、時を越えた真珠の指輪

 かつて、呪われた海域から流れ着く幽霊船と、その甲板で終わらぬ航海を続けていた亡霊たちによって、深い憂死ゆうしの霧に包まれていた港町レトス。結城 終がこの地を訪れ、銀の杖で迷える船乗りたちの魂を星の海へと送り出してから、数百年という月日が流れていた。当時のレトスは、死の臭いと潮枯れた絶望が支配する寂れた集落であったが、現在のそこは、新世界においても有数の活気溢れる交易都市へと変貌を遂げていた。


 終は、かつての現世で海難事故の遺族を慰める際に用いた、深い瑠璃色るりいろの外套を羽織り、銀の杖で石造りの波止場を鳴らしていた。

「……風が、実に清やかだ。数百年前に漂っていた、あの重苦しい未練の泥は、もはや一滴も残っていないようですね」


 一〇二年の人生を全うした終にとって、この町の活気は、自らの葬送が正しく「未来」を切り拓いた証左でもあった。歩みを進めるごとに、波の音が歌声のように聞こえてくる。それは幽霊船が立てていた軋み音ではなく、今を生きる人々が海を愛し、海と共に生きている証であった。終がたどり着いたのは、町外れの断崖の上に建つ、一軒の小さな灯台であった。そこには、あの日、幽霊船の船員と「必ず戻る」と約束を交わし、独りで待ち続けていた若き女性――エレナが愛した場所であった。


 終の目の前には、灯台を囲むように咲き誇る純白の睡蓮の庭園があった。その中央に、一人の若い女性が座り、水平線を見つめていた。彼女の指先には、終が見覚えのある「真珠の指輪」が、夕陽を反射して淡く輝いていた。それはあの日、船員の魂が光に溶ける寸前、終がエレナへと託した、この世で最も重く、そして美しい未練の形であった。

 終は静かに帽子を取り、潮風に身を任せながら彼女へ近づいた。

「……その指輪の輝きは、数百年を経ても少しも陰っていないようですね。持ち主の想いが、今もなお、その内側で脈動している証拠です」


 女性がゆっくりと顔を上げた。その瞳には、かつてのエレナが持っていた一途な愛と、数世代を経て磨き上げられた「受容」の知恵が宿っていた。彼女はエレナの直系の末裔であり、この灯台を代々守り続けてきた一族の娘であった。


「……お会いできて光栄です、葬儀屋様。わが一族の記録に記された『瑠璃の外套を纏う若き亜神』の姿、そのままでいらっしゃる」


 彼女の声は、穏やかな波の音のように心地よく響いた。名はアリア。彼女の中に、かつてのエレナのような「待ち続ける苦しみ」は存在しない。今の彼女は、先祖が受け取った愛を誇りとし、海を見守ることを自らの使命とする、瑞々しい魂の持ち主であった。しかし、終が近づくにつれ、彼女の指にある真珠の指輪が激しく共鳴し、かつての幽霊船の記憶が、温かな潮騒となって周囲を満たした。


 終は微笑み、鞄の奥深くから、かつてエレナが終に宛てて書いた、未投函の手紙を取り出した。それは彼女が天寿を全うする直前、未来の葬儀屋への「礼状」としてしたためたものだ。

「これはあなたの先祖、エレナ殿が私に託したものです。……彼女は待ち続けることを辞めたのではなく、いつか訪れる再会のために、自らの生を美しく彩ることを選んだ。この手紙には、その感謝が綴られています」


 終が手紙をアリアに手渡すと、紙面からは黄金の粉塵が舞い、アリアの脳裏に、かつてのエレナが辿った「幸せな老い」の光景が流れ込んだ。彼女は船員の死を嘆き続けるのではなく、終が整えた式場で彼を見送った後、この灯台から新しい世界の夜明けを見届け、人々に勇気を与える語り部として一生を終えたのだ。アリアは自分が受け継いだのが「悲劇」ではなく「愛の完結」であったことを、今一度、魂の芯で理解した。


