リトル・ブラック
喪服の色。死と悲しみを象徴する忌まわしい色。
それが、この王都における「黒」という色の絶対的な定義だった。公式な夜会や華やかなサロンに黒い服を着ていくことなど、正気の沙汰ではないと誰もが信じて疑わなかった。
しかし、自ら髪を切り落とし、軽やかなボブカットとなったレオノーラ様の透き通るような白い肌と、涼やかな紫水晶の瞳を見たとき。僕の脳裏には、前世の記憶と共に強烈なインスピレーションが閃いたのだ。
過剰な装飾も、息を詰まらせる極彩色もいらない。彼女の持つ本質的な美しさを、骨格の美しさを、最も純粋に引き出すための服。
僕は王都中の問屋から最高級の黒いシルクを買い占め、極限まで無駄を削ぎ落とした膝下丈のシンプルなドレスを仕立て上げた。
のちに世界中の女性のクローゼットを支配することになる、「リトル・ブラック・ドレス」の誕生だった。
初めてそのドレスに袖を通したとき、さすがのレオノーラ様も戸惑いを隠せない様子だった。姿見の前で、彼女は少しだけ不安そうに僕を振り返った。
「アッシュ……美しいシルエットだが、これは喪服の色ではないのか? 私がこれを着て夜会に出れば、またお前のブランドが保守派に非難されるのでは……」
僕は静かに首を振り、彼女の細く引き締まった肩にそっと手を置いた。鏡越しに、二人の視線が交差する。
「黒は、すべてを包み込む色です。白も同じ。この2色は絶対的な美しさであり、完璧なハーモニーを奏でる」
僕は、デザイナーとしての確信と、彼女への深い愛を込めて告げた。
「悲しみに沈むための色ではありません。何ものにも染まらない、圧倒的な意志とエレガンスの象徴です。今のあなた以上に、この黒を着こなせる女性は世界中どこを探してもいません」
僕の言葉に、彼女はスッと背筋を伸ばした。迷いは消え、その瞳には凛とした騎士の誇りと、僕への絶対的な信頼が宿っていた。
その週末の夜会。
花壇のようにパステルカラーのドレスで着飾った貴婦人たちの群れの中に、漆黒の「リトル・ブラック・ドレス」を纏ったレオノーラ様が現れた瞬間、会場の空気は一変した。
装飾を削ぎ落とした黒は、彼女の首筋の白さと、唇に引かれた真紅の紅を、残酷なほど鮮烈に際立たせていた。誰よりもシンプルでありながら、誰よりも圧倒的で、気高い。
その夜、王都における「黒」の意味は、死と悲しみから『エレガンス』へと、完全に再定義されたのだった。
またしても彼女が巻き起こしたセンセーションは凄まじかった。
僕がプレタポルテのラインナップに「リトル・ブラック・ドレス」を追加するや否や、王都中の女性たちがこぞって黒を身に纏い始めた。
街角は、シックで洗練された黒のドレスを着て、軽やかなボブカットを揺らす女性たちで溢れかえった。
僕たちの起こしたファッションの風は、もはや古い貴族たちや王太子派の嫌がらせなど足元にも及ばないほどの、巨大な嵐となっていた。
そして、ついにその日が訪れた。
よく晴れた朝。
僕のアトリエの前に、王家直属の近衛騎士団に護衛された、ひときわ豪奢な馬車が止まったのだ。
周囲の平民たちがどよめき、職人たちが青ざめて道を開ける中、店に足を踏み入れたのは王宮の女官長だった。
彼女は恭しく僕の前に進み出ると、王家の紋章が刻印された分厚い封蝋の手紙を差し出した。
「仕立て屋、アッシュ。貴殿の生み出す革新的な美と、王都にもたらした活気は、王宮の奥深くにまで届いております」
静まり返る店内。僕はごくりと息を呑み、震える手でその書状を受け取った。
「我が国の王妃陛下からの直々の命です。来たる外交式典に向けて、陛下のドレスを貴殿に仕立てていただきたい、と」
それは、紛れもない勝利の宣告だった。
一介の平民の仕立て屋が、身分制度の頂点に立つ王妃にその実力を認められ、国を代表するドレスの製作を任されたのだ。
王太子の浅薄な嫌がらせなど、王妃陛下のこの一通の書状によって、完全に無力化されたことを意味していた。
「……謹んで、お受けいたします」
深く頭を下げる僕の視界の端で、打ち合わせに来ていたレオノーラ様が、誇らしげに、そして少しだけ涙ぐむように微笑んでくれているのが見えた。
平民の仕立て屋と、公爵令嬢。
遠く見上げていた彼女の隣に堂々と立つための、最後にして最大の扉が、今、僕の目の前で開かれようとしていた。
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