朽ちゆく世界の心音
水の都レノーアに「正しき死」と「流れる時間」を取り戻した結城 終は、案内役の光の玉に導かれ、大陸の最南東に位置する禁忌の領域――聖樹の青暗い森へと足を踏み入れていた。
そこは、この世界のあらゆる生命の源流とされる場所であり、本来ならば力強い生命の脈動が溢れているはずの聖域である。しかし、終の鼻を突いたのは、甘ったるく、それでいて内側から腐爛していくような、逃れようのない「滅び」の予兆であった。
「……森が泣いていますね。それも、悲しみではなく、耐え難い倦怠と、終わりのない苦痛のために」
終は鞄から、かつての現世で執り行った、樹齢数千年の御神木を伐採する際のお祓いで用いた、清浄な注連縄と打掛を取り出した。一〇二年の人生において、彼は人だけでなく、土地や植物の「終わり」にも向き合ってきた。その経験が、今の終に冷徹なまでの洞察を与えている。亜神としての肉体は瑞々しいが、その足取りは、幾千もの別れを見届けてきた老人のように、深く、重い。
森の奥へ進むほど、樹木は歪な形にねじれ、葉は宝石のように硬化して光を失っていた。案内役の光の玉は、怯えるように終の肩に寄り添い、微かな震えと共に囁いた。
『……終、気をつけて。この奥にいる「彼女」は、この世界が生まれる前から生きている原初の精霊なんだ。でも、彼女は自分の死という概念を理解できずに、肥大化した自己の魔力で、森ごと、世界ごと、自分を永久に閉じ込めようとしている』
「死を理解できないのではなく、認めるのが怖いのでしょう。一〇二年生きた私でさえ、死の直前には一瞬の躊躇がありました。ましてや、世界そのものと一体化した存在であれば、その恐怖は想像を絶する」
終の目の前に、天を覆い尽くすほどの巨大な巨樹が現れた。それが聖樹であった。しかし、その幹は黒く変色し、根は大地を貪欲に喰らい、周囲の草木から活力を吸い上げて、無理やり自らの存在を維持していた。聖樹は、自らの死を拒むあまり、世界を道連れに心中しようとする「哀れな独裁者」に成り果てていた。
終は銀の杖を静かに地面に突いた。その瞬間、森全体の時間が一瞬だけ止まったかのような錯覚を覚える。
「……さて。これほど巨大な葬儀は、さすがの私も初めてです。ですが、安心しなさい。どのような大樹であれ、最後は土に還り、新しい芽を育むのが摂理ですから」
終の瞳には、巨樹の幹の中に閉じ込められ、胎児のように丸まって震えている、一人の少女の姿をした精霊の魂が映っていた。