「……葬儀屋様。おばあ様は、ずっと仰っていました。貴方がくれたのは『終わり』ではなく、二人を永遠に繋ぎ止めるための『栞』だったのだと。……この指輪が今もこれほど温かいのは、あの船員さんの魂が、今も海の風となって、私たちを守ってくれているからなのですね」


 アリアが指輪を胸に当てると、灯台の周囲の睡蓮が一斉に輝きを放ち、海面にはかつての幽霊船ではない、黄金に輝く「星読みの船(ほしよみのふね)」の幻影が浮かび上がった。それは、正しく弔われた魂たちが、新世界の理となって世界を巡っている姿であった。

「一〇二年生きた経験から申し上げますが、想いというものは、正しく閉じられることで、初めて色褪せぬ宝石となります。……アリア殿、あなたが今、こうして迷うことなく海を見つめていられること自体が、彼らの物語が最高の結末を迎えたことの証明なのですよ」


 終の言葉に、アリアは深く頷いた。彼女の目尻には、悲しみではなく、あまりに純粋な幸福に触れたことによる、真珠のような涙が零れ落ちていた。


 終はアリアと共に、夕闇が迫る断崖の先端に立った。海は凪ぎ、空には数百年前に幽霊船を導いたのと同じ星々が瞬き始めている。終は銀の杖を高く掲げ、かつてのレトスの儀式で用いた具現化の儀(コンストラクト)を、より洗練された形で発動させた。

聖域展開サンクチュアリ・オープン悠久なる潮騒の葬列オーシャン・レクイエム


 断崖から海へと続く光の道が敷かれ、海中からは、かつて幽霊船と共に沈んでいた無数の「忘れられた記憶」が、輝く蛍火となって浮かび上がってきた。それはかつての呪いではなく、この都が繁栄するために礎となった、すべての先人たちの遺志であった。終は一〇二年の研鑽の末に辿り着いた、最も穏やかな弔辞を述べた。


「これより、港町レトス、ならびにエレナ殿と船員殿の、時を超えた合葬がっそう儀式を執り行います。……参列者は、この海に生き、海に還る、すべての生命です。……お疲れ様でした。あなたたちの交わした約束は、今、この輝かしい新世界の理として、永遠に完成されました」


 終が鎮魂の調べを奏でると、アリアの指輪から一筋の光が放たれ、海面の黄金の船へと吸い込まれていった。同時に、空からは睡蓮の花弁が雪のように降り注ぎ、都中の人々が、その幻想的な光景に手を合わせ、自らの先祖への感謝を捧げた。それは悲しい別れではなく、数百年前に始まった物語の、最高に幸福な「後書き《あとが》」であった。

 アリアは終の隣で、清らかな歌声を合わせた。それはエレナが遺した古い守り歌であり、今やこの町の繁栄を願う祝詞となっていた。


「……葬儀屋様。私、この灯台をこれからも守り続けます。……そして、いつか私が人生の最後の一行を綴る時、貴方が案内してくれるのを、楽しみに待っていますね」


 終は少年のように目を細め、彼女の頭を優しく撫でた。

「ええ、約束しましょう。……ですが、その日はまだまだ先のこと。……今のあなたが綴る航海記は、まだ半分も書き終えていないのですから。……さあ、顔を上げなさい。あなたの前には、これほどまでに美しい海が広がっているのですから」


 翌朝、終が町を去る際、アリアは港まで見送りに来なかった。彼女は灯台の最上階から、力強く鏡を反射させて、旅立つ葬儀屋へ合図を送っていた。それは「私はここで、力強く生きていく」という、生者としての誇り高い宣戦布告であった。

 一〇二年の心を宿した青年は、朝の光にキラキラと輝く波頭を眺めながら、満足げに帽子を被り直した。

 彼の旅路には、常に「終わり」があります。

 しかしその終わりは、数百年後の誰かを照らす、消えない「灯火ともしび」となっていた。


 二十歳の身体に、一〇二年の達観を宿した葬儀屋。

 彼の杖が打ち鳴らす音は、新世界の潮騒に溶け込み、今日もどこかで誰かの未練を、美しい思い出へと変えていく。

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