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百二歳で大往生した葬儀屋、異世界で亜神として二度目の人生を始める〜最強葬儀屋、銀の杖で世界を安らぎの葬送に染め上げる〜  作者: 榎木丈


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白銀の残響と、新しき翼の目覚め

 かつて死の冷気と孤独に閉ざされていた霊峰アイギスは、今や新世界において最も生命力に溢れる聖域へと変貌を遂げていた。山頂付近を覆っていた絶対零度の猛吹雪は止み、代わりに水晶のように透き通った雲が、穏やかな風に乗って山肌を撫でている。

 結城終ゆうき つぐむは、黒い外套をなびかせ、慣れた足取りでその頂を目指していた。一〇二年の人生を現世で全うした彼にとって、数百年前の弔いの記憶は、つい昨日の出来事のように鮮明である。


「……龍神様が山そのものに還ったことで、これほどまでに豊かな命が芽吹くとは。葬儀屋冥利に尽きる光景ですね」


 終が歩む道筋には、かつてアルビオンの涙から生まれたとされる睡蓮が、今も枯れることなく咲き誇っている。その一輪一輪が、かつての老龍が持っていた「世界への慈しみ」を象徴しているかのようだった。終は銀の杖を深く雪に突き立て、かつての氷の神殿跡に辿り着いた。

 そこには、かつてのような巨大な四肢や銀色の鱗は存在しない。代わりに、神殿の跡地には、陽光が氷の柱に反射して虹色の輝きを放つ、美しい庭園のような広場が広がっていた。終はその広場の中央で、一人の少年が座り込んでいるのを見つけた。


 銀色の髪を短く切り揃え、背中には光に透けるような半透明の翼の萌芽ほうがを持つ少年。彼は一心不乱に地面の雪を固め、かつての龍の姿に似た小さな雪像を作っていた。終はその姿に、かつての千年の孤独を耐え抜いた老龍の、あまりに純粋な「魂の核」を見出した。

 終は静かに帽子を取り、一礼した。

「おやおや、見事な造形ですね。……ですが、その瞳の色は、もう少し深い群青ぐんじょうでしたよ」


 少年が弾かれたように顔を上げた。その瞳は、まさに終が指摘した通り、深海のような蒼さを湛えていた。それは、かつてアルビオンが最期に見せた、救済への感謝の色そのものであった。


「……お兄さん、だれ? ここは、僕しか知らないはずの場所なんだ。勝手に入ってきちゃダメだよ」


 少年の声は、澄んだ鈴の音のように響いた。かつての地鳴りのような咆哮とは似ても似つかぬものだが、その響きの根底にある「純真さ」は、終の記憶にあるものと一致していた。少年は警戒するように翼を微かに震わせ、終の手元にある銀の杖を凝視した。

 終は穏やかに微笑み、鞄の奥深くから、数百年間大切に保管していた白銀の宝珠(ほうじゅ)を取り出した。


「私はただの葬儀屋です。……かつて、この場所で、一人の偉大な守護者の旅立ちをお手伝いしました。これは、その時に彼から預かった、世界への愛着の形ですよ」


 終が宝珠に魔力を通すと、純白の結晶は眩い光を放ち、周囲の空気を温かく震わせた。少年の瞳が驚愕に見開かれ、彼は磁石に吸い寄せられるように、一歩、また一歩と終へ近づいた。

 宝珠から溢れ出したのは、アルビオンが数千年かけて見守ってきた世界の四季の記憶、そして終が授けた「安らかな眠り」の感触だった。少年の脳裏に、かつて自分が巨大な翼を広げて空を舞い、人々を守り、そして最期に一人の葬儀屋にすべてを託して光に溶けた光景が、陽炎のように浮かび上がった。


「……これ、知ってる。……あったかい。……僕が生まれる前から、ずっと探していた、欠けていた心の一部だ」


 少年が宝珠に指を触れた瞬間、宝珠は粒子となって彼の胸の中に吸い込まれていった。同時に、少年の背中の翼が大きく広がり、銀色の輝きが神殿全体を包み込んだ。

「あなたはもう、独りで重荷を背負う必要はありません。……かつてのあなたが山そのものになったからこそ、今のあなたはこうして、自由な翼を持って新しく生まれることができたのです」


 終の言葉に、少年の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。それは悲しみではなく、あまりに長い年月を経てようやく「自分自身」を許すことができた、魂の歓喜かんきであった。


 少年は、自らの内に戻ってきた記憶と対話するように、しばらく目を閉じて立ち尽くしていた。

 彼の魂は、もはや死を恐れる怪物でも、世界を道連れにしようとする孤独な神でもなかった。彼は、終が整えた「正しい葬儀」を経て、正しく「生」をやり直す機会を得た、祝福された存在であった。


「……葬儀屋のお兄さん。僕、思い出したよ。……あなたが、僕をあんなに優しく眠らせてくれたこと。……独りぼっちだった僕に、『お疲れ様』って言ってくれたこと」


 少年は、かつてのアルビオンと同じ、気高くも慈愛に満ちた礼法で、終に向かって深く頭を下げた。

「僕は、もう怯えない。この山も、風も、全部僕なんだって、今ならわかるから。……僕はこれから、この翼で世界を見て回るつもりだよ。あなたが教えてくれた、美しい『物語』の続きを、僕自身の目で見つけるために」


 終はその姿を、孫の成長を見守る老人のような、温かな眼差しで見つめていた。一〇二年の知恵を持つ彼にとって、これほど誇らしい瞬間はない。自らが執り行った葬儀が、単なる「終わり」ではなく、これほどまでに瑞々しい「始まり」の苗床となったのだから。


「ええ、それが良いでしょう。……もし旅の途中で、また少しだけ『最後の一行』に迷うことがあれば、いつでも私の元へいらっしゃい。……葬儀屋の店は、いつでもあなたのための茶菓子ちゃがしを用意しておきましょう」


 終が銀の杖を軽く振ると、少年の周りに、黄金の睡蓮の花弁が舞い上がった。少年はその花びらと戯れるように、軽やかに空へと飛び上がった。かつての重苦しい巨体ではなく、羽毛よりも軽い、自由な命の飛翔。

 霊峰アイギスの頂には、もはや孤独の影はない。そこにあるのは、過去を尊び、未来を言祝ぐ、葬儀屋と古龍の絆の証であった。


 終は空に消えていく銀色の光を最後まで見送り、満足げに帽子を被り直した。


 二十歳の身体に一〇二年の達観を宿した青年は、春の予感に満ちた霊峰を、軽やかな足取りで下りていった。彼の葬送の旅は、いつしか「新しい命」を言祝ぐ巡礼へと、その姿を変え始めていた。

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