再会する魂と白百合の系譜
終焉の儀から数百年の時が流れ、世界が再編された後も、大陸の中央に位置する「始まりの聖域」は、変わらぬ静謐を湛えていました。黄金に輝く若木が天を突き、その周囲には、かつて終が旅の途中で弔った魂たちの面影を残すかのように、色とりどりの花が咲き誇っています。
結城 終は、若木の根元で静かに瞑想に耽っていました。二十歳の瑞々しい肉体は、時を止めたかのように若々しいままですが、その閉じた瞼の裏に広がるのは、一〇二年の現世と数千年の異世界を見守ってきた、果てしない記憶の海です。
「……おや。懐かしい、しかし新しい足音が聞こえますね」
終が目を開くと、丘の麓から一人の若者が登ってくるところでした。彼は使い古された銀の天秤を誇らしげに首から下げ、腰には領主の家系であることを示す、見覚えのある紋章を帯びています。それは数百年前、終が最初期に救ったローゼンベルク家の家紋。しかし、当時の歪んだ威圧感はなく、今は人々の安らぎを守る「守護の盾」としての気高さが宿っていました。
若者は若木の前に辿り着くと、その場に跪き、背負っていた荷物から一輪の瑞々しい白百合を取り出しました。それは、かつてヴィンスが母への愛を取り戻した際に屋敷を飾った、あの花と同じ気品を放っています。
若者の名はレオ。彼は代々語り継がれてくる「一〇二年の心を宿した二十歳の葬儀屋」の伝説を信じ、一族の義務として、数百年の節目に報告に訪れたのです。レオの瞳には、かつてのヴィンスのような劣等感による傲慢さも、カイルのような完璧主義による強迫観念もありませんでした。ただ、自らの領民を愛し、命の終わりを尊ぶ、澄んだ知性が宿っていました。
「……伝説の葬儀屋様。わが家に伝わる古い家訓通り、街が繁栄の時を迎えたこと。そして、我らの一族が今もなお、貴方から教わった『命の重み』を忘れていないことを報告に参りました」
レオは誰もいないはずの虚空に向かって、静かに、しかし力強く語りかけました。彼は見えていないのかもしれません。しかし、彼の持つ銀の天秤は、微かな共鳴音を奏で、そこに「誰か」が居ることを示していました。
「……良い花ですね。手入れが行き届いているのが分かります。その白百合の香りは、時を超えても色褪せることはないようです」
若木の影から、不意に声が響きました。レオが驚愕して顔を上げると、そこには黒い外套を纏い、銀の杖を手にした青年が立っていました。一〇二年の人生で培った、相手を萎縮させない柔らかな物腰。しかし、その立ち居振る舞いには、どんな大貴族をも圧倒する静かな威厳が宿っています。
「あ、貴方は……! 本当に、実在されたのですね。お伽話の中の存在だと思っていました。……その姿、その杖。間違いありません」
「ええ。少々、長く居眠りをしすぎたようですが。……レオ殿、とお呼びしてよろしいかな? あなたのその瞳、ヴィンス殿の真っ直ぐな情熱と、カイル殿の鋭い知性を、実に見事に引き継いでいらっしゃる」
終は穏やかに微笑み、レオが下げている白銀の天秤を指差しました。
「その天秤……大切に使ってくれているようで嬉しいですよ。それは物の重さを量るものではありません。魂の均衡を保つための道標。あなたがそれを持っているということは、ローゼンベルクの血は、今度こそ正しき道を歩んでいるということだ」
終が銀の杖を軽く振ると、天秤がレオの胸元で激しく輝き、かつてヴィンスとカイルが終に救われた瞬間の記憶が、断片となってレオの脳裏に流れ込みました。母の愛、兄弟の絆、そして「自分らしく生きる」ことへの許し。
「ご先祖様たちは、最期まで貴方のことを語っていました。『自分たちの人生に最後の一行を書き加えてくれた恩人だ』と。……私は、その感謝を伝えに来たのです。そして、この天秤が今もなお、正しく水平であることを証明するために」
レオは、目の前の青年が、自分たちの血脈が抱えていた「呪い」を解き放ってくれた亜神であることを確信し、改めて深く頭を下げました。一〇二年の智慧を持つ葬儀屋は、その姿に、かつて送り出した二人の男たちの魂が、正しく報われたことを知りました。
終はレオを若木の根元に誘い、二人で新しく生まれ変わった領都の様子を語り合いました。
かつての街は、富と名声のみを求める「完璧な檻」でした。しかし、今のその街は、老いた者や病に伏した者が、決して孤独にならずに最後の日々を過ごせる「安らぎの地」として、大陸中の憧れの的となっているといいます。
「……そうですか。彼らが蒔いた種が、あなたの代でそれほどまでに大きな森になったのですね。ヴィンス殿は不器用でしたが、一度信じたものは守り通す人でした。カイル殿は繊細でしたが、誰よりも人の心の痛みがわかる人でした。……彼らの弱さこそが、今のこの街の優しさを創ったのですよ」
終は鞄から、かつての現世で大切にしていた、今は亜神の魔力が宿る小さな琥珀の守りを取り出し、レオに手渡しました。
「これは、かつて私が旅の途中で預かった、多くの魂の『納得』が詰まったものです。これを持って帰りなさい。あなたが、あるいはあなたの後の者が、重圧に負けそうになった時、これがあなたの心を正しき均衡に導いてくれるでしょう」
レオが琥珀の守りを受け取ると、終の姿は春の夕霧のように、ゆっくりと透明に透けていきました。
「葬儀屋様、また……いつかお会いできるでしょうか」
「ええ。すべての命には、必ず最後の一行が必要ですから。……その時まで、あなたはあなたの物語を、精一杯、美しく綴りなさい。次に会う時は、私が最高の式場を整えて、あなたを称えましょう」
レオが丘を下りていく背中を見送りながら、終は再び若木に背を預けました。
案内役の小鳥が、その肩に止まり、誇らしげに羽を広げます。
「……一〇二年と数百年の月日。……やはり、私の仕事に終わりは来ないようですね」
終が銀の杖でリズムを刻むと、聖域全体に清らかな白百合の香りが広がりました。
死は終わりではなく、次代へ繋ぐバトン。
一〇二年の心を宿した青年は、新世界の夕焼けを見つめながら、穏やかな眠りへと落ちていきました。
その傍らでは、銀の杖が静かに、しかし力強く、新しい世界の「生」を支え続けていました。




