レオノーラ.ボブ
王太子派の連中は、僕たちの生み出す新しい波に追い詰められ、ついに卑劣な実力行使に出た。
標的は僕の工房ではなく、僕のミューズであり、彼らのちっぽけなプライドを最も刺激する存在——レオノーラ様だった。
ある日の午後。彼女が義理で顔を出した保守派貴族のサロンで、不自然なボヤ騒ぎが起きた。
給仕が意図的に燭台を倒したのだ。幸い怪我人は出なかったものの、燃え移った炎は、レオノーラ様の長く美しい髪の毛先を無残に焦がしてしまった。
髪は女の命。それがこの世界の絶対的な常識だ。
ましてや未婚の公爵令嬢が髪を焼かれるなど、公の場に出られなくなるほどの致命的なスキャンダルであり、普通の令嬢であれば泣き崩れ、絶望して屋敷に引きこもっていただろう。
王太子派の狙いもそこにあった。彼女の誇りを傷つけ、社交界から引きずり下ろすこと。
その夜、僕は招待されていた王立オペラ座のボックス席で、胸をかきむしられるような思いで事の次第を聞き、彼女の到着を待っていた。
「今日はもう、いらっしゃらないかもしれない……」
そう諦めかけた、開演直前のことだった。
ざわめいていた豪奢な劇場が、まるで魔法をかけられたように、水を打ったような静寂に包まれた。
オペラ座の豪奢な大階段の上。
光を浴びて現れたその姿を見た瞬間、僕は心臓を鷲掴みにされたように息を呑んだ。
そこに立っていたレオノーラ様は、焦げた髪を帽子やベールで隠すことすらしていなかった。
彼女はボヤ騒ぎの後、サロンの控室で自らの護身用の短剣を抜き、なんと耳の下の高さで、焦げた髪ごとためらうことなくバッサリと切り落としてきたのだ。
露わになった、白鳥のように長くしなやかな首筋。
顎のラインで切り揃えられた斬新なショートヘア——前世の記憶でいう『ボブカット』は、彼女の彫りの深い端正な顔立ちと、涼やかな紫水晶の瞳を、かつてないほど鮮烈に際立たせていた。
彼女は周囲の驚愕の視線など一瞥もせず、僕が仕立てた真紅のシルクドレスを翻し、堂々と、この世界で最も気高い生き物のように大階段を降りてきた。
その瞳には、どんな卑劣な炎でも決して燃やし尽くすことのできない、不屈の魂が宿っていた。
ボックス席に辿り着いた彼女は、呆然とする僕を見て、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
「……似合わなかっただろうか、アッシュ」
「……いいえ。息が止まるほど、美しいです」
僕の言葉は、決して贔屓目ではなかった。
翌日から、王都の景色は魔法にかかったように一変したのだ。
オペラ座で彼女の圧倒的なカリスマ性を目の当たりにした令嬢や貴婦人たちが、こぞって自分の長い髪を切り落とし始めたのである。
重い髪を切り捨て、軽やかに街を歩く女性たち。
『レオノーラ・ボブ』と名付けられたその短い髪型は、古い因習からの解放を象徴する、一大トレンドとして王都を席巻していった。
アトリエの窓から、ボブカットにして楽しそうに笑い合う女性たちを見下ろしながら、僕の胸には静かで、しかしマグマのような熱い炎が燃え上がっていた。
(……僕も、負けるわけにはいかない)
彼女は自らの身体を張り、その圧倒的な存在感で、この国の古い常識を次々と打ち壊している。
僕の愛する人は、誰よりも勇敢に、最前線で戦っているのだ。
ならば、僕は僕の武器で戦うまでだ。
短い髪になったことで露わになった女性の美しい首元や肩のライン。
それを最も魅力的に見せるための、新しいスタンドカラーや、大胆なデコルテのカットアウト。
髪が軽くなった分、服のシルエットはもっと自由に、もっとアバンギャルドに攻められるはずだ。
「さあ、見せてやろう。王太子派の連中が、二度と手出ししようと思えなくなるほどの、圧倒的な美の世界を」
僕は新しいスケッチブックを勢いよく開き、ペンを走らせた。
僕の才能を愛し、僕の服を誰よりも美しく着こなしてくれる彼女のために。そして、彼女の隣に堂々と立てる、ただ一人の男になるために。
アッシュとしての僕のデザイナー魂は、かつてないほどの熱量で激しく燃え盛っていた。
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