パンツスタイル
あの甘い夜から、僕の中で何かが決定的に変わった。
彼女への愛と、彼女を縛るこの世界の身分の壁を、僕の服で、僕の事業でぶち壊したいという強烈な野心。そして、デザイナーとしての飽くなき情熱。
その二つの欲が、僕の中で激しく、複雑に絡み合い、僕の指先からはかつてないほど革新的で、挑発的なデザインが次々と生み出されていった。
女性のパンツスタイルも、その一つだった。
この時代、淑女はドレス
の下にドロワーズを穿くことはあっても、足のラインが出るパンツ(ズボン)を穿くなど、異端中の異端。はしたなく、野蛮な男装とされていた。
だが、僕は知っている。彼女が騎士団長として鎧の下に穿いている、機能的な革のパンツの動きやすさを。
そして、彼女が時折こぼす、「ドレスは窮屈で、剣も満足に振るえぬ」という嘆きを。
(彼女を、もっと自由にしたい。彼女が少しでも動きやすく、楽に、それでいて誰よりもオシャレに過ごせる服を作りたい……!)
僕のその想いが、女性用のタキシード「スモーキング・ジャケット」をオートクチュールとして形にしたのだ。
しなやかな最高級のウールを使い、女性の凛とした身体のラインを際立たせるカッティング。
そして、動きやすさを追求した、流麗なシルエットのパンツ。
だが、王都の古い慣習に縛られた人々は、まだこの「革命」を受け入れる準備ができていなかった。
王都で公爵夫人のサロンに次ぐ勢力を持つとされる、侯爵夫人のサロン「白百合の会」。
そこは、保守的な古い貴族たちの溜まり場であり、王太子の無能さを擁護する勢力の中心でもあった。
王太子絡みのしがらみで、サロンの晩餐会に招待されたというレオノーラ様がどのような扱われ方をするか、胸を騒がせていた。
レオノーラ様は、僕が仕立てた「スモーキング・ジャケット」のパンツスーツスタイルで、よりによって政敵とも言える侯爵夫人のサロンへ向かったのだ。
それは、彼女の長い脚と凛とした背筋を強調する、白馬の騎士のように美しい姿だった。
しかし、サロンの入り口で、彼女は立ち塞がった侯爵夫人に、入場を拒否されたという。
「まあ、レオノーラ公爵令嬢。そのお姿は……一体何事ですの?」
侯爵夫人は、扇で口元を隠しながらも、その瞳には明らかな嫌悪と嘲笑を滲ませていた。
「ここは淑女が集う、格式高いサロンですわ。パンツスタイルの女性など、はしたなくてお通しすることはできません。お引き取りくださいませ」
周囲の貴族たちからも、ヒソヒソと陰口や、あからさまな侮蔑の視線が向けられる。
かつてのレオノーラ様なら、その場に留まることに忸怩たる思いを抱きながら、静かに踵を返していただろう。
だが、あの日を境に、彼女の心にも、僕と同じ「革命」の灯が灯っていた。
(アッシュが、私のために作った服だ。この国の古い常識など、彼の前では塵に等しい……!)
レオノーラ様は、微塵も動じず、ただ堂々と、侯爵夫人をその紫水晶の瞳で見下ろした。
「侯爵夫人。パンツが、問題なのですか?」
「ええ、当然ですわ。淑女はスカートを着るもの。それがこのサロンの……いえ、社交界の常識ですわ」
侯爵夫人の言葉を、レオノーラ様は待っていた。
彼女は、公爵令嬢としての矜持と、アッシュの服への絶対的な信頼を持って、その場で誰もが予想もしなかった「機転」を利かせたのだ。
「……そうですか。ならば、問題はありません」
彼女は、そう言うと、躊躇なく、そして迷いなく、腰のベルトに手をかけ、その場で堂々とパンツを脱ぎ捨てたのだ。
「ひ……!」
「な……!!」
サロンの入り口は、悲鳴と驚愕の渦に包まれた。
だが、次の瞬間、全員がその場に石のように硬直した。
パンツを脱ぎ捨てたレオノーラ様の姿。
彼女が纏っていた「スモーキング・ジャケット」は、僕が女性向けにデザインした際、彼女の長身に合わせて丈を長めに設定していた。
パンツがなくなった瞬間、そのジャケットは、膝丈のコートドレスのように、彼女のしなやかで、引き締まった脚を大胆に、しかし気高く露出させていたのだ。
脱ぎ捨てたパンツの下には、僕は彼女のために用意していた、最高級のシルクのタイツが、その脚のラインを完璧に美しく彩っていた。
「……これで、スカートですわね、侯爵夫人」
レオノーラ様は、優雅に、かつ挑発的にスカートの裾(ジャケットの裾)を摘み、完璧なカーテシーを執ってみせた。
「パンツは脱ぎましたわ。これで、淑女として、このサロンに入る資格はありますでしょう?」
「あっ……う、あ……」
侯爵夫人は、言葉を失った。
パンツを脱いだ以上、「パンツスタイルの女性はお断り」という論理は通用しない。
だが、その大胆な行動と、何よりそのジャケットをドレスとして着こなした彼女の、息を呑むような美しさと凛とした姿に、反論することすらできなかったのだ。
「……では、失礼いたしますわ」
レオノーラ様は、唖然として立ち尽くす侯爵夫人と、静まり返った群衆を置いて、堂々と、かつ優雅にサロンへと足を踏み入れた。
その背中は、この上なく気高く、そして自由に見えた。
「……あの人は……!」
工房で、公爵家の使いから噂を聞いた僕は、驚愕のあまり、持っていた鋏を床に取り落とした。
その場でパンツを脱ぐ? 侯爵夫人のサロンで?
なんて、大胆で、情熱的で……そして、なんて素晴らしい機転なんだ!
僕の作った服を、彼女は自分の機転で、新しい美しさに昇華させた。
「……ふふっ、あはははは!」
僕は、愛おしさが込み上げて、その場に座り込んで爆笑した。
彼女のその行動は、古い常識への痛快な反撃であり、僕の服作りへの最高の答えだった。
そして、笑いながら、僕はハッと気づいた。
(彼女がジャケットをドレスとして着こなした……? コートドレス……ジャケットドレス……?)
彼女の大胆な行動は、僕にデザイナーとしての新しい、そして強力なインスピレーションを与えてくれたのだ。
女性のパンツスタイルは、まだ時期尚早かもしれない。
だが、ジャケットをミニドレス(コートドレス)のように着こなすという発想は、この国の古い慣習を、エレガントに、かつ挑発的に打ち破る、新しいモードになる……!
「……レオノーラ様、ありがとうございます。あなたは、僕の最高のミューズであり、パートナーだ」
僕は立ち上がり、床に落ちた鋏を拾い上げると、まだ熱を帯びた瞳で、新しいスケッチブックを手に取った。
彼女が愛おしくて、彼女の機転が素晴らしくて、そして、新しい服を作りたいという欲求が、もう止まらなかった。
彼女の機転が、王都の古い常識を脱ぎ捨てたられた夜。
僕のアトリエでは、二人の愛と情熱が絡み合った、さらなる「革命」の幕開けとなる、新しいドレスのデザインが描かれようとしていた。
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