砂塵の誓いと、凱旋のオアシス
かつて、命を奪うことのみを目的とした「死の迷宮」が口を開けていた大砂漠アマル。しかし現在のそこは、結城 終の手によって執り行われた、古代軍団の合同葬儀を機に、信じがたい変貌を遂げていた。
地平線の彼方まで続いていた死の砂海は、今や迷宮の跡地を中心に広大な「凱旋のオアシス」となり、その周囲には豊かな緑と、かつての軍旗を彷彿とさせる鮮やかな花々が咲き乱れている。
終は、かつての現世で酷暑の日の法要に用いた麻の外套を羽織り、銀の杖を突いて砂丘を越えた。彼の足元には、数百年前に彼が流した「忘却の泉」の支流が、細い銀の糸のように流れている。
「……死が正しく土に還れば、これほどまでに豊かな命の苗床になる。葬儀屋として、これに勝る景色はありませんね」
終がオアシスの中心へと近づくと、そこには褐色の肌に白い布を巻いた、屈強な守護者たちの集落があった。彼らはハザム将軍率いる第一軍団が土に還った際、その強固な「忠義」と「守護の意志」が、終の聖域の魔力と混ざり合って誕生した、砂漠の精霊に近い人間たちである。
彼らは代々、このオアシスを訪れる旅人を守り、喉を潤すことを自らの誇りとしていた。終の姿を見つけるなり、見張り台にいた一人の若者が、かつての軍団の突撃合図に似た、しかしどこか晴れやかな笛を吹いた。
集落の中から現れたのは、ひときわ背が高く、ハザム将軍と同じ鋭い眼光を持つ老戦士であった。彼は終の姿を見るなり、信じられないものを見たという顔で立ち尽くし、やがてその場に跪いた。
「……その銀の杖、そして慈愛に満ちた眼差し。まさか、わが一族に伝わる創生の伝説に語られる『葬儀屋』様でいらっしゃいますか」
終は穏やかに微笑み、かつての葬儀で用いた数珠を指先で回した。
「おやおや、伝説とは少々大袈裟ですね。私はただ、かつての戦友たちが無事に眠りにつけたかどうか、確認しに来ただけですよ」
老戦士の名はガザム。彼はハザム将軍の魂の欠片を最も濃く受け継ぐ、一族の長であった。終は集落の広場へと招かれ、そこで最高級の果実と、清らかな泉の水でもてなされた。
広場の中央には、かつて終が浄化した迷宮の残石で作られた巨大な石碑が建っている。そこには、第一軍団に所属した全兵士の名が、一文字も欠けることなく刻まれていた。
「我らは、死を恐れません。死とは、このオアシスの水を守るための礎になることだと、葬儀屋様が教えてくださったからです。……我らの一族には、ハザム将軍が最期に残したとされる言葉が伝わっております。『喉の渇きは癒えた。これからは、他者の渇きを癒やす盾となれ』と」
ガザムが語る言葉を聞き、終は胸の奥が熱くなるのを感じた。一〇二年の人生で、多くの遺訓を見届けてきたが、これほどまでに美しく昇華された「死の教訓」は稀である。
終は鞄から、かつてハザムの兜の破片から作り直した、小さな銀鈴を取り出した。それを石碑の前に置くと、鈴は風もないのに清らかな音色で鳴り響いた。
「ハザム将軍。あなたの忠義は、もはや呪縛ではありません。こうして、多くの命を潤す『慈悲』へと形を変えたのです」
終が銀の杖を軽く地面に突くと、オアシスの泉が黄金の光を放ち、水面から無数の光の粒子が立ち昇った。それは、かつてこの地で眠りについた数千の兵士たちの残照であった。
かつての骸骨兵のような殺伐とした気配は微塵もない。彼らは、子孫たちが笑い合い、水を分かち合う姿を見て、満足げに風の中に溶けていく。ガザムをはじめとする守護者たちは、その光景を涙ながらに見守り、かつての第一軍団の礼法で、終に向かって一斉に敬礼を捧げた。
「葬儀屋様。……貴殿が我らの祖先に与えてくれたのは、単なる死ではありません。……それは、『生』という名の希望だったのですね」
一〇二年の智慧を持つ終は、その敬礼を、かつての現世で門下生を送り出す時のような、厳かな一礼で受け止めた。
宴もたけなわとなり、砂漠の空に満天の星々が輝き始める頃、終は集落の端にある静かな砂丘に一人で立っていた。
背後からは、守護者たちが歌う力強い挽歌が聞こえてくる。それは死を悲しむ歌ではなく、命のバトンを繋ぐことを誇る、生命の賛歌であった。
終の隣には、いつの間にか案内役の小鳥が降り立ち、彼の外套を突いていた。
「……ハザム殿。見ていますか。あなたが守りたかったのは、石造りの古い墓ではなく、この瑞々しい命の営みだったはずです」
終が独りごちると、夜風が砂を巻き上げ、一瞬だけ、鎧を纏った巨大な戦士の影が彼の隣に並んだように見えた。その影は、かつての迷宮での苦悶に満ちた姿ではなく、任務を完遂した将軍としての、晴れやかな背中をしていた。
将軍の影は、終に向かって静かに拳を胸に当て、そして砂塵となって夜の彼方へと消えていった。
「……お疲れ様でした、将軍。あなたの葬儀は、今度こそ本当に、完璧に終わりましたよ」
終は銀の杖を鞄に仕舞い、レオからもらった白百合の香りを一滴だけ、砂漠の風に放った。白百合の香りと砂漠の夜気が混ざり合い、この地は二度と渇くことのない「永遠のオアシス」として、新世界の理に深く刻まれた。
翌朝、終が旅立とうとすると、集落の子供たちが彼の周りに集まり、手作りの砂の宝石を手渡してきた。それは、この地の魔力が凝縮された、旅路を守るための護符であった。
「お兄ちゃん、また来てね! 私たちが、このお水を守っておくから!」
「ええ、必ず。……あなたがたが美しく人生を書き終える頃に、また最高の式場を用意して伺いましょう」
終は帽子を直し、朝日が昇る地平線へと歩み出した。
一〇二年の心を宿した青年は、背後に残る豊かなオアシスの活気を胸に、次なる、そして最後かもしれない再会の地へと向かう。
砂漠に刻まれた足跡は、かつてのように虚無に消えることはない。それは新しい世界に芽吹く、希望の轍となって長く、美しく伸びていった。
二十歳の身体に、一〇二年の達観を宿した葬儀屋。
彼の旅は、死を祝祭に変え、絶望を未来へ繋ぐ巡礼として、この世界の隅々にまで安らぎを届けていく。




