黄金の芽吹きと、精霊の最初の一歩
かつて、死を拒む精霊の恐怖によって黒く腐食し、絶望の澱みが支配していた「聖樹の墓場」。しかし現在のそこは、新世界において最も純粋な魔力が湧き出る「始まりの森」へと、その姿を劇的に変えていた。かつて終が聖域を広げ、精霊の魂を解き放った際、その膨大な魔力は破壊ではなく「再生」のエネルギーとして大地に還元されたのである。
結城 終は、かつて現世で格式高い山修験の葬儀に用いた、深い緑を帯びた外套を羽織り、銀の杖で柔らかな苔を踏みしめていた。
「……呼吸がしやすい。森が自らの死を受け入れ、循環の一部となったことで、これほどまでに澄んだ空気が生まれるのですね」
一〇二年の人生を全うした終にとって、この森の変貌は、自らが執り行った葬儀の中でも一際感慨深いものだった。歩を進めるごとに、周囲の木々が彼を歓迎するように枝を揺らす。それはかつての敵意に満ちた攻撃ではなく、古き知己を労うような優しい囁きであった。
終がたどり着いたのは、かつて巨大な聖樹が聳え立っていた場所。そこには、あの日終が見守る中で芽吹いた「黄金の若木」が、数百年を経て立派な大樹へと成長し、周囲の森の核として神聖な光を放っていた。
若木の根元には、色とりどりの名もなき花々が咲き乱れ、その中央に、一人の少女が膝を抱えて座っていた。透き通るような緑の髪、朝露のように瑞々しい肌。彼女はあの日、終の腕の中で光へと溶けていった精霊の、正しき転生体であった。
終は静かに帽子を取り、若木の傍らに立った。
「おやおや、素晴らしい成長ですね。……これならば、もう『暗闇が怖い』と泣く必要はありませんよ」
少女がゆっくりと顔を上げた。その瞳には、かつての絶望の色はなく、新世界の青空をそのまま映し取ったような、輝かしい生命の光が宿っていた。
「……あ、貴方は……。夢の中で、いつも私の手を引いてくれた、黒い服の人?」
少女の声は、春の小川のせせらぎのように清らかだった。彼女の中には、かつての原初の精霊としての強大な権能は残っていない。今の彼女は、ただ森を守り、森に愛される、一人の純粋な精霊であった。しかし、魂の奥底に刻まれた「安らぎ」の記憶だけは、数百年の時を超えて、彼女をこの場所へと繋ぎ止めていたのだ。
終は微笑み、鞄から一粒の「黄金の種子」を取り出した。それはあの日、精霊を送り出した際に、彼女が感謝の印として終の外套に遺していったものだ。
「これはあなたの忘れ物ですよ。……かつてのあなたが、次の自分へと託した『勇気』の欠片です」
終が種子を少女の手のひらに載せると、種子は淡い光を放ち、彼女の身体へと溶け込んでいった。その瞬間、少女の脳裏に、かつて自分が世界を壊そうとした愚かさと、それを一人の葬儀屋がどれほどの慈悲を持って救い上げたかという記憶が、温かな物語として流れ込んでいった。
彼女は自分がかつて「世界そのもの」であったことを思い出し、そして同時に、今の自分は「世界の一部」として愛されていることを確信した。
「……思い出したわ。私、ずっと謝りたかったの。……怖くて、独りぼっちになりたくなくて、みんなを困らせてしまったこと。……そして、そんな私を、あんなに綺麗に飾ってくれたこと」
少女は終の手をそっと握った。二十歳の瑞々しい肌の感触を通じて、一〇二年の重厚な魂の重みが彼女に伝わる。
「葬儀屋様。……私、今はもう、明日が来るのが怖くないわ。……私がいつか、またあの木のように枯れる日が来ても、貴方がまた、綺麗に送ってくれるって信じているから」
終は少年のように目を細め、彼女の頭を優しく撫でた。
「ええ、約束しましょう。ですが、次に私を呼ぶのは、あと数千年先にしていただきたい。……今のあなたが綴る物語は、まだ最初の一行を書き終えたばかりなのですから」
少女は立ち上がり、黄金の若木の幹にそっと耳を寄せた。そこからは、森全体の、そして世界全体の穏やかな心音が聞こえてくる。もはや肥大化した魔力が暴走することはない。命は生まれ、育ち、そして正しく朽ちて、次の命へと繋がっていく。
「葬儀屋様。私、この森を出て、世界を見てみたい。……貴方が見せてくれたあの星空の下に、どんな命が芽吹いているのか、この目で確かめたいの」
精霊が「移動する」ということは、かつての世界では考えられないことだった。だが、今の彼女は自由だった。彼女が歩けば、その足元から新しい花が咲き、彼女が笑えば、風が歌を運ぶ。
終は銀の杖を掲げ、具現化の儀を用いて、彼女の足元に光の道を敷いた。
「素晴らしい決意です。……死を恐れぬ者にのみ、真の『自由』は与えられます。……さあ、行きなさい。あなたが歩む道すべてが、この世界の新しい福音となるでしょう」
少女は終に向かって、最高に輝かしい笑顔を見せ、森の奥へと駆け出していった。彼女の背後では、黄金の若木が誇らしげに枝を揺らし、新世界の夜明けを祝福していた。
終はその背中が見えなくなるまで見守り、やがて静かに、手元の帳面に新しい一筆を加えた。
『原初の精霊、改め、始まりの少女。……彼女の物語の第二章は、今、燦然たる光の中で幕を開けた』
案内役の小鳥が終の肩に止まり、満足げに羽を整える。
一〇二年の知恵と二十歳の肉体を持つ葬儀屋。
彼の仕事は、単に魂を見送ることではない。その魂が、次の生でより美しく輝けるように、最高の「舞台」を整えることなのだ。
終は銀の杖を軽やかに回し、新緑の香りが満ちる森を後にした。
彼の旅路には、いつだって「終わり」がある。
しかしその終わりは、常に、愛おしい「始まり」への扉であった。




