ただのゲルム
大会が終わってから。
約二週間。
王都では。
あれほど騒がれていた優勝者の話も、少しずつ過去のものになり始めていた。
それでも。
調べ続けている者はいた。
⸻
私はゲルム。
ただのゲルム。
国内有数の大手、ビヨンド商会。
その情報調査部に所属している。
プロ資格は持っていない。
だが。
長年、ハンターとして生きてきた。
現在はビヨンド商会の情報調査部に身を置き。
これまでにも。
商会にとって重要となる情報を、いくつも手に入れてきた。
今回の仕事は。
私にとっても、十年ぶりとなる。
魔女の口づけの入手だった。
もっとも。
交渉の席にすらつけなかったのだ。
私自身の評価が下がることはない。
相手が交渉を拒絶している以上。
交渉役に、できることなどない。
それでも。
一度、手をつけた仕事を。
途中で投げ出すことは、できなかった。
手に入らないのであれば。
せめて、その行方だけでも確認する。
そうして。
可能な範囲で調査を続けていた。
「ゲルムさん!」
部屋の扉が開いた。
「どうした。」
「魔女の口づけです!」
ゲルムが顔を上げる。
「受け取りが確認されました!」
「誰だ。」
「ウォーレン・トーリア公爵です。」
「…………トーリア公爵?」
「はい。」
部下が資料を差し出す。
ゲルムは受け取り。
素早く目を通した。
「本人が受け取ったのか?」
「間違いありません。」
「優勝者は?」
「姿を見せていません。」
「……そうか。」
「それと。」
部下が続ける。
「既に、使用されています。」
ゲルムの手が止まった。
「何?」
「受け取った、その日のうちに。」
「誰に使った。」
「アイリスという少女です。」
知らない名前だった。
「調べたのか?」
「はい。」
次の資料を受け取る。
「奴隷だった少女です。」
「だった?」
「魔女の口づけによって奴隷印を消去されています。」
「…………」
「そして、この少女ですが。」
部下が一枚の紙を指す。
「トーリア公爵令嬢、マリー・トーリアの友人です。」
ゲルムは。
黙って資料を見た。
娘の友人。
奴隷。
魔女の口づけ。
そして。
ウォーレン・トーリア。
「……なるほど。」
同じ頃。
同じ情報は。
ゲルムだけのもとへ届いたわけではなかった。
⸻
「使用された?」
「はい。」
「……そうか。」
商人が椅子へ背を預ける。
「なら終わりだ。」
「優勝者の調査は?」
「必要ない。」
男は苦笑した。
「商品がなくなったんだ。いつまでも追いかけてどうする。」
「分かりました。」
「次へ行くぞ。」
また。
別の場所では。
「ウォーレン・トーリア公爵?」
「間違いありません。」
「……あの人か。」
「どうされます?」
「どうもこうもない。既に使用したんだろう?」
「はい。」
「ならいい。」
貴族の関係者が資料を閉じる。
「それに、トーリア家が抱えている人間なら、下手に探る必要もない。」
「では。」
「ああ。手を引こう。」
そして。
各国の者たちも。
同じ情報へ辿り着いていた。
「トーリア家です。」
「確かなのか?」
「ウォーレン・トーリア本人が、優勝賞品である魔女の口づけを受け取っています。」
「使用先は?」
「公爵令嬢の友人です。元奴隷の少女で、受け取った当日に使用されています。」
「…………」
報告を受けた男は。
しばらく資料を眺めた。
「娘の友人か。」
「はい。」
「魔女の口づけが必要だった理由も、それで説明できるな。」
「そうなります。」
「大会後、優勝者は誰とも交渉していない。」
「確認できる限りでは。」
「そして賞品を受け取ったのはトーリア公爵。」
男は資料を机へ置いた。
「十分だ。」
「優勝者本人の特定は?」
「必要ない。」
「しかし。」
「我々が知りたかったのは、名前ではない。」
男が立ち上がる。
