大人の魅力
それからも、ゲルムは調査を続けた。
だが。
新しい情報は、何も出てこなかった。
女性についても。
その夫についても。
調べられるものは、ほとんど調べた。
「……これ以上は難しいな。」
「はい。」
部下も頷く。
ノアが、あの女性から何を得ようとしていたのか。
結局、分からないままだった。
もし、ノア自身が既に調べ。
それでもなお、直接接触する必要があったのなら。
自分たちが、外から調べ続けたところで、簡単に見つかるものではないのだろう。
「仕方ない。」
ゲルムは資料を閉じた。
「もう一度、接触する。」
「ノアにですか?」
「あぁ。」
ここまで来れば、調査を続けるだけでは、先へ進まない。
それに、目的は、ノアの正体を暴くことではない。
ビヨンド商会にとって、有益な繋がりを作ること。
「話をする。」
「分かりました。」
⸻
数日後。
仕事を終えたノアが。
人通りの少ない路地へ入る。
「ノアさん。」
「……!」
足が止まった。
ノアが振り返る。
「お久しぶりですね。」
「お前は……!」
ゲルムは、その反応を静かに見ていた。
「そう驚かないでください。」
一歩、前へ出る。
「私は、貴方の敵ではありません。」
「何が目的だ!」
「私は、貴方を調査していました。」
「……なぜだ。」
「警戒されるのも分かります。」
ゲルムは、ノアを真っ直ぐ見る。
「私は、貴方の特殊な能力、才能を買っているんです。」
「…………。」
ノアの表情に、困惑が浮かぶ。
「今日は。」
ゲルムは続ける。
「貴方と取引がしたくて来ました。」
「取引……?」
「えぇ。」
一拍。
「我が社と、独占契約を結んでいただきたい。」
「……え?」
ゲルムは、その反応を見逃さなかった。
驚き。
困惑。
何を言われているのか、本当に分からない。
そう見える。
(……見事だ。)
ここまで調べられ。
一度、直接接触までされている。
それでも、何も知らない。
ただの見習いという姿を、崩すつもりはないらしい。
「情報調査部で、諜報員として動いていただきたい。」
「え……なんで俺が……。」
「ご謙遜を。」
「いや……。」
なおも、認めない。
だが、ゲルムも、無理に認めさせるつもりはなかった。
重要なのは、ノアが何者なのか。
本人の口から聞き出すことではない。
この男と、繋がりを作ること。
「貴方のために、特別にポストも用意しています。」
「ポスト?」
「情報調査部。」
ゲルムは、僅かに間を置く。
「調査隊隊長……をね。」
「…………。」
「よくあるヘッドハンティングですよ。」
「え……。」
ノアは、ゲルムを見る。
「どこの会社なんですか?」
「ビヨンド商会です。」
「えぇ!?」
声が響いた。
「大手じゃないですか!」
「えぇ。」
「信じられませんよ。」
「…………。」
ゲルムは、内心で。
ノアへの評価を、さらに上げていた。
上手い。
驚き方に、不自然さがない。
声。
表情。
視線。
本当に、初めて聞いた人間にしか見えない。
これが、公爵家で毎日続けているものなのだろう。
「では。」
ゲルムは言う。
「直接、本社でお話しすれば、信じてもらえますよね?」
「あ……はい。まぁ……。」
「一度、本社でお話をしませんか?」
「…………。」
ノアは、少し迷っているようだった。
「わ、分かりました。」
「では。」
ゲルムは、大通りへ向かって歩き出した。
⸻
ノアは、少し距離を空けて、ゲルムの後ろを歩いていた。
「…………。」
警戒は、解いていない。
ビヨンド商会。
大手だ。
その名前を知らない者など、ほとんどいない。
だからこそ、簡単には信じられなかった。
この男が、本当に、ビヨンド商会の人間なのか。
それすら、まだ分からない。
(……横道に入ったら、ついていくのはやめよう。)
今歩いているのは、大通り。
人も多い。
店も多い。
何かあっても、すぐに助けを求められる。
だが、人通りの少ない場所へ、連れていこうとするなら。
その時点で、ついていく必要はない。
ノアは、一定の距離を保ったまま、ゲルムの後ろを歩く。
その様子に、ゲルムも当然気づいていた。
(距離を取っている。)
近すぎず。
離れすぎず。
周囲にも、意識を向けている。
以前とは、やはり違う。
最初に監視した頃。
ノアは、誰も見ていない場所ですら、隙だらけだった。
尾行を警戒する様子など、一度も見せなかった。
だが、ゲルムが。
自分の存在を明かしてから、それは変わった。
(もう、隠す必要がないと判断したか。)
少なくとも。
ゲルムには、自分の裏側を疑われている。
ならば、その相手の前でまで、何も知らない見習いを、完璧に演じる必要はない。
そう判断したのだろう。
もっとも、表向きの姿そのものは、未だに崩していないが。
「…………。」
ゲルムは、何も言わず。
歩き続けた。
大通りを、真っ直ぐ。
一度も、横道へ入ることなく。
そして、しばらくして足を止めた。
「着きました。」
「…………。」
ノアも、立ち止まる。
目の前には、大きな建物。
多くの人間が、当たり前のように、出入りしている。
そして、正面にははっきりと、その名が掲げられていた。
ビヨンド商会。
「…………。」
ノアは、建物を見上げる。
(本当だったのか……?)
あの男は、本当にビヨンド商会の人間だった。
ならあの時は、どうだった。
突然現れ、自分のことを調べていると言った。
宿屋で会っていたことも、相手が既婚者であることも、知っていた。
さらに。
夫が、二人の関係を疑い始めていることまで、教えてくれた。
(……だったら。)
夫が、雇った人間ではなかった。
不倫をやめさせるために、脅しに来たわけでもない。
本当に、自分を調査していて。
その途中で、夫が疑っていることを知った。
そして。
(わざわざ……教えてくれたのか?)
あの情報がなければ。
そのまま、会い続けていた。
いつか、本当に夫に知られていたかもしれない。
「…………。」
ノアは、少し前にいるゲルムを見る。
怪しい、怖い。
何を考えているのか、全く分からない男。
そう思っていた。
だが。
(俺を……助けてくれたのか?)
少なくとも、あの情報に助けられたことだけは、間違いなかった。
一方。
ゲルムは、そんなノアの様子を、静かに見ていた。
建物を見上げ。
驚き。
そして。
自分を見る。
(まだ続けるか。)
ここまで来ても。
初めて、ビヨンド商会の人間だと知った。
そんな反応を崩さない。
大したものだった。
「これで。」
ゲルムは、何事もなかったように言う。
「少しは、お話を聞いていただけますか?」
「…………。」
ノアはもう一度、ビヨンド商会の建物を見る。
そして、ゲルムを見る。
「あ……はい。」
「では。」
ゲルムは、本社の入口へ向かう。
「中へどうぞ。」
「……はい。」
ノアも、その後を追う。
警戒が、消えたわけではない。
何のために、自分が調べられていたのか。
なぜ、大手商会から。
突然、独占契約などという話を持ちかけられているのか。
何一つ、分かっていない。
ただ、少なくとも。
目の前の男が、最初に思っていたような。
夫に雇われた人間ではない、それだけはようやく分かった。
そうして、二人は。
ビヨンド商会の中へ入っていった。