「本当にグランフェルナの戦力なのか。それが分かればいい。」
「……では。」
「トーリア家が秘匿している十代の戦力。その可能性が高いと記録しておけ。」
「承知しました。」
「帰国する。」
別の国でも。
また別の国でも。
多少の違いこそあれ。
結論は、ほとんど同じだった。
正体不明の優勝者。
グランフェルナ王国所属。
ウォーレン・トーリア公爵家との関係が極めて濃い。
それだけ分かれば。
彼らには十分だった。
こうして。
商人たちは諦め。
貴族たちも手を引き。
各国から送り込まれていた者たちも。
それぞれが必要な情報を手に。
王都を去っていった。
だが。
一人。
そこで終わらない男がいた。
「調査を続けたい?」
「はい。」
ビヨンド商会。
情報調査部。
ゲルムの正面には。
この部署を預かる部長が座っていた。
「魔女の口づけは、もう使われたぞ。」
「承知しています。」
「なら、何を調べる。」
「優勝者です。」
部長がゲルムを見る。
「続けろ。」
すぐには言わなかった。
「理由を聞こう。」
「これほどの人材です。」
ゲルムは答える。
「接触することができれば、今後、我が社にとって大きな利益となる可能性があります。」
「……引き抜くつもりか?」
「できるのであれば。」
「トーリア家の人間だぞ。」
「まだ、そうと決まったわけではありません。」
「だが可能性は高い。」
「はい。」
そこは否定しない。
「ですので、まずは確認します。」
「他の商会は?」
「ほとんどが手を引いています。」
「そうだろうな。」
部長が腕を組む。
「正体を秘匿している以上、簡単に接触できる相手ではない。」
「はい。」
「それでもやるか。」
「そのための情報調査部です。」
「…………」
しばらく。
部長はゲルムを見ていた。
やがて。
「分かった。続けろ。」
「ありがとうございます。」
「ただし。」
ゲルムが立ち上がろうとしたところで。
「慎重にな。」
「もちろんです。」
部屋を出る。
これで。
正式に調査を続けられる。
ゲルムは、自分の席へ戻った。
机の上には。
これまで集めた資料が並んでいる。
ウォーレン・トーリア。
マリー・トーリア。
アイリス。
魔女の口づけ。
そして。
正体不明の優勝者。
大会終了直後から。
商人も。
貴族も。
商会も。
優勝者との接触を試みていた。
だが。
誰一人。
交渉の席にすらつけなかった。
それほどまでに、徹底していた。
にもかかわらず。
魔女の口づけを受け取ったのは。
ウォーレン・トーリア。
そして使用されたのは。
その娘の友人。
「…………」
ゲルムは。
一枚ずつ。
資料を見ていく。
偶然。
大会が終わってから。
ウォーレン・トーリアだけが、誰にも知られず優勝者へ接触した。
可能性がないわけではない。
だが。
それよりも。
遥かに自然な答えがある。
初めから。
魔女の口づけを手に入れることが目的だった。
娘の友人を。
奴隷から解放するために。
市場へ出るのを待つ必要はない。
今回の大会なら。
優勝すれば。
確実に手に入る。
そして。
十代であれば。
誰でも参加できる。
「……トーリア公爵。」
ゲルムは呟いた。
自分のところに。
それだけの実力を持つ十代がいるのなら。
送り込めばいい。
正体を秘匿したことにも、不思議はない。
ヒナ・ヴィルガルムを倒すほどの若者。
そんな人材を抱えているのなら。
むしろ。
公表しない方が自然だ。
「隊長。」
部下が声をかける。
「あぁ。」
ゲルムは資料を閉じた。
「トーリア家を洗うぞ。」
「……優勝者が?」
「分からない。」
ゲルムは立ち上がる。
「だが、現状では最も可能性が高い。」
「分かりました。」
「十代のハンターを優先しろ。」
「はい。」
部下が動き出す。
ゲルムも。
次の資料へ手を伸ばした。




